マル鉄・鉄道写真館

鉄道・バス・航空機・はたらくクルマなど、乗り物全般の歴史をご紹介しています。

205系:埼京線(その1)

2014-02-09 17:01:00 | 国鉄・JR普通列車
205系:埼京線(その1)


埼京線に平成2年から登場した205系が全廃となります。
昭和60年の開業から103系が導入(山手線・赤羽線からの転入)で運行されましたが、比較的に早いうちから205系が入線し、山手線からの転入を待ってすべてが205系化されていました。

平成14年にりんかい線への乗り入れ開始により、りんかい70-000系との二人三脚となっていましたが、平成25年6月末からE233系か新製投入され、1年かからずにすべてが置き換えとなります。

私事、平成3年に新宿に転勤になった時には、既に205系化が完了し、新宿乗り入れも始まっていたため、赤羽線独立時代に比較すれば大変便利になっていました。
しかし、当時銀色の新車系の写真は一切記録しておらず、デジカメを導入してから初めて何度かシャッターを切ったくらい。

枚数は少ないですが、今回は(その1)として埼京線のスナップを集めてみます。



平成19年4月3日 新宿駅にて

これが埼京線を撮った初めての写真だと思います。デジタルになってからです。
東武からの乗り入れ1周年記念ステッカーを貼付した「スペーシア」と並ぶシーン。
現在は第2ホームと第3ホームが大きくずれており、スペーシアの塗装変更も相まって、当時のブログに「10年後は貴重な・・・」と記してありましたが、まだ7年弱で大きく様相が変わってしまいました。



平成21年3月28日 新宿駅にて

何気ない夜の新宿駅のシーンですが、この年の3がつ31日をもって大都市近郊区間内の駅から駅構内が全面禁煙となるため、その風景を記録したものです。元からラッシュ時間帯は禁煙タイムが儲けられていましたが、その言葉すら死語になってしまいました。
※新宿駅では、特急列車発着ホームのみ喫煙所が存置されています。



平成25年1月22日 赤羽駅にて 205系 埼京線 通勤快速 大宮行き

川越線内では強風によって運転分離されることが多々あり、このようなレアな組み合わせを見ることができます。
ケータイしか持っていないので写りが悪いですが、当時、E223系化発表の前であり、「記録に撮っておくべき」と述べていて、現実そのとおりとなりました。





サハ204-24


第9編成 クハ205-97


第9編成 サハ204-15


サハ204-39


第26編成 クハ204-137

いずれも平成25年9月17日に撮影したもの。
E233系が運用に姿を見せ始め、6扉車を中心に撮影しようと思って出掛けました。
しかし、りんかい線の運用が多くある時間に当たってしまったようで、ロケ地の不適さもあり、良い写真は撮れずじまいになってしまいました。



平成25年8月4日

オマケです。戸田・板橋の花火大会とのコラボ。


次回は新宿駅跨線橋工事によるイレギュラーなダイヤとなった日の記事をご紹介したいと思います。

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12系改お座敷客車:「ふれあいみちのく」

2014-02-04 02:15:00 | 国鉄・JR ジョイフルトレイン
12系改お座敷客車:「ふれあいみちのく


「ふれあいみちのく」は、国鉄分割民営化間近の昭和61年、盛岡鉄道管理局が余剰となっている12系客車を改造して導入したお座敷客車です。
当時は景気云々よりも国鉄としての増収対策のため、様々なジョイフルトレインが誕生しました。東北地域ではキハ58改造の小単位のものがいくつか誕生していますが、仙台と盛岡では12系6両編成が専属していました。

滅多に東京に姿を見せることがないため、撮影する機会はほとんどありませんでしたが、偶然にも2度だけ会ったことがありました。





昭和62年12月12日 盛岡駅にて

北海道に撮影に行く際、新幹線から「はつかり」への乗り継ぎのタイミングで、留置中の「ふれあいみちのく」に遭遇しました。
青森までは、写真の583系「はつかり」に乗りました。臨時だったか忘れましたが、時間の外れた続行列車で、9両編成の車内はガラガラでした。



平成2年10月21日 陸羽東線 立小路~羽前赤倉間にて

SL撮影のために登山した際、偶然にも「ふれあいみちのく」がDE10に牽かれてやってきました。もっと大きく撮りたいところですが、これでも645判で300mmの限界値でした。
逆光で見づらいのも残念ですが、自分にとっては貴重な記録となりました。

その後バブルの勢いもあったのか、地方の割には平成14年まで永らく活躍できたようです。

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旧型国電 51系:飯田線 冬編

2014-02-02 02:47:00 | 旧型国電
旧型国電 51系:飯田線 冬編


飯田線では最も両数が多くてポピュラーだった51系。
雑多な改造車が混じっていましたが、それでもオリジナルタイプのクモハ54やクハ68が最も多く在籍していました。(最後期はクモハ51は1両、その他はクモハ54)

特別な改造車等を除き、各季節ごとの写真をご紹介して来ましたが、今回の冬編で完結となります。









昭和58年1月11日 千代~天竜峡間にて

多分、直通しない区間運転の運用だったと思います。
飯田線の中でも一番の過疎区間であり、2両編成でも十分。荷物扱いも直通運用に任せておけばという感じだったのではないでしょうか。



昭和58年1月11日?

ちょっと日付と場所が曖昧です。辰野付近ではないかと思いますが、翌12日の朝だとばかり思っていましたら、どうも光線が夕方っぽいですね。11日の夕方の可能性も。
荷物を含まない4連です。



昭和58年1月12日? 沢渡駅にて

これもちょっと曖昧です。もしかしたら12日の朝、移動で乗った電車ではないかと思いますが・・・。



昭和58年1月12日 川岸~辰野間にて

こちらは間違いなく12日です。
運用番号が上の写真の車両と同じですので、川岸駅までこの電車に乗り、上諏訪辺りで折り返してきた電車を撮ったものならが合点がいきます。



昭和58年2月9日 伊那本郷~飯島間にて

こちらは別行程のものです。
荷無しの4連で、3両目に合いの子流電クモハ53007を挟んだ編成です。
この合いの子が先頭に出てくれないため、非常に歯がゆい思いをしていました。

KATOから飯田線旧型国電がシリーズ化されるようですが、特定車種が発売されるのは非常にうれしいですが、これら脇役がいないと、妙に不自然な編成になってしまうでしょう。
ここは特定番号とせず、トミックスのようなインレタで番号選択方式なんて言うのも一考かもしれませんね。

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