マル鉄・鉄道写真館

鉄道・バス・航空機・はたらくクルマなど、乗り物全般の歴史をご紹介しています。

JR東日本 E751系(中間車)

2016-08-15 02:16:00 | 試験・事業車、配給、列車車両等
JR東日本 E751系(中間車)


E751系は、青函トンネル用485系の後継車として平成11年~12年に掛けて誕生したJR東日本の車両です。
製造は近畿車両・東急車両で、6両編成×3のわずか18両にとどまっています。これは、もしかしたら新幹線の函館延伸や、JR北海道車両の導入を見据えていたのかもしれません。

誕生当初は特急「スーパーはつかり」用として使用されましたが、平成14年12月に東北新幹線が八戸まで延伸されると、青函特急の速達タイプは「スーパー白鳥」となってJR北海道の789系へ移行されたため、E751系は八戸~青森・弘前間の「つがる」へと、ローカル特急に格落ちしてしまいます。

さらに東北新幹線が新青森まで延伸されると、E751系は完全に行き場を失ってしまい、休車になってしまいます。平成22年12月に休車になりましたが、この時点でまだ製造後10年でした。

特急「かもしか」の後を「つがる」として引き継いだのは485系3000番代でしたが、平成23年4月から4連化されたE751系が使用されることになり、なんとか活路が見出せています。

しかし、特急「つがる」は4連でも輸送力は過剰であり、抜かれてしまった中間車2両×3は完全に出番が無くなり、青森車両センターで留置される日々が続きました。



平成24年3月13日 青森車両センターにて E751系中間車6連

青函連絡船の廃止後、初めて訪れた青森車両センターで、雪に埋もれたE751系を見つけました。その横には211系が2編成も疎開留置されており、なんとも悲しい光景に映りました。
確か、2年連続で記録的な大雪となり、写真を良く見ると、隣の211系と屋根の雪がつながってしまってます。動かないことが前提の留置であることがヒシヒシと伝わってきます。

結局この6両は復活する見込みは無く、平成27年11月30日付で廃車となってしまい、誕生からわずか15年で生涯を終えることになりました。



国鉄旧型荷物車:マニ372020

2016-08-13 23:13:00 | 荷物列車、荷物車
国鉄旧型荷物車:マニ372020


親記事で既にご紹介済みですが、こちらでも記録しておきます。



昭和60年7月7日 東大宮操車場にて

団体企画列車(ミステリー列車)に乗り、東大宮操車場での撮影会の際に撮影したものです。

マニ36をパレット積載用に改良した車両で、形式車号はマニ372020と読み取れます。

荷物輸送も廃止となり、荷物車を併結した夜行急行も新幹線の開業により次々と消滅。既に運用から離脱し、多分、廃車待ちになっていた車両だと思います。
マニ36等の荷物車は殆どが茶色塗装でしたが、マニ37は青色塗装だったために大変目立つ存在でした。地元の夜行列車でも急行「越前」に常連結されていました。
この辺り、定期的には急行「越前」で見ることが出来た車両です。急行「津軽」にも連結されていたという記録を良く目にしますが、何故か私が撮影した「津軽」はマニ36ばかりでした。ただ、モノクロ写真で区別が付かないものもありますが・・・

この時代はあまり個々の車両に着目して記録することもなかったので、形式写真風に撮影したマニ37はこの1枚だけでした。

※急行越前様より、同車は尾久客車区所属で、急行「津軽」に使用されていたものとのご教示を頂いております。



24系寝台客車:寝台特急「あけぼの」

2016-08-08 00:10:00 | 国鉄・JR特急列車
24系寝台客車:寝台特急「あけぼの」


上野~秋田・青森を結んでいた寝台特急「あけぼの」。

登場当初から20系が使用されており、地元を通るブルートレインとして非常に馴染みのある列車でした。
ただ、登場当初に掲げられていたヘッドマークは既に合理化で外されてしまい、その魅力はやはり20系客車側に終始しました。撮り易い朝方の上り列車は最後部がナハネフ22や23であり、これらは少なからず撮る機会がありましたが、上野方の電源車(カニ21・22)は夜発の列車しか撮ることができなかったため、記録もなかなか難しいものでした。


定期最後の20系使用寝台特急となった「あけぼの」ですが、昭和55年10月、とうとう24系化されてしまいます。
当然、ヘッドマークがない時代ですから、それなりに撮影していたと思われる24系「あけぼの」ですが、探してみたら一切ありませんでした。
柵の設置で地元での写真が撮れなくなったこと、それなりの年齢になり地方遠征が多く、駅撮りをしなくなったこと、ヘッドマークが復活して機関車側ばかり撮るようになったことが明らかな要因でしょうね。
そんなこともあり、24系客車(25形含む)の写真を撮るようになったのはここ数年のものだけとなってました。



平成19年8月4日 尾久車両センターにて

おそらく、24系になって初めて撮ったカニ24の写真。
雑誌で青森区の寝台車車両がかなり手を加えられていることは知っていましたが、あのカニ24100番代が非貫通化されたうえ、こんなにも不格好になってしまって・・・。
娘のポケモンスタンプラリーで立ち寄った際に見た光景。非常にショックでした。



平成20年2月10日 大宮駅にて



平成25年9月14日 南浦和~蕨間にて



平成26年8月9日 蕨~西川口間にて

いずれも同型と思われるカニ24。
最下段は既に臨時化された後の上り「あけぼの」。この出で立ちで金帯だから余計に不気味な感じでした。



平成19年10月6日 間にて



平成23年4月30日 蕨駅付近にて

こちらは貫通路が残されたまま金帯化されている100番代。老朽化修繕により雨樋の外出し改造がされていますが、概ねグレードアップ「あさかぜ」の印象を残したスタイルでした。



平成25年11月2日 南浦和~蕨間にて

こちらも貫通扉が存置されたままの100番代ですが、雨樋が改造されておらず、白帯化の不自然ささえ除けば原型に近い感じでした。



平成22年5月9日 蕨~西川口間にて



平成26年8月17日 蕨~西川口間にて

カニ240番代の後期車。やはり雨樋の外出し改造で形が崩れ、白帯化、余計な裾ラインでかなり悪印象ですが、末期では唯一残っていた0番代でしょうか?





