昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

なるほど!と思う日々(296)文明(9)

2014-09-04 03:36:04 | なるほどと思う日々
 映画監督大林宣彦は、<私の描いた安倍定>の中で、<文明>について、手足は便利になるけれど、心にはちっともかかわってこない、と嘆いている。
 

 人間というものは米を研いで排泄して、朝を迎えて、寒さがあって暑さがあって、その中でともかく一所懸命、肉体を動かして生きている。
 
 そして肉体の中に心なるものがあるんだけど、見えはしない。
 その心の住んでいるところが、おかしくも哀しくもある。
 けれども、ともかく自分で行動することに生きる意味も実感もある。
 命の有効性、実用性というのか。・・・
 生活実感を持つということは、自分が限りなく不透明な存在になるということですよね。
 だけど、いまの時代はみんな透明になりたがっている。
 自分の存在を消したがっている。・・・
 
 
 現代の殺人はほとんどとばっちりみたいなものですよ。
 
 
 定の場合はね、確かにここに<私>がいて、確かにそこに<あなた>がいた。
 そして、<私>と<あなた>との関係を、より強く深く結びつけようとすることが殺人につながったという意味で、同じ殺人でもまったく意味が違いますね。
 
 殺人の中にも人間の心があり、人間の顔が見えていた。

 生活実感がなくなったのは、まず春夏秋冬という季節感を失い、明るさと暗さという一日のメリハリも失いました。
 また、<文化>という意味での生活体系をまったく失ってしまって、私たちは<文明>という生活体系だけを手に入れましたね。
 <文明>によって手足は便利になるけれども、心にはちっともかかわてこない。
 
 だから人間関係も希薄になり、<私>が<私>である理由もない。
 美しさとはね、<私>と<誰か><何か>との関係から生まれるものですから。・・・
 
 ─続く─
 
 一旦掲載を拒否した池上彰氏のコラムを朝日新聞は、今日おわびの言葉とともに掲載した。
 
 こてんぱんに批判している週刊新潮の広告も黒塗りすることなく掲載している。
 
 池上氏は「過ちてあらたむるに憚ることなかれ」という言葉を思い出して掲載に同意した旨コメントしている。
 
 しかし<従軍慰安婦>問題で池上氏が求めた<謝罪>は行っていない。
 アメリカ人の弁護士、ケント・ギルバート氏も言っているが、「騙された。韓国も騙されて慰安婦像なんかつくっちゃった。韓国にもお詫びすべきだ」と言っている。
 朝日新聞にとっては、まだまだ決着がついていないようだ。
 ・・・寂しい・・・