昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

なるほど!と思う日々(253)日本三分割の危機(2)

2013-09-24 04:16:00 | なるほどと思う日々
 
 事故後、福島第一原発を訪ねた吉田所長の高校時代の同級生が語っている。
「吉田は、僕から見ると高校時代から硬派ですからね。印象としては、ちょっと怖い感じだったですよ。・・・役員会議なんかでずけずけ本音でものを言うということは耳に入っていました。・・・吉田は免震重要棟にいて、迎えてくれましたよ。テレビ会議用のスクリーンがあるところに、なでしこジャパンのユニフォームが置いてあったのが印象的です。ワールドカップで優勝した鮫島彩選手のものです。
 
 吉田は、”これは、俺たちの守り神やねん”と嬉しそうに説明してくれました。TEPUCOマリーゼが福島にあったから、サッカー選手とは、親しかったみたいでね。北京オリンピックの時も、ちょうどなでしこジャパンの試合があった時に、私、都内で吉田と会っていたんですよ。その時に、二次会行こうかって言ったら、”今日はこれからサッカーの試合を見なあかんから、申し訳ないけど、俺、先に帰る”と帰って行きました。吉田は女子サッカーには相当、力が入っていましたよ。事故後あったワールドカップでなでしこジャパンが優勝したことに、随分、勇気をもらったんじゃないでしょうか」

 分かるな・・・。猛者にもこんな愛すべき一面があったのだ。

 吉田は、事故から8か月後、突然、食道癌の宣告を受けた。凄まじいストレスの中で闘ってきた吉田の身体は、いつの間にか癌細胞に蝕まれていたのである。・・・
 それは、生と死の狭間で踏ん張った吉田に、あまりに過酷な運命だった。さらに詳しい検査のために入院した吉田は、福島第一原発の所長を、後任の高橋毅に譲った。
 吉田が福島第一原発に戻り、闘いの日々を過ごした免震重要棟の緊対室で、全員に対して挨拶をすることができたのは、2011年12月初めのことである。
「・・・こういう状態でここを去るのは非常に心苦しいし、断腸の思いです。・・・まだまだ困難なことがつづくでしょうが、皆さんにはそれをどうか乗り切って欲しいと思います。福島県の人だけでなく、日本中の人たちが皆さんに期待しています。・・・私も必ずここに戻ってきたいと思います」
 それは吉田の万感をこめた挨拶だった。吉田が話し終ると、緊対室に万雷の拍手が巻き起こった。・・・

 長時間に及んだ取材の中で、最も私の心に残ったのは、吉田が、想定していた<最悪の事態>について語ったことだった。・・・
「格納容器が爆発すると、放射能が飛散し、放射線レベルが近づけないものになってしまうんです。・・・福島第二原発にも近づけなくなりますから、全部でどれだけの炉心が溶けるかという最大を考えれば、第一と第二で計10基の原子炉がやられますから、単純に考えても、”チェルノブイリX10"という数字が出ます。その事態を考えながら、あの中で対応していました。だからこそ、現場の部下たちの凄さを思うんです。それを防ぐために、最後まで部下たちが突入を繰り返してくれたこと、そして、命を顧みずに駆けつけてくれた自衛隊をはじめ、たくさんの人たたちの勇気を称えたいんです・・・」

 私が斑目春樹原子力安全委員長に吉田のこの話を伝えると、斑目は、こう語った。
 
「・・・私は吉田さんの言う想定よりも、もっと大きくなった可能性があると思います。近くには茨城の東海原子力発電所もありますからね。福島第一が制御できなくなれば、福島第二だけでなく、茨城の東海第二発電所もアウトになったでしょう。そうなれば日本は”三分割”されていたかもしれません。汚染されて住めなくなった地域と、それ以外の・・・」
 
 そういえば、事故が発生したとき、在京の海外大使館の中で、避難命令が出て大阪に大使館を移動させたという例が多くあった。 
 こういった可能性のある原発を人類は今なお世界中に多数抱えている。
 廃炉するにも課題は多い。
 人類はそれでもなお、自らの叡知を信じ前へ進む。
 悪魔のエネルギーといえどもコントロールできると信じている。
 自然界からみればそういう人類の営みはどう見えるのか?
 ぼくはそのことを<レロレロ姫と三島くん>という小説で世に問いたいと思っている。