昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

なるほど!と思う日々(300)孫引き

2014-09-09 03:22:38 | なるほどと思う日々
 叔父さんにやさしい科学の本を頂いて以来、ボクは難しいことをやさしく書くことに興味を持つようになった。
 しかし想像力の乏しいボクにとって<書く>ということは、大海原に小舟で漕ぎ出すようなものでなかなか難しいことだ。
 
 
 そんなボクに目を開かせてくれたのが、荒俣 宏の<博物学から見た漢字>(朝日新聞・1989.10.11)だった。
 

 大学時代には翻訳を始め、仏、独、ラテン語にもぶつかり苦労した。
 言葉の範囲が広がると、自然に読書範囲も広がる。
 読み広げていくうちに、この世のぼう大な書物の多くは<孫引き>ではないかと思うようになった。
 書物は古代からあるものを取っ替え流用しているに過ぎず、それをどんどんさかのぼらなければ、真のオリジナルへはたどり着けないと悟った。

 ・・・記すためには当然文字を使う。
 だが文字は、自分の考えを伝えたり心にわき上がる思いを紙の上にたたきつけるようなものではない気がする。
 そういう目的なら、絵や図式の方がふさわしいだろう。
 文字はいってみれば、先人の仕事を効率よく孫引きするための便利なコピーメディアだ。
 つまり記すということは、毎日知らず知らず<写経>をしているようなものだ。
 

 既にあるものをどんどん書き写していく。
 その快楽と欲求のために人は字を<記す>のではないか。
 内容のオリジナリティや価値を追い求めるのではない。
 書き写すことによって、ある満足や納得に達しているのだろう。 
 生命体がDNAをコピーすることで繁殖していくように、人も自分のコピー、つまり子供を作るバーチャルな代替行為として、文字をコピーしているのかも知れない。
 生殖とコピー行為。
 二つの快楽は、どうも通じている気がする。
 <字>は家を表わす<うかんむり>の中に<子>を書く。
 
 これは、新しい一個の人間誕生の儀式を表わしているととれる。
 神は、人を存在物として認めたあかしに名前を授け、そして寿命を管理する天帝の台帳に文字で登録する。
 だから<字>を<あざな>とも読むのだろう。
 神に自分の存在を伝えるための最初のメディアが<字>だった。
 だから、字を書き写すことは、それだけで喜びを与えてくれる行為だった。

 ─続く─

 一度<貧困>を茶化しているとしてお蔵入りになった、鳥取県のゆるキャラ<かつ江さん>が黒鉄ひろしが連載漫画に登場させたことで、これからマスコミをいろいろな意味でにぎわすことになりそうだ。
 
 <かつ江さん>は鳥取城が秀吉による落城戦で多くの犠牲者を出したことのシンボルだ。