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マル鉄・鉄道写真館

鉄道・バス・航空機・はたらくクルマなど、乗り物全般の歴史をご紹介しています。

国鉄 貨車(車掌車):ヨ2000?ヨ5000?

2020-09-12 16:40:00 | 貨車
国鉄 貨車(車掌車):ヨ2000?ヨ5000?


このところ貨車とか貨物列車の記事をばかリ。
記憶だけではいい加減なことを記述してしまう可能性が高いため、様々な記事や記録を参考にさせていただいています。

そうしたことを日々行っていると、意外な記録を見つけてしまうことがあります。

ある方のブログを拝見しているとき「ヨ2000」に関する記録を見つけました。
50歳半ばを過ぎた私でも、国鉄車掌車と言えばヨ5000やヨ6000が主流であり、二段リンクに改造されなかったヨ3500くらいが記憶に残っているところです。

そこでヨ2000に関して調べてみると、ヨ3500よりも前に製造された車掌車であることが判りました。そしてその画像を見て愕然としました。子供の頃の記憶が蘇ってきたのです。

私が小学生の頃、線路際で写真を撮っていると、当時は結構多くの貨物列車が通っており、車掌車の中にはヨ5000のコンテナ色やワフ21000、ワムフ100といったレアな車両も見た記憶が鮮明に残っています。しかし、いずれも貨物列車の最後部であり、咄嗟の出逢いとなるため、いずれもそれらを写真に残すことは叶いませんでした。
その記憶の中に、デッキが鉄板ではなく鉄棒で組まれた戦時車のように簡素な車掌車があったのを思い出しました。

あれはヨ5000の個体差だと思っていましたが、ヨ2000という別形式の車掌車であることを今更知ることになりました。
そして、その記憶の中に「ひょっとして」いう記憶が蘇ってきました。



昭和59年3月22日、清水港線三保駅にて

以前ご紹介いたしました清水港線でのスナップ写真です。
このときは富士山がキレイに見えたためにこの構図で撮影したのですが、画面右側にそいつの記憶が残っていたのです。




スキャンをし直してアップにした画像です。サービスプリントからなので画質が良くないのですが、一見してデッキが丸棒で組まれた簡素な造りであることが判ります。

当時は既に国鉄で働いていましたし、貨車の知識もかなり備わってきた頃でしたが、この撮影は清水港線の廃止直前、臨時お座敷列車の入線とイベント尽くしであり、とてもこの辺りに神経が及ぶことはありませんでした。まして、スナップでたまたま画角の合う望遠レンズを使ったことで、予期せず写っていたというものでした。


しかし、さらに調べを進めたところ、非常に厄介なことになりました。
ヨ5000の中にも丸棒で組まれた個体の写真が出てきたのです。どういうことか調べると、初期のヨ3500(3500~3549)はヨ2000と全く同じ形態で設計・制作されていたため、ヨ2000と外観からの区別が付かないようです。さらに厄介なことに、このうちの一部が2段リンク化されてヨ5000(13500)に編入されたということです。
つまり、ヨ2000と同様の形態はヨ3500にもヨ5000にも見られるということになってしまったのです。

ただし、ヨ3500については、北海道や四国に封じ込められ、本州では一部が横軽用に使用されるのみとなっていたようなので、ここ東海地区に存在した可能性はほぼないということになります。
何かヒントが無いか拡大してベンチレータを探ったりもしてみたのですが、いずれの形式も個体差が結構あるため、結論には至りませんでした。

今からすれば近くに行って撮っていればというところでしょう。しかし、この1年後には緩急車連結廃止になるなんて全くもって想像できませんでしたから、ノーマークであったとしても仕方のないことでした。


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国鉄 冷蔵車:屋根から氷を入れる

2020-09-10 00:26:00 | 貨車
国鉄 冷蔵車:屋根から氷を入れる


冷蔵車つながりでもう一つご紹介をしたいと思います。


タイトルがいつもどおりでないことから、ちょっと趣向が違うとご理解いただければというところです。

お友達の金町のHさんから画像をお借りした、冷蔵車の氷槽に氷を補充しているシーンです。



昭和46年9月28日 野辺山駅にて

車両全体は写っていないのですが、ボロボロにくたびれた外板から木造の冷蔵車であることが判ります。
調べたところ、外板や屋上の氷槽蓋の形状・間隔から、レ7000であると思われます。

形式表記はレ7000となっており、「テ」は氷を天井へ入れるタイプを表しているそうです。

私も昭和40年代後半くらいから鉄道写真を撮り始めましたが、木造の貨車がリアルに運転されているシーンは記憶にありません。

地方ではこのような貨車が現役で使用されていたことに驚きを隠せません。
なお、金町のHさんのコメントでは、「葉物野菜のために、あえて、冷えすぎない「氷」を使ったような気がしないでもなく。」ということだそうで、確かに葉物は凍ると傷んでしまいますので「なるほど」という感じです。

