昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

なるほど!と思う日々(522)ねじまき鳥クロニクル

2018-06-05 03:15:39 | なるほどと思う日々
「何?キミ村上春樹の作品の中で、ねじまき鳥クロニクルを読んでいないの?」
 ボクはあるひとから言われました。
 数ある村上春樹作品はかなり読んでいるつもりですが、確かにこの作品は読んでませんでした。
 だいたい題名が変ですし、内容が全く推測できません。
 しかし、そう言われたからには読まないわけにもいかないので読んでみました。
        
・・・「何もかも忘れてしまいなさい。私たちはみんな温かな泥の中からやってきたんだし、いつかはまた温かな泥の中に戻っていくのよ」とその女は言った。
 ねじまき鳥が世界のねじを巻くことをやめたとき、平和な郊外住宅地は、底知れぬ闇の奥へと静かに傾斜を始める。暴力とエロスの予感が、やがてあたりを包んでいく。誰かがねじを巻きつづけなければならないのだ、誰かが。1984年の世田谷の路地裏から1938年の満州蒙古国境、駅前のクリーニング店から意識の井戸の底まで、ねじのありかを求めて探索の年代記は開始される。・・・
 帯の言葉は思わずボクをその作品の中へと引きづり込んでいった。

 ・・・そのような荒涼とした風景の中を黙々と進んでいると、ときおり自分という人間がまともまりを失って、だんだんほどけていくような錯覚に襲われることがあります。
 ・・・太陽が東の地平線から上がり、ゆっくりと中空を横切り、そして西の地平線に沈んでいきました。私たちのまわりで目に見えて変化するものといえば、ただそれだけでした。その動きの中には何かしら巨大な、宇宙的な慈しみとでもいうべきものが感じられました・・・

 ・・・五月の始めの故郷の風景を私は思いうかべました。花の匂いや、川のせせらぎや、空の雲のことをおもいました。古い友達や家族のことを思い浮かべました。
 そしてふっくらとした甘い柏餅のことを思いました。
 私は甘いものをそれほど好みませんが、このときだけは死ぬほど柏餅を食べたかったことを覚えています。もしここで柏餅が食べられれば、半年分の給料を払ってもいいと思ったくらいでした。
 日本のことを考えると自分が何だか世界の果てに置き去りにされてしまったみたいに思えました。
 どうしてこんなぼさぼさとした汚い草と南京虫しかいないような広大な土地を、軍事的にも産業的にもほとんど価値のない不毛な土地を、命をかけて争わなくてはならないのか、私には理解できませんでした。故郷の土地を守るためなら、私だって命を捨てても戦います。しかしこんな穀物ひとつ育たない荒れた土地のためにひとつだけしかない命を捨てるなんてまったく馬鹿げたことです。・・・

・・・それは深い井戸でした。私の体が地面に当るまでに随分長い時間がかかったような気がしました。もちろん実際にはそれはせいぜい数秒のことでした・・・。
 私の体は砂袋のようにどさっと地面を打ちました。・・・私が意識を取り戻したとき、何かのしぶきのようなものが、私の体に当っていました。・・・それは小便でした。蒙古兵たちがみんなで、井戸の底にいる私に向かって小便をかけているのでした。
 ・・・それからどれくらい時間が経ったのか、私にはわかりません。しかしある時点で、思いもかけぬことが起こりました。
 太陽の光がまるで何かの啓示のように、さっと井戸の中に射し込んだのです。・・・暗闇と冷ややかさはあっという間にどこかに追い払われ、温かい陽光が私の裸の体を優しく包んでくれました。
 ・・・私はその光の中でぼろぼろと涙を流しました。・・・この見事な光の至福の中でなら死んでもいいと思いました。・・・そこにあるのは、今何かがここで見事にひとつなったという感覚でした。圧倒的なまでの一体感です。
 そうだ人生の真の意義とはこの何十秒かだけ続く光の中に存在するのだ、ここで自分は死んでしまうべきなのだと私は思いました。

 何? わが慶應義塾大学が六大学野球で秋春連覇した? なんと46年ぶりだそうだ。
 神宮でクラシックカーで優勝パレードをしたという。ぼくらの時代は銀座で「お巡りさんごくろうさん」と言いながら騒いだものだ。