2008 10 04(土)
二本松市で日本一と云えば、霞ヶ城で開催される“二本松の菊人形”ですね。
菊人形展の場所は二本松市の旧跡・霞ヶ城。
昔は二本松藩十万石・丹羽氏の居城。
戊辰戦争で灰燼に帰しましたが、聳え立つ石垣と箕輪門が往時の威容を物語っています。(箕輪門は昭和57年再建)
霞ヶ城の前庭には二本松少年隊の在りし日の戦闘シーンの銅像が・・・。
戦に出る我が子の出陣衣装を縫い繕う母の像が胸を打ちます。
×紋幕を張った箕輪門の前には二本松菊人形祭りの今年のテーマの“篤姫”。
菊人形“篤姫”様にお出迎えされて霞lヶ城へ入城。(菊人形展1000円 10月1日~11月23日)
城内は菊花が咲き乱れ“日本一の菊人形”と呼ばれるのも頷けます。
まさに菊の芸術! 製作の苦労が偲ばれます。
NHK大河ドラマ「篤姫」の大掛かりの御殿セットが組まれていました。
篤姫が薩摩から江戸へ旅立ちのシーン。背景の桜島も良く描けて雰囲気が良く出ています。
二本松の北に位置したのは仙台藩、やはり奥州の雄・伊達政宗公も菊人形展に出陣。
新撰組の隊士の面々の菊人形。
「壬生浪士隊」と名乗っていたが、会津藩の別働隊として会津藩から「新撰組」と命名されるシーン「新撰組拝命」。
慶応4年7月28日二本松城下の大壇口で奮戦する二本松少年隊の菊人形。
三春藩の寝返りで勢いづいた官軍は“錦の御旗”を押し立てて二本松城に迫ってきます。
菊人形の製作過程も展示されて勉強になります。
大きな五重塔がありましたが、これから屋根に菊花を飾るのでしょうか?
菊人形展の途中に大きな滝が在りました。小高い城内に流れる滝は18km先の安達太良山麓から水を引いているそうです。(二合田用水)
名は“相生の滝”。鯉の滝登りでしょうか・・・金太郎が鯉に跨ってハイドォ~ド。
色々な菊人形を楽しんでから、菊人形劇場へ・・・。出し物は「二本松少年隊」。
劇場の壁面には二本松菊祭りのポスターが第一回目から貼っていました。
今年の菊人形展は第54回になります。
劇場内が暗くなり、菊人形芝居の幕が開かれます。
二本松少年隊が官軍からの攻撃を必死に防戦している場面「大壇口の戦い」。
「突きの一手」と名付けられた名場面。
幼い少年兵を哀れみ斬り付けなかった官軍の将・白井小四郎は少年隊士・成田才次郎の鋭い突きで斃れます。
敵の長州藩士・白井小四郎の遺骸はその慈愛の心意気に感じた二本松の人達によって地元の真行寺に丁重に葬られています。
最後は二本松霞ヶ城の落城シーン。
丹羽藩主は落ち延びましたが、城代・内藤四郎兵衛は「むなしく内に在って死すべきにあらず」と自刃せず城から討って出て見事な最期をとげました。
今でも“二本松武士の鑑”として讃えられています。
二本松菊人展を楽しんでから、霞ヶ城下の名跡・戒石銘の見学。
道路わきに在る大きな自然石が有名な国指定史跡“戒石銘”。
藩主の諌めとして、寛延2年(1749年)藩主・丹羽高寛公が藩儒学者・岩井田昨非に命じて書かせた石碑。
碑文「爾が俸 爾が禄は 民の膏民の脂なり 下民は虐げ易きも 上天は欺き難し」と藩士への規範を示しました。現代の政治家や官僚に捧げたい名言ですね。
霞lヶ城の菊人形祭りなどをタップリと楽しんでいると陽は沈み夕刻になりました。
古城を後にして二本松に来た一番の目的の“二本松提灯祭り”の会場へ・・・。
次回は”二本松提灯祭り”。
2008 10 25(土)記。 前橋市 最高気温20℃
ネコカラオケ。
ちいニャい秋みつけた。