昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

昭和のマロの考察(16)官僚(3)

2010-08-11 05:51:20 | 昭和のマロの考察
 「影の総理」「政界の黒幕」と異名をとり、権謀術数のかぎりを尽くして政敵に恐れられた<野中広務>が、まだ地方の役人をしていた頃の興味深いエピソードがある。
 
 魚住昭の<野中広務・差別と権力>から転載させていただく。

 野中の町長時代・・・園部川は翌年にも氾濫した。被害額は約二億五千万。立て続けの水害で町財政は極度の窮迫に陥った。
 だが、ピンチも対応次第でチャンスに変わる。
 災害復旧事業に国から全額支給される予算を利用すれば、老朽化した橋をつけかえ、立派な堤防や道路をつくることができる。

 現状復旧から改良復旧への発想の転換である。その上復旧事業には必ず二割の管理費経費がついてくる。
 工事の設計や監督などのための費用だが、それをうまく運用すれば役場の人件費が浮き、町の財政は豊かになっていく。・・・
 
 野中は復旧工事の査定の際にも辣腕ぶりを発揮した。

 建設省の役人が査定にくるたびに、助役や議長と一緒に町一番の料亭<三亀楼>で接待したのである。・・・「野中はそこで賭け麻雀をやって、わざろ役人たちに20万円ぐらい負けてやった。そうしたら翌日、役人たちは現地をろくに見もしないで、こっちのもくろみ通りの査定をして、次の予定地に行ってしまう。それが行政能力のある町長のやることや。能力のないやつなら、ただ接待して終わり。そうしたら役人たちは次の日、現地を次々と見て回って厳しい査定をする」

 1960年10月4日の<京都新聞・丹波版>によると、薗部町は9月末から5日間にわたって建設省の主任査定官による水害復旧工事の第一次査定を受けたが、橋、河川、道路いずれも町の見込み額を上回る工事見積もりがそれぞれ査定を通過したという。

 相次ぐ水害は町の財政をうるおしただけでなく、土建業者たちにも相当な儲けをもたらした。ある土建業者いわく。
「川の仕事はもうかるんや。なぜかというたら、川の中のことは役人が査定してもわからん、上から見ても何も見えんからな。いくらでも手抜きができる。川床に直径5センチの角材を敷く決まりになっておっても、一部だけそれを使って写真に撮っておけば、残りはそれよりもずっと小さい角材を使ってもだれもわからんというわけや」


 ─続く─