泡 盛 日 記

演劇人(役者・演出家)丹下一の日記です。

非武装地帯ツアー

2024-10-26 06:59:11 | 丹下一の泡盛日記
何度も来ている韓国だけど、誰かと来ると「観光初歩」からやり直す羽目になることが多い。
そして自分が一番行きたいところに最初からご一緒してくれる人はなかなかいない。
今回一人で来たのは「ずっと行きたかった場所」のいくつかをクリアしておきたいと考えたからでもある。
その筆頭は「非武装地帯」、いわゆる38度線。
以前は板門店も韓国ツアーで訪問できたのだけど、昨年アメリカ兵がラインを超えて北に亡命してしまってから訪問不可に。
それでも「自由の橋」と展望台などは行けるというのでツアーに参加した。(個人での訪問は不可)。
北から帰還した兵士たちが「自由」を叫びながら渡ったという「自由の橋」。

日本でも有名な「少女の像」があった。
二つあるのは、統一が果たされた時に一つを北側に送るためなのだという。
日本語のガイドの方は、この場所をスルーしようとした。写真を撮っている自分を見て「それは慰安婦の像です」とだけ言って先に行ってしまった。
日本人用のツアーなので「忖度」したのだろう。想定内なのでマニラでは英語ツアーに参加する予定。
この辺りは撮影可能なのだけど、昨今の緊張で展望台なども撮影不可。双眼鏡が設置されている3階のオープンエリアは閉鎖中。
それでもガラス越しに見た軍事境界線、非武装地帯は脳に焼き付いている。「あちら側」にそびえる鉄塔の上にはためく北朝鮮の国旗、向かい合わせに立つ同じ高さの塔の上の韓国の国旗。
時間ギリギリまでその場にいてその風景を焼き付けようと考えた。
その後、北が掘ったトンネルも歩いて帰還。この日の「歩数」は2万8千を超えた。
雨と寒さもあって脳がパツパツ。
何を食べたいか自問するまでもなく、答えはスンドゥブチゲ。
かねて調べてあった小さな店へ。大満足で爆睡。
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屋台街の食事の量が多すぎて

2024-10-26 06:46:56 | 丹下一の泡盛日記
月曜日、テジョン駅で買った缶ビールをホームで飲み干して、一緒に買ったペットボトルのチェミスルを飲みながらソウルに戻る。

仁寺洞の裏通り、屋台街でイカのフライを頼もうとしたら1本ではダメで4本で、と。
フライを4本も食べたらもうかなり満腹。
別の屋台で、はまぐりのスープとチェミスル。スープは美味しいのだけど、やっぱり量が多い。残念。もう食べきれないんだよね。
以前は街中の普通の美味しい店をいくらでも知っていたのだけど、しばらくぶりだから情報がほとんどない。
間を置かずにまた来なければ!
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テジョン

2024-10-24 13:35:17 | 丹下一の泡盛日記
今回の目的地の一つ、テジョンは「大田」とも書く。
明治時代に「何もない」土地に明治時代から日本人が入植し、そして植民地化後は鉄道を引いた。鉄道関係の技術者、労働者がたくさん住み、拠点としていた。
今も韓国鉄道の本社はここにある。
ここの日本人の痕跡を尋ねるために朝一番にソウル駅に。
なんと! 大田行きのKTX(特急列車)は12時過ぎまで満席。「立って行くならチケット出すけど?」と。
ちょっとそれはきついので12時25分の座席指定を購入して、一度仁寺洞に戻り別件を済ませる。
ちなみに韓国のメインの駅には「高齢者優先窓口」と「外国人窓口」がある。
午後2時前に大田駅に到着。
戦後も残された日本の建物を見て回る。多くの建物が破壊された(当然だと思う)のだけど、残されたものもいくつか。
旧道庁の建物の中は、自分が知っている霞ヶ関の官庁と同じ「匂い」がする。
一番行きたかったのは、ここ。旧総監の自宅。今はカフェとして利用されている。こんな風に再利用してくれているのがありがたい。
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上水の夜