そして何よりも、このような非常に地味なシーンを記録されていたことが素晴らしいと思います。撮影した金町のHさん曰く、当時としても珍しいシーンだったとのことです。


今では発電機を搭載したコンテナが稼働している世の中。大勢の人力に頼って鉄道が発展してきたことを忘れてはならないと思います。


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レサ10000系:特急貨物「とびうお」・「ぎんりん」

2020-09-05 12:02:00 | 貨車
レサ10000系:特急貨物「とびうお」・「ぎんりん」


レサ10000系は、九州〜東京・大阪間を結ぶ高速鮮魚輸送用として開発された100km/h対応の冷蔵貨車です。昭和41年に135両が導入(昭和44年に13両が増備)され、それまでの冷蔵輸送を飛躍的に向上させました。


レサ10000系においては、最高速の設定速度から一般の緩急車(車掌車)を連結することができないため、コキ10000系コキフと同じ設計の車掌室を載せたレムフ10000が11両製造されました。


幡生〜東京間を結ぶ列車を「とびうお」、幡生〜大阪を結ぶ列車を「ぎんりん」と命名し、特急客車列車と同格の高速貨Aで運転されるようになりました。



昭和55年8月 京都駅にて EF6618牽引 5050レ 「とびうお」

京都駅で特急列車などを撮影中、通過線を通りかかった特急貨物「とびうお」を偶然にも撮影することができました。
中線通過なのでスピードを落としていますが、白い貨車のみで組成された列車は大変美しく、EF66の力強さも加わり、華麗な存在でした。



昭和58年5月15日 瀬野〜八本松間にて EF6646牽引 5050レ 「とびうお」

西の箱根を往く特急貨物「とびうお」。
下りの回送だと記憶していたのですが、陽当たり加減からどうも上りの鮮魚を積載した列車であることが判りました。

上りの「とびうお」は5050レを名乗り、全国の貨物列車の中でも別格扱いのようでした。
「とびうお」を撮影したのはこの2枚だけ。走行時間を考えると、山陽区間から米原辺りまでが撮影の限界のようですので、むしろ2枚も撮れていたのはラッキーだったかもしれません。

惜しむらくは、構図が悪くてレムフ10000が撮れていなかったこと。後補機が連結されていれば撮っていたと思うのですが、EF66の登場により補機が不要となったようです。




昭和57年10月4日 八本松〜瀬野間にて EF60124牽引 下り「ぎんりん」

こちらもレサ10000を連ねた編成ですが、牽引機はEF60です。

ほかの方の記録を拝見すると、どうもこの「ぎんりん」については、返空時に他の一般車と組成され、九州へと戻っていたようです。

この写真についても構図が中途半端で、列車全体の様子がわからないのが非常に残念です。



ちなみに、距離の比較的短い東北スジでは、100km/h対応までは要求されなかったため、高速台車ではない一般のボギー台車を履いたレサ5000形が製造・使用されていました。
こちらに関しては過去ログ『国鉄型電気機関車 EF15+レサ5000』で既にアーカイブ済みです。
※一部、一期間、東北方面で10000系が運用されたこともあるようです。)


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国鉄貨車 冷蔵車:レム5000追記

2020-08-30 14:08:00 | 貨車
国鉄貨車 冷蔵車:レム5000追記


前記事において、国鉄貨車レム5000について思い出をつづってみたところですが、どこかにその姿がないか改めて探したところ、意外なところにその姿を見つけました。
それは、過去に何度かご紹介したことがある大宮操車場ハンプ群線の写真でした。




大宮操車場ハンプ入換末期の頃、照明塔に昇って撮った写真です。クリックすると大きな画像になります。

写真センターのダブルクロッシングが上下入換の境で、写真左から上り1番~15番、センターから右へ下り18番~1番、20番となっています。
休日明けなのか、貨車の量はかなり少ないようです。

センターから6本目、13番線の手前から4両目に白い貨車が見えます。
レム5000は、国鉄貨物輸送の衰退と共に、冷蔵輸送の激減から既に需要がかなり落ち込んでしまったようで、貨物輸送の大合理化である59.2改正の頃には一部を除いて殆ど運用がなくなってしまったそうです。
そんなこともあって、これだけの留置貨車がありながら、たった1両しか見当たらないのも仕方ないといったところでしょうか。

私は昭和57年から大宮操車場で入換を担当しましたが、レム5000は当たり前に運用されていました。毎日漫然と仕事をしていると、そうした変化にも気が付かぬほど趣味の範疇ではなくなってしまっていたんだなぁ~と思います。

