昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

エッセイ(220)友あり遠方より来たる

2014-09-18 03:18:47 | エッセイ
「今ICUに着きました。お会いできませんか?」
 何年振りだろう。Y君から電話をもらって家を出た。
 
 目的の郵便局の場所が分からない。
 スマートな外人女性を見かけて、久しぶりで英語を使った。
「Pardon? Post Office・・・」
「真っ直ぐ行って、ロータリーを左に曲がって、教会の裏手に食堂があります。そのすぐ横です」
 流暢な日本語が返ってきた。

 なるほど! 食堂が見えてきた。
 
 郵便局があった。
 
 ベンチに座っているのが彼だろうか。
 20分ぐらいでと言ったが、さらに10分余計にかかった。

「素晴らしい食堂ですね?」
  
 まだ、午前11時、利用者はまばらだ。

「お元気そうで。変わらないね」
 
 彼とのつき合いは金沢の中学校時代に遡る。
 彼が転入して来て、いきなり学級委員の選挙に立候補した。
 面白い男だなと、ボクが彼の応援演説をしたのがきっかけだ。
 それ以来、彼と行動を共にして遊んだりした記憶はない。
 
 ボクは金沢大学付属高校へ、彼は泉が丘高校を経て都立西高校へ進学、大学は共に慶應義塾大学経済学部だったが、その間まったく交流はなかった。
 共に就職して何年か経って、そんな彼から突然電話をもらって会うことになった。
 彼は東芝の国際事業部の役職についていたのだが脱サラして、日米政経研究所なるものを設立、その所長になっていた。
 
 組織を離れた彼は一匹狼のごとく、それから自由奔放な人生を歩んで今日に至る。
 熟達した英語力と行動力を駆使してアメリカへ渡り、ハバード大学などに学び、識者と交流、50州のロータリークラブを訪問、日本の歴史や文化を講演して回った。
 ワシントン州のオリンピック半島と彼の出身地の能登半島との姉妹関係も実現した。
 
 能登半島で毎夏日米セミナーなども開いていた。
 地方紙には<金沢とハーバード大学>という記事も掲載している。

 そんな彼が「加賀能登の文化を世界へ輸出しよう」と石川県知事や金沢市長選に何回か挑戦してる。
 すべて単独行動である。
 
 今、古希を遥かに超えた歳になり、さすが海外渡航は控えているという。
 しかし<世界遺産・能登半島の祭>というホームページを立ち上げ、故郷を世界へ売り込むエネルギーは途切れない。
 
 
 今日、国際基督教大学を訪れたのも、愛するドイツのハノーバー大学から慶応大学そして本学へと移られた政治・国際関係学のWillheim Vsosse教授に会いに来たのだという。
 ちなみにY君は今、東大で法律を勉強しているんだそうだ。
「いずれは司法試験に挑戦しようと思っている」とにやっと笑った。
 未だ意気軒昂である。
 
 彼は4,5年おきぐらいにボクに会いに来る。
 チャレンジングで、ユニークな友だ。