昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

昭和のマロの考察(15)官僚(2)

2010-08-10 05:35:43 | 昭和のマロの考察
 かような官僚も、まだ成りたての頃はこんな殊勝なことを言っている。

 恐ろしいと思うのは自分の世界が同質的な人の集まりで、考え方や感じ方が知らないうちに類型化してしまう。
 自分たちの職場だけでしか通用しない言葉だけしか言わなくなっているんですね。冗談まで類型化する。
 気がついてみるともうすでに数限りなくただ酒をのんでいる。
 こういう神経の慣れにはよほど注意したいと思いますね。(社会人一年生座談会・中央公論・1967年より)


 そう言っていたエリート官僚は大蔵省主計局次長にまで昇進、事務次官候補とも言われていたが、不明瞭な蓄財、接待などにからみ辞職している。
  


 誰が、あるいは何がこの純真な若者をこんな風に汚してしまったのか。

 こういう組織が汚職問題を引き起こすのは当然の成り行きだと、当時民主党の枝野幸男は言っている。

 問題点のひとつは官僚の匿名性。だれが責任者かわからないから結局みんな無責任ということにつながる。
 もうひとつは、官僚の裁量の幅が広すぎること。
 できること、できないことがはっきりして、裁量の幅が狭ければ、接待をしていてもゆがめようがない。
 裁判官のあまりないのと対照的だ。


 具体的にどういう風に汚職が行われたのか。

 ─続く─