昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

昭和のマロの考察(13)言葉(コミュニケーション)13

2010-08-03 05:24:15 | 昭和のマロの考察
 <ITとコミュニケーション>
 ─センスあるコミュニケーション─

 ぼくが退職してから参加した地元の<シニアSOHO普及サロン・三鷹>の活動の中で、当時、三鷹市高齢者福祉課長をされていた安生裕子さんから、掲題のタイトルで講演をいただいた。
 とても興味深いものだったので、ぼくのメモからで恐縮だが再録してみたい。

 身の回りには、自動発券機、自動改札口、自動販売機、自動ドア等々、自動という名のつくものが多い。この普及率は日本が世界一。
   

 役所の書類を交付するにも、社員の長期休暇届けなどでも今や自動化し、社員間の会話でさえもメールで済ますなど、携帯電話、インターネットの普及とあいまって、人と面と向かってしゃべらなくても事足りる時代になっています。
  

 中には一日中何も話をしないまま退社する日さえあって、このままでは技術の発達が人間社会から言葉を奪ってしまうのではと、危機感を持っているOLもいます。
 コミュニケーションが何の挨拶もなしに済んでしまう。目的さえ達成すればいいものなのでしょうか。少なくとも挨拶をしようという意識を持たなくなったら、職場のコミュニケーションはずたずたになってしまうでしょう。
 コミュニケーションセンスのない人は、もともと人間関係が苦手な場合が多いが、さらにその関わりを排除していって、メールにより構築した自分の世界に埋没していく。
 そしてメールを重ねた結果、センスないどうしで会うことになって殺人にまで発展してしまったというケースさえあります。
 人に会って話をすることと、メールのやりとりをすることは全く違う能力を必要とするのではないでしょうか。
 逆にセンスのある人がITを活用すると人間関係が広がります。これはメールだけで済ましていないからでしょう。・・・

 先日、羽田空港で男性とぶつかって、袖のベルトと男性の背広の袖のボタンが絡んでしまい、外そうと焦っているとき、70歳ぐらいの白髪の男性に「どうぞごゆっくり。多生の縁じゃないですか」と言われ、・・・そうか、袖振り合うも多生の縁か・・・と、とっさの何としゃれた言葉といたく感心し、言葉は人の心に火をつけるといいますが、その日一日気分よくすごせました。
 こういうのをコミュニケーションセンスというのではないでしょうか。