平成26年5月4日 上野駅にて

臨時化後に撮影したオハネフ25100番代。

え?という今更の感想です。
最大で定期3往復まで発展し、オリジナルの24系白帯に加え、カヤ24を含んだオール白帯の美しい編成すら長く活躍した「あけぼの」でしたが、改めて過去の写真を探してみても、オリジナルのカニ24前期・後期、マヤ24を始め、オハネフ24やオハネフ25の銀帯オリジナルスタイルが1枚も記録されていませんでした。

おそらく、今まで撮ったブルトレの中でも一番身近で接していた列車でありながら、これだけ記録から脱落していた列車は無いと思われます。
やはり、20系では無くなってしまったショック、地元の安全柵、ヘッドマークの復活と、様々な要因が一番影響してしまった列車だったのでしょう。



続 485系:快速「ムーンライトえちご」

2016-08-06 01:30:00 | 国鉄・JR快速列車
続 485系快速「ムーンライトえちご」


新宿~新潟を結んでいた夜行快速列車「ムーンライトえちご」。
165系の撤退後、平成15年から485系新潟車が永く使用されていましたが、平成22年3月ダイヤ改正で急行「能登」が臨時化されると、これに485系新潟車を使用することになったため、183系マリ車(東大宮操常駐)に振り替えられ、485系新潟車による運転が一旦は消滅してしまいます。

しかし、平成24年3月ダイヤ改正以降、臨時急行「能登」の設定が無くなると、快速「ムーンライトえちご」にまた485系新潟車が充当されることになりました。



平成24年7月28日 485系K-2編成 遅8720M 快速「ムーンライトえちご」 

夏至の頃でも走行写真の撮影は不可能な「ムーンライトえちご」。この日は上越線ではかなり激しい豪雨があったようで、4時間以上も遅れて登ってきました。そのために地元で撮影することができたものです。
実は、編成が見えてから念のために置きピンしようと思ったところ、誤ってシャッターを切ってしまいました。慌てて構図を戻したもののド順光の車体正面の露出を拾ってしまい、ドアンダーの失敗写真になってしまいました。したがって、明るさコントラストで強引に安定化させた写真になります。

前記事から1枚だけアーカイブしていなかった写真。
整理し忘れかと思っていたら、運転設定時期が違っていたんですね。もうすっかり忘れていました。

そして平成26年春。3月中の臨時運転を「ムーンライトえちご」として設定されながらも、4月からは「えちご春の夜空」なんて変な名称に変更され、この春臨をもって以後は設定されることがなくなってしまいました。



配給回送:クモヤ+クハ481-800+クモヤ

2016-08-01 00:44:00 | 試験・事業車、配給、列車車両等
配給回送:クモヤクハ481-800クモヤ


今まで誤解されたままアルバムに飾られていた写真です。



撮影日未調査 東大宮~蓮田間にて

プリントからのスキャンなので画質が良くないのはご勘弁を。
クハ481を挟んでクモヤが回送する写真です。

今まで、クモヤ143+クハ481-800+クモヤ143だとばかり思っていました。
しかし、改めて見ると、前後はクモヤ145ですね。
この時代、関東はATCを搭載したクモヤ143ばかりでしたので、クモヤ145と言えば中京~関西独特の牽引車でした。地元ではまず見られ無い形式です。

まだ私が国鉄職員の頃の写真で、クハ481簡易貫通車800番代の改造車を輸送する情報を得て撮影に行ったものと記憶しています。
しかし、簡易貫通車はクハ480を名乗っており、特急「くろしお」の電化用として誕生した形式であることから、それは昭和52年頃の話なので、時代背景と辻褄が合いません。

今回、改めて調べましたら、状況がなんとなく見えてきました。

特急「くろしお」用として改造によって誕生したクハ480でしたが、「くろしお」を全381系化することによって不要となった485系は、福知山線電化によって必要となる特急「北近畿」で活用されることになりました。この際、短編成対応としてCP・MGが未搭載で誕生したクハ480では転用が出来ないため、CP・MG搭載工事を行い、形式をクハ481-800にすることになったようです。その工事を担当したのが大宮工場であることが分かりました。

大宮工場は、それまで機関車・客車・貨車の整備を行っていた工場でしたが、分割民営化に備えて電車の改造工事を実施するようになっていたようで、当時は全く知りませんでした。これは大船工場の廃止などの計画を見据えたものだったのかもしれません。


写真を見ると、テールランプの状況から大宮を出て北上していることになります。回送先となる関西とは逆向きのため、もしかしたら本線試運転の可能性も否定できませんが、それでしたら牽引車に関西のクモヤ145と伴走する必要もありませんので、場合によると蓮田折り返しで南下という可能性もあります。この点については記録も無く、当時の記憶もありません。

クハ481-800は大宮工場によって2両が誕生し、うち-802はクハ183-802へ再改造され、-801は特急「雷鳥」に使用され、廃止されるまで活躍しました。

情報の検索が便利になって、今やっとほぼ正しいと思われる当時の状況が見えてきました。
この時代にならなければ、誤解したまま保存された情報写真になっていたかもしれません。