台風が近づいているとかで、身体が浮腫んでいる。
京都がまだ、自分を引っ張っているような気がしてならない。
イーノのCDを聴き続けているからかもしれない。
この「声」が欲しい、と思う。
男性の低音の声は、もちろん周囲にもいるのだけど、
「詩」を読むとなると、「発語」的には、ハードルが高いような気がする。
もちろん「詩」は、近代に輸入されたもので、
短歌や俳句とは別物だ。
それでも、アメリカ式の教育で、西洋音階で育てらているので、
「詩」も韻を踏みながら、その背景を聞き手が勝手に想像・創造できるような
そんな朗読が欲しい。
欧州の芝居で朗誦する場面を見るたびに羨ましく思ってきた。
だいぶ前だけど、中国の俳優に漢詩を朗読してもらい録音したことがあって。
その声の深みに圧倒された。
日本人にバリトンは似合わないのだろうか。
甲高い自分の声が、好きではなかった。
叔父に低音で響く素敵な声の人がいて、
先年電話で話したのだけど、彼の声が、今も大好きだ。
もちろん「いい語り」の声は、無限に存在するのだけど。
先日、シャンソンの女性歌手が素敵な低音の声でアナウンスする機会に立ち会った。
自分よりも先輩だけど、声に「惚れた」。
こういう声の男性は、いないのだろうか。