今年3度目の北海道に発つ前に「平家物語」を読み直している。
もちろん戻った翌日の水曜日から表参道のイーウーマンカレッジで「平家物語」を使った講座があるからで。
テキストに「平家物語」を使いボイストレーニングをするのだけど、語りの稽古をするものではない。
ことばは記号であり人のエネルギーにのせられて初めて意味を持つものだと言う事を再確認したい。
あまりにも「ことば」が軽んじられている今のこの国で。
もちろん今の我々が話している「日本語」も明治政府によって作られてきた新しい言語だ。
その意味で「ことば」は時代によって変化していく「生き物」でもある。
だが、これほどまで「ことば」を軽んじる社会があっただろうか、とも思う。
このごろ見る舞台で日本人の俳優の「ことば」への向かい合い方に疑問を持つ事が多い。
そして他の国の俳優の台詞を聴いて、これは個人的な事というよりも日本という社会の鏡なのではないかと。
その違いの理由を考えるようになった。
「平家」を読み直しているとそのあたりのことも透けて見えてくる。
北海道の日程は時間に余裕がある。
ホテルでじっくりと勉強すべし♪
もちろん戻った翌日の水曜日から表参道のイーウーマンカレッジで「平家物語」を使った講座があるからで。
テキストに「平家物語」を使いボイストレーニングをするのだけど、語りの稽古をするものではない。
ことばは記号であり人のエネルギーにのせられて初めて意味を持つものだと言う事を再確認したい。
あまりにも「ことば」が軽んじられている今のこの国で。
もちろん今の我々が話している「日本語」も明治政府によって作られてきた新しい言語だ。
その意味で「ことば」は時代によって変化していく「生き物」でもある。
だが、これほどまで「ことば」を軽んじる社会があっただろうか、とも思う。
このごろ見る舞台で日本人の俳優の「ことば」への向かい合い方に疑問を持つ事が多い。
そして他の国の俳優の台詞を聴いて、これは個人的な事というよりも日本という社会の鏡なのではないかと。
その違いの理由を考えるようになった。
「平家」を読み直しているとそのあたりのことも透けて見えてくる。
北海道の日程は時間に余裕がある。
ホテルでじっくりと勉強すべし♪