旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

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名人上手余話=横綱・歌者

2007-05-31 08:37:57 | ノンジャンル
★連載 NO.290

 大相撲夏場所は5月27日、大関白鵬が全勝で制し、2場所連続3度目の優勝。これで来名古屋場所には、晴れて最高位第69代横綱の位置に就く。
 「15才の少年は、日本で活躍するモンゴルの先輩力士に憧れて来日。大阪で相撲部屋入りを希望していた。しかし、どこの部屋からも声は掛からなかった。あきらめて、その年の12月25日、モンゴルに帰るべく航空チケットも手にしていたが、運命の女神はいつどこで微笑みを見せるか分からない。帰国予定の前日、奇しくもクリスマスイブ。宮城野部屋から(面倒を見よう)の一報が入って角界入り。ちょっとした時間差が、ひとり横綱時代に終止符を打つ第69代横綱白鵬を生んだ」
 横綱白鵬誕生をNHKアナウンサーは、おおむねそのように報じていた。

 NHK。
 この3文字からの連想だが、沖縄の民謡界にもNHK絡みの(ちょとしたこと)で世に出た歌者がいる。その人の名は、宮古民謡の横綱国吉源次。
 昭和5年<1930>6月10日、城辺町新城<現・宮古島市>生まれ。17、8才から村祭りの舞踊などの地揺をつとめ、得意のノドを披露していた。
 昭和40年頃、国吉源次は那覇に出、当時人気を誇っていた琉球放送<RBC>ラジオの公開番組「素人のど自慢」民謡の部の常連になった。沖縄本島には、宮古民謡の歌者は少なく、注目度を高めていくことになる。同番組のディレクターの私と親しくなるには、そう時間を要さず(宮古民謡を知りたい)こともあって、おたがいの住まいを行き来するようになっていた。
 昭和42年<1967>3月。国吉源次は、NHKのど自慢全国大会沖縄地区民謡の部の代表として、東京の桧舞台に立った。
 NHKは、昭和33年から(のど自慢)への沖縄の参加を呼びかけ、宮田輝アナウンサーを送り込んで沖縄代表を選出。初の民謡の部代表は山内昌徳が「なーくにー」で出場したときは、米占領下にあっただけに(歌は日本復帰した)と、沖縄中が歓びに包まれた。NHKの沖縄放送局はまだなく、代表選出のすべての業務は、RBCが代行するという変則的な時代。以来、八重山民謡の山里勇吉、沖縄民謡の上原政徳、吉味正幸、宮平徳三らが沖縄代表として送り出されたが、国吉源次の場合は(ちょっとしたこと)が、大ごとに発展した。

 RBCラジオが毎週各地で公開録音をしていた「のど自慢」の3点鐘組を南部、中部、北部単位に予選を行い、さらに中央大会を開催。そこでの優勝者をNHK全国大会沖縄代表とする方式をとっていた。国吉源次は、那覇をふくむ南部地区予選出場有資格者だったのだが、開催会場には姿は見せず、1週間後の中部地区予選にやってきた。
 「先週は商売が忙しかった。有資格者なのだから、中部地区予選にも出られるハズ!」
 これが国吉源次の 主張だった。しかし、中部地区には定員の出場者がいる。放送スタッフは、規定により(失格)を告げた。
 中部地区予選大会はコザ市<現・沖縄市>の琉米親善センターホールで定刻通り、熱気をはらんで始まった。なにしろ、予選を通過、中央大会を勝ち抜けば「沖縄代表として母なる国ニッポンの東京へ行ける!」。いやが上にも盛り上がった。
 3人、5人と出場者は熱唱。司会の比嘉俊康アナウンサーが「次の方どうぞ」と、舞台の下手を見たとき(異変)は起きた。どこに潜んでいたのか、登場したのは(失格)のはずの国吉源次。
 「伊良部とーがにーを歌いますっ!」
 宮古民謡を代表する叙情歌を堂々と朗々と歌い上げた。現場スタッフは大いに狼狽。しかし、琉球芸能研究家与那覇政牛、琉球大学教育学部<音楽>教授渡久地政一、RBCラジオ編成部長外間朝貴の3審査員は、満票で国吉源次を中部地区代表の1人に選出した。
 かくて、国吉源次は、昭和42年2月。那覇市松尾の国映館<現在はない>の舞台に立った。いきさつを知らない宮田輝アナウンサーのにこやかな司会のもと「伊良部とーがにー」を歌い、これまた満票。NHKのど自慢全国大会に出場したのであった。
 それを機に「宮古民謡集・国吉源次」のレコードは出すし、ラジオ、テレビ及び各種イベントには、ゲストして引っ張りだこ。その後、順調にCDや宮古民謡の教則本「工工四」出版と、いまや宮古民謡界の(横綱)の位置にある。

 新横綱白鵬ともども、名人上手には諸々のエピソードがある。そして、国吉源次という歌者の出現は、宮古民謡をメジャーにした。後継者育成をふくめ、その(功績大)。

 余談。
 朴訥で好人物なのはいいが、無類の選挙好き。那覇市議会議員補欠選挙に名乗りを上げたくらいだ。そのときは、
 「歌を取るか、政治を取るか」
 周囲の必死の説得により「政治」を断念したが、長い付き合いの私としては、
 「議員の代わりはいくらでもいるが、宮古歌者国吉源次の代わりは、そうそういない」
 と、選挙のたびに落ち着きを失う彼に言い続けている。



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