昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

三鷹通信(105)三鷹市新春賀詞交歓会

2015-01-11 05:22:27 | 三鷹通信
 三鷹市ボランティア連絡協議会の代表世話人を務める家内の代理で初めて、三鷹市の新春賀詞交歓会に参加した。
 三鷹市芸術文化センターの<風のホール>へ入場する前に、金屏風の前に列席される
発起人のお歴々の挨拶を受ける。
 
「ご本を読ませていただきました。ご返事はのちほど・・・」
 清原慶子市長から言われた。
「こんなご才能があるとは・・・」
 確かに退職後のボクの印象は、碁やゴルフ、麻雀?
 のんきなとうさんにすぎない。

 たまたまM同窓会会長ご夫妻と同席となる。
 たいへんな数の入場者だ。
 
 いわゆる三鷹市の名士(ボクを除いて)なる人たちなのだろうが、600人はいるだろうか。

 先ずは、布施明氏のミニコンサート。
「君は薔薇より美しい」を引っ提げて登場。
 
 すごい迫力だ。
 以前に彼のリサイタルを大ホールで聴いたことがあるが、前から三列目の身近で聴く迫力は半端じゃない。
 たしか彼はもう60後半のはずだが・・・。
 マイクを外して肉声でも歌ったが、マイクなんか関係ない!
「いやあ、このホールのエコー効果はすごい! これだけの音響効果のいいホールはそうないんじゃないでしょうか」
 彼が特に解説を入れた。そうなんだ・・・。
 <風のホール>は、以前の写真で恐縮だが・・・
 
 
 その後、大ヒットした<シクラメンのかおり>を含め6曲を熱唱。
 合い間に、彼が三鷹市第二小学校卒業生で、子ども時代は国際基督教大学の構内などで野生児のごとく過ごしたエピソードをたくさん披露した。
「昔からフアンで、よくリサイタルなどに行きましたが、そのころはおしゃべりも控えめだったのに、今日は・・・」
 清原市長が軽妙にインタビューする。
 
「いやあ、タイプとして控えめにしていたんですが、本来はおしゃべりなんです」だって。
 お母さんを93歳で看取ったときの状況も詳しく説明された。
「耳もとで、『お母さん、よく頑張ったね、ありがとう』と絶叫すると、そのたびに目を開けるんです」
 ・・・そうだろうな、あの声量で叫ばれたら・・・
「あんまり何回も言ったので、最後は『もういいよ!』って言ったら本当に亡くなちゃって・・・」
「あなたのような方が三鷹市民でよかった!」
「私も三鷹に住んでいてよかった!」
 布施氏は小学校の校歌も歌いました。

 その後式典があり、清原市長がこれが最後になるでしょうという演説をされた。
 3期12年の市長を全うされて、次回は出馬しないのだ。
 市長は三鷹市に関わられた経緯をいつもの名口調で淡々と述べられた。
 学生時代に三鷹市での市民活動参加の機会を得て、学生代表として第1次三鷹市の基本計画に参加、以来学者として、市長として第4次基本計画まで関わってきたという。
 そして「緑と水のまち」「高環境・高福祉のまちづくり」を立ち上げてきた。
 縁を得て、エネルギッシュに目標に立ち向かってきた、花のあるこれまでのご活躍に敬意を表したい。

 交歓会パーティには布施氏も参加されました。
 
 近く<武蔵野少年>という小説を出されるということだったので、ボクも三鷹を舞台にした<レロレロ姫の警告>を出版しましたと宣伝しておきました。

 これこそがボクの今回参加した理由なのですから。
 他にも「レロレロ姫の警告」に関心を持っていただいたM同窓会会長、I衆議院議員、O小学校校長、地元でご活躍のHさんなどからも声をかけていただきました。
 社会人時代、取引のあった会社のT会長さん、近所づきあいしていた三鷹市のM部長さん、政治団体のKさんから紹介いただいたOさんや偶然にもボクと同じマンションに住んでいらっしゃるというSさんなどにも本の紹介をさせていただきました。
 ボクにとっても意義ある1日でした。
 


 

 


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1 コメント

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線から麺。いいですね。 (すこや)
2015-01-11 10:49:28
絶好の機会でしたね。
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