昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

三鷹通信(263)日本の文化・ロチと小泉八雲(2)

2018-05-27 05:47:20 | 三鷹通信
 日本に多大な好奇心を抱いたという意味では、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)はロチと同じだったが、ロチのように文明人が野蛮人を見るような上から目線ではなかった。彼は本心から日本を愛した。
 それは、彼の特殊な生い立ちが色濃く影響していた。
 彼は、アイルランドの海軍の軍人だった父と、ギリシア人の母との間に生まれた。
 母は、寒いダブリンを嫌い、暖かいギリシャへ一人で帰ってしまった。
 取り残された彼は叔母の下で育てられた。
 この環境の中で、彼はエーゲ海への憧れと西欧のエゴイズムに対する憎しみを抱くようになる。
 

 彼は20歳の頃、アメリカ行きの船の皿洗いとなりニューヨークに渡る。
 そこからさらに暖かいニューオリンズへ移り、人の良い中南米人と付き合う。
 やがて、彼は文才を見込まれルポライターとして西インド諸島そして、日本へ派遣される。
 1890年(明治23年)日本に到着した彼は、初っ端から富士山に恋する。
 そして、<個人的><人工的>な西欧文明とは異なる<人間的><超自然的>な日本人のメンタリティに敬意を抱くようになる。
「ふと私は道の脇に見慣れない浮き彫り彫刻があるのに気がつく。竹で編んだちっぽけな小屋の中に平たい石版に刻んだ像がずらりと並んでいるのだ・・・それが道路の神様である<庚申の像>であることを見抜いた・・・」
「だが、どの宗教のうちにも神聖さを感じる人がこれらの神々の意味するところを知ったならば、それがどれほど高い美意識、精神的美観に訴えるものであるかわかってくるであろう」
「そして私は自分がいまなお、これら素朴な古い神々、人類の幼年時代の神々を愛する異教徒であることを自覚するのである」

「これら親切で、飾り気もなく、朽ち果てて行こうとしている神々、あれほど多くの悩める魂に安らぎを与え、あれほど多くの素朴な心を喜ばせ・・・」
「あれほど多くの純粋な信者たちの願いを聞きとどけてきた神々の情け深い命を少しでも引き延ばせるならどんなに喜んで私はそうすることだろう」
「いわゆる<進歩の法則>だとか<進化論>だとかにさからってでも」
 
 彼は、庶民の風俗、生活を研究する<民俗学>に注目したのだ。

 やがて彼は出版社との契約を破棄し、松江の中学の英語の先生になり、→熊本→神戸→東京に移り住み日本に関する種々の著作を残し、1904年に亡くなる。 

 イギリスの最高の風景画家と言われるターナー。彼の「難破船」
 好奇心旺盛な昔の人たちは生死を賭けて海外渡航したんですね。





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