2024-10-24 13:19:08 | 丹下一の泡盛日記
ピビンパ食べた後のサービスうどん。
今回は一人旅なので自分が行きたかったところを回ろうと決めていた。
一般的な観光に興味がない自分が行きたいと考える場所に、付き合ってくれる人は少ない。
弘大学の背後にある上水エリアのライブハウスも行ってみたかった場所の一つ。
来てみればすでにぎっしりの満員。ライブまで2時間はあるというのに若い人たちがビールやコーヒーカップを持ちながら階段にまで。
本来は大当たりな場所だと確信して、あたりをうろつく。
テント劇団のセットかと思ったけど「居酒屋」。
南大門市場のうどんが効いてお腹は一杯。「ビールだけ飲みたいのだけど」と入った店にひたすら断られる。
悩んだ末にこんな店に飛び込む。
日本でなら入らないだろう店が前に見えたのだけど。大当たりだった。
次回は写真家の山口さんをお連れせねばなるまい。
ビールを飲んだ後、「ウイスキーしかない」と言われたバーへ。
小さな店の若いバーテンは、自分が戻ってきたことに驚いていた。
誰もいないカウンターに座り「ビール飲んだら戻ってくるって言っただろ」と伝えたところから二人でさまざまな話が始まった。
2杯目にいってはいかん。翌朝も早い。
「また来るね」と約束して宿に戻る。

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ソウルの日曜日

2024-10-24 12:53:29 | 丹下一の泡盛日記
というわけで無事帰宅しました。

日曜日、早朝の便でソウル金浦空港へ。以前はここばかりだったので懐かしの、なんだけど。当たり前にすっかり様変わりしていて。こんなに地下鉄まで歩いたかなあ、と思いつつ。
そして、あろうことかグーグル・マップが使えない。
宿は馴染みの仁寺洞にとってあり、うろ覚えで探すのだけど見つからない。
結局、小さなホテルの受付にいたおじさんに頼んで調べてもらった。
通り一本北にあるのだった。大感謝。予定よりも2時間以上遅れてチェックイン。
最初に出かけたのは、本屋。
旧王宮前のビジネスビルの地下が、巨大な本屋さんなのだった。
日曜日の午後ということもあって、エレベーター前の子ども対象の売り場はものすごい混雑。
それをかき分けて店員さんに「ハムレット」のありかを聞いたのだけど、韓国語発音で「ヘムレット」の方が伝わりやすいのだった。
韓国語訳を2種類ゲット。他にも何冊か。
どのエリアもものすごい混雑。もちろんノーベル文学賞を受賞したハンガンさんのコーナーも大人気。
楽器屋さんでピリも購入。気づけば夕方。
仕方がないので南大門市場でピビンパ。食べ終わったらカルククス(うどん)がサービスで出てきた。

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シェイクスピア・カフェ、無事終了

2024-10-20 04:54:52 | 丹下一の泡盛日記

土曜日は神保町の月花舎でシェイクスピア・カフェ。お題は「ベニスの商人」。
学生時代からの馴染みの街に戻ってきた感があったこの頃、加えてのこの場所での舞台で駅から向かう道すがら思い出すことたくさん。
元は蕎麦屋だったというビルの1、2階が素敵なカフェになっている。
地下の楽屋に降りる階段の途中になぜか斧が。
昼の舞台を終えて片付けていたら、旧知の先輩役者が。そうだった。彼は翌週ここで本番なのだった。
「ベニスの商人」はん日ほんで一番人気があるシェイクスピアの戯曲なのだそうで。
以前は悪の権化のようなユダヤ人を賢い若い女性がやっつける話、として愛されたのかもしれないけれど、今ではもう少し別の角度、人種差別の視点から上演されることが多い。
確かに役者としてセリフを読めば、ひどいセリフがたくさん出てくる。
江戸馨さんがその辺りをきちんと説明して上演。
夜の部も無事終了。もちろん居酒屋へ(^o^)/
日曜日から水曜日までは旅。
しばらくブログはお休み。木曜日から度のご報告で再開します。


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シェイクスピア・カフェの最終稽古

2024-10-17 11:19:41 | 丹下一の泡盛日記
歳のせいで長くは眠れない。稽古の後、疲れて泥のように眠っていた日々が懐かしい。ただ時間に余裕のある時は目が覚めてもなるべく横になったままスマホでメールチェックしたりしていると少しは調子がいいような気がする。
この日はゆっくりと起き出して、そしてさくさくと家事、雑事。
一つ一つ片付けていくのは気持ちがいい。
来週の旅に向けて電話屋さんを2件も回ってしまった。
夕方からは土曜日のシェイクスピア・カフェの最後の稽古。
気のおけないメンツなので自由に遊んでみることもできる。いくつも発見があった。
稽古場の外に出ると江戸馨さんが「あ、スーパームーンだ!」と。
彗星の方は曇り空で見えないのが残念。
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「ピローマン」素晴らしかった

