ツトムさん家の写真日記。

写真いっぱいの楽しい日記です。(全面表示でご覧下さい)

第546回 新潟市 万代橋 まんがストリート。

2010-11-02 21:14:01 | 旅行

2010 09 20(月・祝)

新潟総おどりの午前の部を見終わり、近くの有名ラーメン店の「みなみ」で昼食。
お祭りの昼食時とあって店内は大混雑、テーブルになんとか相席させてもらいました。
 
お店のお薦めラーメンの「日本一ら~めん」(600円 味噌・塩・醤油)を食します。
鶏ガラをベースに魚介出汁をブレンドした醤油系複雑味スープ、麺は中太で大きめなチャーシューとゆで卵が魅力な「日本一ら~めん}。
日本一の味とは疑問符の付く新潟ラーメンでした。

ラーメンで腹を満たしてから友人A氏と信濃川に架かる万代橋(日本橋に続いて2番目の国指定重要文化財)へ・・・。
 
万代橋たもとの地下道に案内され、気合の入った掛け声でダンスの練習をする女性に驚かされながら見学したのは「万代橋の歴史的遺物」。
現在の万代橋は約307mですが、1886年(明治19年)初代の木造万代橋が架けられた時は782mもの日本有数の橋長だったそうです。

初代・二代の万代橋の橋脚や補強杭などの実物が展示されて興味が尽きません。
 
初代の万代橋は1908年(明治41年)の新潟大火で焼失しましたが、翌年の暮に二代目万代橋が初代と同規模で再建されました。
1922年(大正11年)大河津分水(信濃川放水路)の完成で新潟市街の信濃川幅は約三分の一に縮小されたのを機に、1929年(昭和4年)に永久橋として竣工した現在の三代目万代橋へと引き継がれています。

信濃川に架かる竣工時同様に復元された万代橋をぶらりと渡って繁華街の古町通りへ・・・。
再び新潟ブルースの歌碑を過ぎて2分ほど歩くと、「鏡橋」なる石碑に出会いました。
石碑の黒石板にも「ここに鏡橋あり」と刻まれています。

この場所にあった「鏡橋」とは・・・・・今は2車線道路になっている場所に昔し「他門川」と呼ばれた川が流れ、そこに架かっていた橋の名前だそうです。
東京・数寄屋橋の「君の名は」のようなラブドラマはあったのでしょうか・・・?

更に歩むと本町通りと柾谷小路の交差点に「新潟市道路元標」がありました。

1919年(大正8年)に木製で設置され、1922年(大正11年)に現在の石柱に造り直されました。
右の「里程標」では東京中央区まで国道17線で442km 京都市まで8号線で592km 青森市まで7号線で518kmと・・・里距離ではなくkm表示ですから「粁程標」にした方が判り易いのでは・・・。


裏日本一と言われた繁華街の古町、今は万代橋を渡った万代一丁目の万代シティや伊勢丹に客を奪われて昔日の賑わいは見られないそうです。
下画像に見られる県内一を誇った大和百貨店も既に撤退し無人のビルに変わり果てていました。


古町のメインストリートから「ふるまちモール」アーケード街を2~3分散策してアートな街・古町五番町へ・・・。

現在の古町五番町のアーケード通りは「まんがストリート」と呼ばれ親しまれています。
ここ五番町は漫画家“水島新司”の生まれた街、アーケード通りには水島新司氏の代表作「ドカベン」「野球狂の詩」などに出てくるユニークなキャラクター達の銅像が立並んでいます。

最初に出会ったのは漫画「あぶさん」で有名な景浦安武さん、球界一の長いバット「物干し竿」に酒を吹き付けて相手ピッチャーを震え上がらせる男の中の男と言われる酒豪の強打者。


水原勇気の躍動感あふれる銅像、日本初の女性プロ野球投手で変幻自在な秘球「ドリームボール」でバッターを翻弄して、東京メッツの名ストッパーとしてアンダースローで大活躍。


里中智は山田太郎とバッテリーを組み、甲子園で20勝という前人未到の記録を達成。小柄な体で「小さな巨人」と呼ばれ名球「スカイフォーク」で球界を代表する投手となる。
 
バットを振り回している山田太郎像、不動のバッター“ドカベン”、「気は優しくて力持ち」温かな雰囲気でチームを引っ張る不言実行の名スラッガー。

なんて不謹慎な!! でも、こんな愉快な画像がネット上にありました。


アゴを突き出すユニークなフォームの岩田鉄五郎。東京メッツの主力投手にして投げる時の「にょほほ」の奇声が特徴、生涯現役を目指して頑張る「球聖」。
 
とんま」の愛称で呼ばれた殿馬一人像、天才的な音楽感覚でリズムに乗せた打法「秘打」を駆使、フィールドワークでも足キック送球など多彩な芸を持つ俊足の2塁手。

岩鬼正美像、神奈川県の出身なのに関西弁、口数・失言の多い男だが憎めない性格の有言実行のスラッガー。
その日の気分で咲いたり枯れたりする葉っぱを口に咥える名3塁手。(葉っぱは時々盗まれるとか・・。)
座右の銘は「花は桜木 男は岩鬼」。
 
歌人・文学者“会津八一”もここ五番町で生まれ育ち、まんがストリートのアーケード街の生家跡には会津八一の大きな石碑「新潟の濱にて」が建てられています。
歌碑には「ふるさとの はまのしろすな わかきひを ともにふみけむ ともをしぞおもふ」と・・・。

五番町アート街の楽しいまんが銅像散策を終えた後、古町の旧友宅でビールなどで雑談しながら小休憩。
9月18~20日の長野蓼科高原から新潟総おどりの旅を終え、夕方近くの午後5時に前橋に向け帰路に・・・。

越後新潟は風光明媚で美女多数、人情厚く、米に酒に海産物は旨くて、豪雪さえなければ言うこと無しの桃源郷ですね。


2010 11 02(火)記。  前橋市後、うす  最高気温21.00℃


腐敗検察と政権による裏取引の犠牲にされた小沢一郎!!⇒ ここクリック。


おまけコーナー。

爆弾処理班が出動した「怪しい箱」。
Bomb Squad Opens Suspicious Box To Find ADORABLE KITTENS!