103系:仙石線
東北地区では珍しい、直流区間となっている仙石線。
かつては17m国電やモハ73系といった、首都圏で活躍していた旧型国電が走っていましたが、全国的な旧型国電の淘汰により、103系化されました。
昭和55年 矢吹駅?にて 側線に留置されるウグイス103系
昭和55年初頭、多分東北本線の矢吹駅だったという記憶です。逆光で見づらい写真で申し訳ありませんが・・・
交流区間における103系の留置は、おそらく仙石線への異動待ちであるだろうという想像はつきました。
側線には2編成が止まっており、両方ともクモハ103入りの4両編成。手前の編成は、3両目のサハだけスカイブルーとなっています。
山手線ではクモハ103は使われていなかったと思いますので、おそらく、時期的にも横浜戦のATC区間乗り入れに伴う非ATC車の淘汰による押し出しと考えられます。
ちなみに、仙石線で103系が使用されるようになったのは昭和54年頃からとなっているので、この時も置換え途上であったのではないかと思われます。
平成15年9月19日 仙石線 下馬~多賀城間にて
石巻線の貨物列車を撮影しがてら、仙石線経由で仙台に戻りました。
当時、205系が導入され、103系は1編成か2編成くらいしか残っていなかったかもしれません。そんな中、あきらめかけた頃にやっと出会えたのがこの1枚です。
1度は運用から撤退しながらも、2年ほどの休車期間を経て、復活したのも驚きでした。高架化工事により運用車が不足するための措置でしたが、工事終了後は余剰になり、2度目の撤退となりました。そして、それが東北地区における最後の103系となりました。
関連リンク
『仙石線:73系アコモ改造車』
『国鉄 川越線:103系3000番代(元モハ72970番代)』
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東北地区では珍しい、直流区間となっている仙石線。
かつては17m国電やモハ73系といった、首都圏で活躍していた旧型国電が走っていましたが、全国的な旧型国電の淘汰により、103系化されました。
昭和55年 矢吹駅?にて 側線に留置されるウグイス103系
昭和55年初頭、多分東北本線の矢吹駅だったという記憶です。逆光で見づらい写真で申し訳ありませんが・・・
交流区間における103系の留置は、おそらく仙石線への異動待ちであるだろうという想像はつきました。
側線には2編成が止まっており、両方ともクモハ103入りの4両編成。手前の編成は、3両目のサハだけスカイブルーとなっています。
山手線ではクモハ103は使われていなかったと思いますので、おそらく、時期的にも横浜戦のATC区間乗り入れに伴う非ATC車の淘汰による押し出しと考えられます。
ちなみに、仙石線で103系が使用されるようになったのは昭和54年頃からとなっているので、この時も置換え途上であったのではないかと思われます。
平成15年9月19日 仙石線 下馬~多賀城間にて
石巻線の貨物列車を撮影しがてら、仙石線経由で仙台に戻りました。
当時、205系が導入され、103系は1編成か2編成くらいしか残っていなかったかもしれません。そんな中、あきらめかけた頃にやっと出会えたのがこの1枚です。
1度は運用から撤退しながらも、2年ほどの休車期間を経て、復活したのも驚きでした。高架化工事により運用車が不足するための措置でしたが、工事終了後は余剰になり、2度目の撤退となりました。そして、それが東北地区における最後の103系となりました。
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『仙石線:73系アコモ改造車』
『国鉄 川越線:103系3000番代(元モハ72970番代)』
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