2024-10-17 11:08:04 | 丹下一の泡盛日記
前日の夕景。遠くの山並みまで見えるのは珍しい。
中学生から高校生まで、あの見えている山々を散々歩いていた。
もうすっかり変わっているのだろうけれど足裏の記憶はたくさん残っているし、山の形を見れば匂いや風を懐かしく思い出す。
体が弱くて誰かと一緒に行けば足手纏いになるだけだったので大抵は一人だった。(親はよく行かせてくれたものと思う)
重い荷を背負い、いつもバテバテだったけど、1センチでも前進し続ければ人の倍の時間がかかっても山頂に辿り着けることを学んだ。
水曜日の午後、新国立劇場で芝居「ピローマン」を観る。
3時間近い舞台だったけど集中して立ち会えたのは主役の並外れた集中力と語りの力が大きい。
そして主役の「弟」が生み出す物語を現実化してしまう「兄」役も素敵だった。
ここまで見応えのあるセリフ劇は珍しい。誰もが身の内に持つ「物語」とは何か、を考えさせられた。
帰宅して夜空を見上げても、残念。雲で彗星は見えなかった。
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シェイクスピア・カフェの稽古

2024-10-15 22:46:56 | 丹下一の泡盛日記
火曜日、前夜幸せなライブで心身が洗われたのかいい目覚め。
この日の午後は土曜日のシェイクスピア・カフェの稽古。下北沢へ。

なぜかこの頃、下北沢と高円寺ばかりに出かけている。
「ベニスの商人」は当時のヨーロッパでのユダヤ人差別を反映している戯曲。
汚い言葉でシャイロックを罵る役を担当しているが、ひどいものだ。
だからといって今の中東で起きていることでネタニヤフ政権の側に立ちたいわけではない。
イングランドには「熊いじめ」などという自分のイメージを大きく超えた「娯楽」があったりする。これが娯楽だったということ自体が信じられない。
稽古はサクッと終えて帰宅。
ひたすらプールで歩く。
来年3月のイメージがようやくぼんやりとだけど見えてきた。
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現代の伝道師「無頼 乃 丈(ブライ ノ ジョー)」

2024-10-15 10:32:26 | 丹下一の泡盛日記
3日間のお仕事を終えた最終日、早めに仕事が終了したので高円寺のライブハウスへ。
旧知のロックミュージシャン、無頼 乃 丈(ブライ ノ ジョー)こと栗原丈くんが企画したイベントへ。
ライブハウスでロックなんてものすごく久しぶり。
彼のバンド「無頼」がトリ。かつて坂口安吾をテキストにしていた自分には、親しみのある名前。
そして、変わらぬ戦い方をしてきたミュージシャンの音は、本当に素敵だった。
無頼の前に登場したハリケーンサリーというバンドの、いかにも「キースが好きです」なギタリストの「あの時代からのロックギターの音」も素敵だった。(呼び名は忘れたけど、ヴォーカルマイクの横にチューブつけるエフェクター見たの何年ぶりだろう)。
無頼のギターはシンプルだけど、ちょっとずらしてくるのが粋な路線か。ブライアン・フェリーのヴォーカルを思い出す。
「栗原丈」は美術スタッフでもあり、多分手作りしたであろう神輿がステージに向かって突入するところからライブが始まったのも、ものすごく自分好み。
何よりもヴォーカル「ジョー」の存在感。そして、シャウトする「ことば」たちが素敵。
シンプルだけど「今」に向き合い、そのどれもが自分の体験や経験に裏打ちされていることが伝わってくる。「自分のことば」なのだ。
そして、彼には「伝えなければいけないこと」がある。
「自分の幸せのかたちを誰かが決めるなんて冗談じゃない」「俺たちは決してあきらめない」(記憶だから歌詞ではない)
歌詞には時折「聞き慣れたことば」もあるのだけど、その「記号」たちが彼の身体を通すと新鮮なエネルギーと共に強い実感を持って伝わってくる。
そこには「祈り」がある。
「祈り」のことばをシャウトしているのだけど、丁寧に差し出されている気持ちになるのはなぜだろう。
荒削りなサウンドだけど、その手触りに愛すら感じる。ライブハウスを「聖地」と呼ぶ彼ならではの美意識がある。
彼は「現代の伝道師」なのだと思った。

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