ツトムさん家の写真日記。

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第302回 “京都「都おどり」と桜名所”バスの旅 3. 寺田屋。

2008-04-18 18:18:18 | 旅行

2008 04 06(日)

満開の城南宮を後にして、同じ伏見区にある旧跡・寺田屋へ・・・。
可愛いバスガイドさんの手作りカラフルな「京都マップ」で名調子の説明を聞きながら観光バスは走ります
 
京都伏見は兵庫の灘と並んで日本酒醸造の一大生産地。
寺田屋への沿道には月桂冠や黄桜など全国的に名を馳せた大酒蔵が見られます。
濠川添いに建っている松本酒造の酒蔵は如何にも美味しそうな酒を作っている佇まいです。

城南宮を出発して10分もかからないで寺田屋に到着。
寺田屋のすぐ近くの黄桜酒造のP場を借りてバスを入れ、約100mほど桜咲く伏見の古い家並みを見ながら歩きます。
 
昔はこの濠川を使って三十石船で淀川経由、人や物資を大阪方面へ運搬していたそうです。

寺田屋も江戸時代は廻船問屋兼船宿(薩摩藩御用宿)として大きな商いを行っていました。
幕末の文久年(1862年)に薩摩藩士名が殺傷された寺田屋騒動と坂本竜馬事件で一躍有名になった寺田屋は史跡にも拘わらず今でも立派に旅館業を営業しています。

晴天の日曜日なのでひっきりなしに見物客が訪ねてきました。

寺田屋旅館の右側奥の正面に寺田屋騒動の記念碑と坂本龍馬像が建っていました。
 
庭の片隅に寺田屋の気風の良い女将・お登勢を祀ったお登勢稲荷神社もあります。
お登勢没後100年を記念して創てられました。

見学者は寺田屋の横入口から入って最初に寺田屋の由来と龍馬等の説明を受けてから館内を見学います。(拝観料400円・団体360円)
 
館内の到る所に幕末の偉人達の写真・文書が展示されていました。
この“手配書”の人相書き(坂本龍馬・高杉晋作・西郷吉之助)は良く特徴を捉えていますね。

後に龍馬の妻になるお龍がこの風呂場で入浴していた時、外に伏見奉行所や新撰組などの幕府の追手の気配に気付き、オールヌードのまま二階に居る龍馬に異変を知らせたと云います。(坂本龍馬襲撃事件・慶応2年1866年1月23日)
 
お龍は素っ裸でこの階段を駆け上ったのです。 良く見るとまだ当時の水滴が残って・・・。(WWW)

気丈で機転の利く世話女房タイプのお龍と、割と身辺に鈍感だったという坂本龍馬の写真もありました。
 

この和室で長州藩士・三吉慎蔵龍馬が酒を呑んでいる時に襲撃されました。
 
三吉慎蔵は刀で、龍馬は当時最新式の連発銃で応戦します。
幕府方伏見奉行所からの多勢に抗しきれず、寺田屋の二階から隣家の屋根伝いに逃げのび、指に切り傷を負いながらも一命を取り留めました。

詳しい寺田屋騒動の顛末はここクリック。

寺田屋の柱にはその時の刀傷ピストル弾痕が多数見ることが出来ます。
 
参考までに、坂本龍馬中岡慎太郎と共に大政奉還の一ヵ月後の慶応3年(1867年)11月15日に三条河原町の旅籠・近江屋で暗殺されます。(翌年が明治元年)

二階の一番広いこの部屋を坂本龍馬は愛用していたそうです。
 
幕末から明治維新に到る激動時代のヒーローの物語には血沸き心打つものがありますね。
京都には寺田屋あり池田屋ありで歴史上の中心舞台が沢山揃っています。時間を気にせずにゆっくりと訪ねたい場所の一つです。

後日談 ・・・ 寺田屋は1597年(慶長2年)に建てられ、修復しながらも現在に至っていると云われるが、歴史文献に1868年(慶応4年)の鳥羽伏見の戦で家屋諸共焼失と書かれているので、今ある寺田屋は明治期に建築されたものらしい。柱に付いた刀痕・弾痕は何だったのか? 歴史の謎は残ります。(08 09 26記)

2008 04 18(金)記。    前橋市 時々   最高気温15℃