東武鉄道 熊谷線:キハ2000
東武鉄道熊谷線は、埼玉県熊谷市から北へ伸びる、わずか4駅間のミニ路線でした。
本来は、終点の妻沼(めぬま)から利根川を渡り、反対側から建設していた小泉線とつながる計画でしたが、第二次世界大戦の影響や利根川橋梁の工事に困難さから建設は休止になり、結局は利根川を越えることはできませんでした(昭和49年に正式に工事中止決定)。
同線は、東武鉄道の旅客営業線では最後まで残った非電化路線としても有名な存在でした。キハ2000型が3両配置され、原則単行運転でラッシュ時には重連が組まれていたこともあったようです。全線が1閉塞(へいそく)区間で、途中に交換設備はありませんでした。
私が高校3年生になったとき、当時の国鉄でも赤字ローカル線の廃止が騒がれていた頃、東武鉄道の中でも異端であり超赤字であった同線の廃止が取り沙汰されるようになり、同級生と初めて訪れることになりました。
撮影は、すべて昭和56年8月28日 妻沼駅にて。
終点 妻沼駅にたたずむキハ2000
妻沼駅を後にするキハ2000
キハ2000の運転台
熊谷に向けて出発を待つキハ2000
この日は生憎の雨模様。しかもモノクロであったため、かなり硬調な写真になってしまいました。
我が家から一番便の良い場所にあったローカル線ですが、まだ高校生でクルマを運転できたわけではありませんので、なかなか訪問の機会はありませんでした。
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東武鉄道熊谷線は、埼玉県熊谷市から北へ伸びる、わずか4駅間のミニ路線でした。
本来は、終点の妻沼(めぬま)から利根川を渡り、反対側から建設していた小泉線とつながる計画でしたが、第二次世界大戦の影響や利根川橋梁の工事に困難さから建設は休止になり、結局は利根川を越えることはできませんでした(昭和49年に正式に工事中止決定)。
同線は、東武鉄道の旅客営業線では最後まで残った非電化路線としても有名な存在でした。キハ2000型が3両配置され、原則単行運転でラッシュ時には重連が組まれていたこともあったようです。全線が1閉塞(へいそく)区間で、途中に交換設備はありませんでした。
私が高校3年生になったとき、当時の国鉄でも赤字ローカル線の廃止が騒がれていた頃、東武鉄道の中でも異端であり超赤字であった同線の廃止が取り沙汰されるようになり、同級生と初めて訪れることになりました。
撮影は、すべて昭和56年8月28日 妻沼駅にて。
終点 妻沼駅にたたずむキハ2000
妻沼駅を後にするキハ2000
キハ2000の運転台
熊谷に向けて出発を待つキハ2000
この日は生憎の雨模様。しかもモノクロであったため、かなり硬調な写真になってしまいました。
我が家から一番便の良い場所にあったローカル線ですが、まだ高校生でクルマを運転できたわけではありませんので、なかなか訪問の機会はありませんでした。
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