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国鉄貨車 冷蔵車:レム5000

2020-08-28 21:52:00 | 貨車
国鉄貨車 冷蔵車:レム5000


今般、KATOから冷蔵車レム5000形2両セットが発売されました。

現役時代を知り、数多く接ししていながら、いざ探してみても悔しい程写真が見つかりませんでした。
当ブログでは実車写真を基に列車や車両をご紹介していますが、思い入れがありながらご紹介できないのが悔しいため、Nゲージの写真も交えて思い出話を記録しておきたいと思います。




まずは車体長について。
一般的な黒屋根貨車であるワム60000、70000などは、多少のバラツキはありますが、7850mm程度。ワラ1形で8040mmとなっています。
これに対し、レム5000は8880mmと、1mくらい車体長が長くなっているのが特徴です。
ちなみに、ワム80000は9650mmとなっており、ワム車とは2mほどの違いがあります。

貨車は延長換算を1両8mとしており、一般的なワム車は1両とカウントしますが、これを大きく上回るワム80000に関しては1.2両とカウントし、記号に「ハ」を表記することで区別されていました。

で、レム5000は換算の基準である8mを1m超えているにもかかわらず、1両のままとした理由は不明です。列車長全体ではのみ込める誤差にしていたということでしょうか?




次に、1次車と2次車の形態差について。
実はこれ、今回の製品差を見るまで全然知りませんでした。というか、そこまで興味が無かったといった方が正解。
写真上側は今回のKATO製、下側は河合商会(旧トミー香港製)のレム5000です。
1次車と2次車の詳しい違いはWikipediaをご覧いただくとして、この屋根のリブがこれほどまで違うことに驚きました。
初めはどちらかが明らかなエラーなのかと思ったくらいです。しかし、KATO製品は1次車、河合製品は2次車のナンバーだったことから、実車の写真を探してみました。
残念ながら上からの写真はありませんでしたが、サイドからでもそれと判るような違いがあり、屋根の捉え方は模型のとおりのようです。
車体長があからさまに違うのは当時のクオリティであり、実車は1次車2次車とも変わらないようです。




最後にブレーキについて。
現役時代に数えきれないほど乗ったこと(室内じゃなくブレーキ添乗という意味)があるため、思い入れの強さというのはここにあります。

まず、添乗用の手すりですが、「白いまま」は不正解です。
貨車の添乗位置について、ブレーキの位置を知らせるため、ブレーキを掛けられる場所のみ白い塗装がされています。貨車の色は黒やとび色のため、白く塗装することで遠方からでも良く判るようになっているわけですが、こと冷蔵車に限っては車体自体が白いため、白い手すりでは遠くからブレーキ位置を判別することができなくなってしまいます。そのため、冷蔵車に限っては添乗用の手すりのみ黒色としています。

そして添乗位置。KATO製品を見ていたら、ブレーキが片側にしか付いていないことに気が付きました。
現役時代「レムには両側にブレーキが付いている」イメージしかなかったので「アレ?」と思ってしまいました。そこで河合製品を見てみると、ちゃんと添乗ブレーキは両側に表現されていました。
不思議に思って実車の写真を見てみましたら、やはり1次車についてはブレーキが片側しか無く、2次車には両側に付いていることが確認できました。
またちなみにですが、反対側にブレーキが付いている場合、反対側のブレーキが緊締状態か緩解状態か判る表示器が取り付けてあります。興味がある方は、貨車の写真を良く見てみてネ。




強引ですが、レム5000が連結されているのが確認できる写真を。
瀬野八を往く上り貨物列車で、既に緩急車が廃止されたため、最後部にレム5000を連結した珍しい編成。


締めとしてマニアックな話。

レム5000の添乗ブレーキの感触は、イメージとしてワラ1に似ていました。テコの動きが硬く、ちょっと力が必要な感じでしたね。

添乗手すりは、同時期の貨車が太目で滑り防止の凸凹が成形されたタイプではなく、細めのストレート。ワム60000と同じような細身のものでした。そのため握った手に容赦なく食い込み、長い時間添乗するのはちょっと嫌な貨車でした。

そして冷蔵車らしい一番の特徴は車体そのもの。
普通の貨車は手で叩くと金属そのものの感触が伝わってきますが、レム5000は「ボコッ!」という、薄い鉄板の下に如何にも断熱材が入っている感触でした。この感触は、20系や10系客車とそっくりでした。近代寝台車の防音性の良さは、こうした工夫が講じられていたということなんですね。


思い入れの強い車両でありながら、実車写真でご紹介できなかったのが非常に残念です。


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