EF651000番代牽引 20系寝台客車:寝台特急「あけぼの」
特急「あけぼの」は、昭和45年10月に誕生した奥羽本線初となる寝台特急。実際には毎日運転の臨時特急として前倒しで設定されたそうです。
登場当初から20系寝台客車を使用し、1往復による運転で登場しますが、利用好調により昭和48年10月ダイヤ改正で秋田行きが1往復増発されます。
さらに、昭和57年11月のダイヤ改正で急行「津軽」1往復を格上げし、3往復体制となりました。
軽量客車の宿命で老朽化の激しかった20系客車。昭和50年代になると早くも老朽廃車が多くなり、全国でも最後の20系客車使用の定期寝台特急となった「あけぼの」も、昭和55年10月ダイヤ改正で24系に置き換えられることになりました。
直流区間の牽引機は、専ら宇都宮運転所のEF651000番代が担当していました。EF65PFは、東北本線の高速列車における象徴のような存在でした。
※臨時特急「あけぼの」には、EF58やEF57が牽引していた記録があるようです。
今回は、20系が活躍していた時代の寝台特急「あけぼの」の写真をご紹介したいと思います。
昭和51年頃 上野駅にて
リコーオートハーフを使用していた時代なので、残念ながらブレブレです。ナンバーの読み取りは厳しいのですが、印象としては1045号機のように見えます。
ヘッドマークがないため、撮影の狙いは後部のナハネフ22でした。ホーム端にあるごみ運搬用のカゴも懐かしく、この写真の数年後、バイトでこのカゴを引くようになるとは思ってもいませんでした。
昭和52年頃 蕨~西川口間にて マニ20
一眼レフの導入により、ある程度走行写真もそれなりに撮れるようになった時期。夏休みくらいでしょうか、早朝から撮影に出ることもあったようです。
この頃になると、特徴のある電源車の写真も撮りたくなったみたいで、ヘッドマークのない機関車は重点とせず、2両目に連なる電源車に目標が定まった構図です。
この写真では、次位にマニ20が連結されています。登場時のパイオニア形式ですが、荷物室のサイズが仇となり、登場時の3両の製造に留まりました。
マニ20は、昭和52年中に廃車・形式消滅となってしまったようなので、この写真も最晩年の活躍のシーンとなってしまったようです。
昭和52年頃 蕨~西川口間にて カニ22
こちらも同じような構図ですが、次位にはパンタグラフを撤去したカニ22が連結されています。この頃は、既に武骨なスタイルのカニ22が大好きになっていました。
当時は荷物車の連結位置が上野寄りと決まっており、上野駅からの回送もすべて推進運転となっていましたので、電源車の顔を撮るには夜の上野駅へ出向くしかありません。しかし、今の世の中と違い、中学生ではそのような行動に限界があったため、このような写真で満足するしかありませんでした。
昭和55年7月23日 南浦和~蕨間にて
スキャンのモードを間違ったため、見難い写真ですみません。
20系客車使用の晩年で、電源車は最もメジャーなカニ21になっています。
マニ20は既に廃車され、カニ22も廃車又は24系化による改造で居なくなっていたと思います。
この時代は既にヘッドマークが外されているため、機関車の写真を撮ることなど考えられず、走行写真も殆ど撮っていませんでした。
そんな中でも、たまたま撮っていた写真に写っていたこれら貴重な電源車。末期の活躍時代のシーンを記録に残すことができましたので、大変ラッキーだったと思います。
寝台特急「あけぼの」に関しては、過去ログで数々のまとめをしていますので、時間があったら下記リンクからご覧ください。
EF641000番代牽引:寝台特急「あけぼの」
EF6437牽引:寝台特急「あけぼの」
EF6438牽引:寝台特急「あけぼの」
EF81青森機牽引:寝台特急「あけぼの」
EF81田端機牽引:寝台特急「あけぼの」
EF510代走牽引:寝台特急「あけぼの」
ED75700牽引:寝台特急「あけぼの」
EF65PF重連牽引:臨時特急「あけぼの52号」返却回送
20系寝台客車:寝台特急「あけぼの」(カニ21・22編)
