マル鉄・鉄道写真館

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国鉄 20系寝台客車:ナハネフ21・ナハネフ23

2020-04-18 02:05:00 | 試験・事業車、配給、列車車両等
国鉄 20系寝台客車:ナハネフ21・ナハネフ23


鉄道ファンであれば、必ず大好きな車両や列車があると思います。
特に子供の頃に鉄道ファンになったのであれば、初めて見た車両、初めて乗った列車など。特に洗練されたスタイルの特急列車などに憧れた方も多いと思います。

私も鉄道好きになったのは小学生の低学年であり、国鉄沿線の地元で見られる列車が情報が全て。その中で特に大好きになったのは583系寝台特急列車でした。

しかし、初めて時刻表を買ってもらった時、鉄道の世界の見え方がまるで違ってきました。
全国各地に様々な名前の列車が走っている。客車列車、電車列車、気動車列車・・・特急列車、急行列車・・・そういえば、蒸気機関車の引く列車にはSLのマークも付いてましたね。

そして、小学5年生のとき、どうしても関西の特急列車の写真が撮りたくて、わがまま言ってじいさんに連れて行ってもらいました。


その頃になると、東京口のブルトレも存在を知っていましたし、地元を通る「あけぼの」や、回送ですが「ゆうづる」などに使用される20系も好きになっていました。
早朝の大阪駅で、「あかつき」「彗星」「明星」といった寝台列車を夢中になって撮りましたが、残念ながら当時の高価な写真代から撮影できる枚数が限られており、1列車1枚というしばりを自分で作ってしまい、殆どの20系を撮り損なっていました。


そんな中で、衝撃的な出会いがありました。



昭和49年8月 大阪駅にて ナハネフ21 特急「日本海」

たまたま新大阪寄りの階段を昇ってホームへ出ると、青森からの「日本海」が到着していました。
もちろん20系客車だったのですが、それが切妻型のナハネフ21でした。
20系客車は、それまでに東京駅におけるブルトレを見ていたので知っていましたが、流美なカニ21やナハネフ22ばかり見ていましたので、全く違うシルエットの車両を初めて目にし、衝撃を受けてしまいました。
当時はナハネフ23だと思っていましたが、当時の青森運転所の配置状況から、ナハネフ21であることは後になってから知りました。

この時以来、すっかりナハネフ21、ナハネフ23のファンになってしまいました。


しかし、本来中間に連結され、切り離しをしたときに初めて姿を見せる車両であるため、フル編成で集まる都心で見ることは殆どなく、憧れだけが募ることになります。
そんな中、地元にも姿を見ることができるようになりました。これは、中学生になって活動の時間が拡がったことで分かるようになったものです。



昭和51年 大宮駅にて 「ゆうづる」入庫回送

常磐製経由の「ゆうづる」でしたが、3往復設定されていた20系客車のうち2本は、尾久推進回送後にカマを付け替え、東大宮操へ回送されていました。その列車を早朝の地元で見ることができたのです。
大宮駅で撮影していると、「ゆうづる」の回送列車がやってきて、大宮駅で運転停車します。そこで初めて「ゆうづる」にも切妻型のナハネフが連結されていることを知ります。
さらに、窓の大きさの違いから、ナハネフ23ではなく、座席車改造のナハネフ21であることを知ります。



昭和51年 上野駅にて 特急「ゆうづる3号」&「ゆうづる2号」

そんな衝撃的な発見から、早速早朝の上野駅へ出掛け、20系「ゆうづる」を捉えることができました。

しかし、この写真を撮って間もなく、「ゆうづる」に東海道ブルトレの25形化ではじき出された24系が青森運転所へ転入することになり、「ゆうづる」の20系運用は消滅することになります。



昭和52年 蕨~西川口間にて 急行「天の川」

特急列車からの淘汰が進む20系客車でしたが、車齢の若い状態の良い車両は急行列車の10系寝台の代わりとして使用されるようになり、「ゆうづる」や「日本海」を追われた20系は、急行寝台列車用として尾久客車区へ転属します。
その結果、急行「新星」や「天の川」にナハネフ21が使用されるようになり、「新星」ではしんがりの8号車に、「天の川」では写真のように後部から2両目に連結されることが多かったようです。


一方、全車寝台化と分割需要の拡大により誕生した新製ナハネフ23(一部ナハフ21からの改造車あり)ですが、「あさかぜ」の中間に繋がっていたりするのを見たことがあったくらいであり、やはりこれを都心で撮影するのは難しい存在でした。



昭和52年3月頃 上野駅にて ナハネフ23 特急「あけぼの」

20系の登場から20年弱ですが、軽量車体が仇となって老朽化が早まり、廃車される車両がでてきました。また、急行等への使用列車が出てきたためか、中間に収まっていたナハネフ23もしんがりを務めるようになったようです。



昭和55年頃 大宮駅にて ナハネフ23 特急「あけぼの」

特急列車として最後まで残った「あけぼの」。廃車や急行列車への格下げも増え、いよいよ緩急車が足りなくなってきたようで、ナハネフ23が常用されることも多くなってきたように思います。



昭和55年3月 青森駅にて ナハネフ23 特急「あけぼの」

こちらは青森駅でとった下り「あけぼの」。秋田回転車2両を切り離すため、ナハネフ23しか見ることができない区間になります。



上野駅にて ナハネフ23 特急「北陸」

昭和50年3月改正で誕生した「北星」「北陸」にも20系客車が使用されるようになりますが、わずか3年半で14系客車へと置き換わってしまいます。
カニ21&ナハネフ22のコンビばかりのイメージでしたが、ご覧のように稀にナハネフ23が使用されたことがあったようです。
写真は同級生のもーまんさんから提供を受けたもので、自身としては一度も目撃したことはありませんでした。



昭和57年11月6日 上野駅にて ナハネフ23 急行「新星」

20系急行列車も終焉となる頃、むしろナハネフ23の方が多い印象でした。



昭和56年? 東京駅にて ナハネフ23 臨時特急「あさかぜ52号」

一方で、運用を外れ余剰気味となっていた20系客車は、臨時列車にも使用されるようになりました。
首都圏に運用されるスジはこの「あさかぜ」くらいしかありませんでしたが、広島や下関以遠に行かないと見ることができなかったナハネフ23「あさかぜ」を撮ることができたのは非常にうれしいものでした。


晩年は1000番代や2000番台に改造され、12系併結で夜行急行列車などに各方面で使用されるようになります。
しかし、帯が消えてしまったり、色の合わない車両同士の連結にはまったく魅力を感じることはできず、全く撮影することはありませんでした。特に、設定当初はマークも用意されていなかったので、余計に写欲も湧きませんでした。

そんな彼らの最後の活躍を無視してしまった形となり、たった1枚の写真さえも撮っていなかったことについては、悔いが残る結果となっていましました。



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