20系寝台客車:寝台特急「あけぼの」(ナハネフ22・23編)
24系寝台客車:寝台特急「あけぼの」
オハネ24551:寝台特急「あけぼの」(乗車記)
583系:臨時寝台特急「あけぼの81号」(秋田車)
583系:臨時寝台特急「あけぼの81号」
寝台特急「あけぼの」:あり得ない牽引機編
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特急「あけぼの」は、昭和45年10月に誕生した奥羽本線初となる寝台特急。実際には毎日運転の臨時特急として前倒しで設定されたそうです。
登場当初から20系寝台客車を使用し、1往復による運転で登場しますが、利用好調により昭和48年10月ダイヤ改正で秋田行きが1往復増発されます。
さらに、昭和57年11月のダイヤ改正で急行「津軽」1往復を格上げし、3往復体制となりました。
軽量客車の宿命で老朽化の激しかった20系客車。昭和50年代になると早くも老朽廃車が多くなり、全国でも最後の20系客車使用の定期寝台特急となった「あけぼの」も、昭和55年10月ダイヤ改正で24系に置き換えられることになりました。
直流区間の牽引機は、専ら宇都宮運転所のEF651000番代が担当していました。EF65PFは、東北本線の高速列車における象徴のような存在でした。
※臨時特急「あけぼの」には、EF58やEF57が牽引していた記録があるようです。
今回は、20系が活躍していた時代の寝台特急「あけぼの」の写真をご紹介したいと思います。
昭和51年頃 上野駅にて
リコーオートハーフを使用していた時代なので、残念ながらブレブレです。ナンバーの読み取りは厳しいのですが、印象としては1045号機のように見えます。
ヘッドマークがないため、撮影の狙いは後部のナハネフ22でした。ホーム端にあるごみ運搬用のカゴも懐かしく、この写真の数年後、バイトでこのカゴを引くようになるとは思ってもいませんでした。
昭和52年頃 蕨~西川口間にて マニ20
一眼レフの導入により、ある程度走行写真もそれなりに撮れるようになった時期。夏休みくらいでしょうか、早朝から撮影に出ることもあったようです。
この頃になると、特徴のある電源車の写真も撮りたくなったみたいで、ヘッドマークのない機関車は重点とせず、2両目に連なる電源車に目標が定まった構図です。
この写真では、次位にマニ20が連結されています。登場時のパイオニア形式ですが、荷物室のサイズが仇となり、登場時の3両の製造に留まりました。
マニ20は、昭和52年中に廃車・形式消滅となってしまったようなので、この写真も最晩年の活躍のシーンとなってしまったようです。
昭和52年頃 蕨~西川口間にて カニ22
こちらも同じような構図ですが、次位にはパンタグラフを撤去したカニ22が連結されています。この頃は、既に武骨なスタイルのカニ22が大好きになっていました。
当時は荷物車の連結位置が上野寄りと決まっており、上野駅からの回送もすべて推進運転となっていましたので、電源車の顔を撮るには夜の上野駅へ出向くしかありません。しかし、今の世の中と違い、中学生ではそのような行動に限界があったため、このような写真で満足するしかありませんでした。
昭和55年7月23日 南浦和~蕨間にて
スキャンのモードを間違ったため、見難い写真ですみません。
20系客車使用の晩年で、電源車は最もメジャーなカニ21になっています。
マニ20は既に廃車され、カニ22も廃車又は24系化による改造で居なくなっていたと思います。
この時代は既にヘッドマークが外されているため、機関車の写真を撮ることなど考えられず、走行写真も殆ど撮っていませんでした。
そんな中でも、たまたま撮っていた写真に写っていたこれら貴重な電源車。末期の活躍時代のシーンを記録に残すことができましたので、大変ラッキーだったと思います。
寝台特急「あけぼの」に関しては、過去ログで数々のまとめをしていますので、時間があったら下記リンクからご覧ください。
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