韓亭の歌六首
可能性として天平四年七月十五日頃、大使は従五位下角朝臣家主
筑紫那津で七夕の夜を受けての韓亭での十五夜の歌と推定しています。それで、標の「時夜月之光皎々流照」の序ではないでしょうか。
到筑前國志麻郡之韓亭、舶泊經三日。於時夜月之光皎々流照。奄對此花旅情悽噎、各陳心緒聊以裁歌六首
標訓 筑前國の志麻郡の韓亭に到りて、舶泊て三日を經たり。時に夜の月の光皎々(こうこう)として流照(てら)す。奄(たちま)ちに此の花に對して旅情(りょじょう)悽噎(せいいつ)し、各(おのおの)の心緒(おもひ)を陳べて聊(いささ)かに裁(つく)れる歌六首
集歌 3668 於保伎美能 等保能美可度登 於毛敝礼杼 氣奈我久之安礼婆 古非尓家流可母
訓読 大王(おほきみ)の遠(とほ)の朝廷(みかど)と思へれど日(け)長くしあれば恋ひにけるかも
私訳 ここを大王が治められている奈良の京と同じような遠い朝廷と思ってみても、旅の日々が長くなると貴女に恋しい気持ちになります。
右一首、大使
左注 右の一首は、大使
集歌 3669 多妣尓安礼杼 欲流波火等毛之 乎流和礼乎 也未尓也伊毛我 古非都追安流良牟
訓読 旅にあれど夜は火(ひ)燭(とも)し居る吾(あ)れを闇(やみ)にや妹が恋ひつつあるらむ
私訳 旅路にいるのですが夜は灯を燭して居る私を、心の闇の中に貴女は私を恋しく想っているのでしょうか。
右一首、大判官
左注 右の一首は、大判官
集歌 3670 可良等麻里 能許乃宇良奈美 多々奴日者 安礼杼母伊敝尓 古非奴日者奈之
訓読 韓亭(からとまり)能許(のこ)の浦(うら)波立たぬ日はあれども家に恋ひぬ日はなし
私訳 韓亭の能許の浦に波が立たない日はあったとしても、家に残す貴女を恋しく思わない日はありません。
集歌 3671 奴婆多麻乃 欲和多流月尓 安良麻世婆 伊敝奈流伊毛尓 安比弖許麻之乎
訓読 ぬばたまの夜(よ)渡る月にあらませば家なる妹に逢ひて来ましを
私訳 漆黒の夜を渡って行く月であったならば、家にいる貴女の顔を照らすように逢ってこられるのですが。
集歌 3672 比左可多能 月者弖利多里 伊刀麻奈久 安麻能伊射里波 等毛之安敝里見由
訓読 ひさかたの月は照りたり暇(いとま)なく海人(あま)の漁(いさり)は燭(とも)し合へり見ゆ
私訳 遥か彼方の月は照っている、海には絶えず海人の漁をする燭し火を付けているのが見える。
集歌 3673 可是布氣婆 於吉都思良奈美 可之故美等 能許能等麻里尓 安麻多欲曽奴流
訓読 風吹けば沖つ白波恐(かしこ)みと能許(のこ)の亭(とまり)に数多(あまた)夜ぞ寝(ぬ)る
私訳 風が吹くと沖の白波を畏怖して、能許の亭に数日の夜を過ごす。
引津亭の歌七首
可能性として天平四年七月下旬、大使は従五位下角朝臣家主
秋萩の花と牡鹿の嬬恋の啼き声は、歌での約束された仲秋の季節感です。そこから仲秋の季節と推定しています。旧暦七月下旬では現実の秋本番には早いのですが、歌での約束と捉えています。それで、天平四年七月下旬で、大使は従五位下角朝臣家主です。萩の花と牡鹿の嬬恋の啼き声は、歌での約束された仲秋の季節感です。そこから仲秋の季節と推定しています。旧暦七月下旬では現実の秋本番には早いのですが、歌での約束と捉えています。それで、天平四年七月下旬で、大使は従五位下角朝臣家主です。
引津亭舶泊之作歌七首
標訓 引津の亭(とまり)に舶(ふね)泊(はて)せしに作れる歌七首
集歌 3674 久左麻久良 多婢乎久流之美 故非乎礼婆 可也能山邊尓 草乎思香奈久毛
訓読 草枕旅を苦しみ恋ひ居(を)れば可也(かや)の山辺(やまへ)にさを鹿(しか)鳴くも
私訳 草を枕にするような旅を苦しみ、貴女に恋しく居ると、可也の山辺に牡鹿が同じように妻を求めて鳴くようです。
集歌 3675 於吉都奈美 多可久多都日尓 安敝利伎等 美夜古能比等波 伎吉弖家牟可母
訓読 沖つ波高く立つ日にあへりきと京の人は聞きてけむかも
私訳 沖の波が高く立つ日々に難渋していると、奈良の京の人は噂にも聞くでしょうか
右二首、大判官
左注 右の二首は、大判官
集歌 3676 安麻等夫也 可里乎都可比尓 衣弖之可母 奈良能弥夜故尓 許登都牙夜良武
訓読 天飛ぶや雁を使(つかひ)に得てしかも奈良の京に事(こと)告(つ)げ遣(や)らむ
私訳 空を飛ぶ雁を使いに手に入れたいものだ、奈良の京にここでの出来事を知らせてやりたい。
集歌 3677 秋野乎 尓保波須波疑波 佐家礼杼母 見流之留思奈之 多婢尓師安礼婆
訓読 秋の野をにほはす萩は咲けれども見る験(しるし)なし旅にしあれば
私訳 秋の野を飾る萩の花は咲いたけれど見てもどうしようもない。旅の途中にいるので。
集歌 3678 伊毛乎於毛比 伊能祢良延奴尓 安伎乃野尓 草乎思香奈伎都 追麻於毛比可祢弖
訓読 妹を思ひ寝(ゐ)の寝(ぬ)らえぬに秋の野にさを鹿(しか)鳴きつ妻思ひかねて
私訳 貴女を想い寝るのに寝られない秋の野に、牡鹿が鳴いている。妻を恋しく想って。
集歌 3679 於保夫祢尓 真可治之自奴伎 等吉麻都等 和礼波於毛倍杼 月曽倍尓家流
訓読 大船に真楫(まかぢ)繁(しじ)貫(ぬ)き時待つと吾(あ)れは思へど月ぞ経(へ)にける
私訳 大船の艫に立派な舵を挿し込む時を待つと私は思っているのだが、月日だけが過ぎて逝く。
集歌 3680 欲乎奈我美 伊能年良延奴尓 安之比奇能 山妣故等余米 佐乎思賀奈君母
訓読 夜(よ)を長(なが)み寝(ゐ)の寝(ぬ)らえぬにあしひきの山彦(やまひこ)響(とよ)めさ男鹿(をしか)鳴くも
私訳 夜が長い。私は恋しくて寝るに寝られずに、葦や檜が繁る山の山彦よ響け、妻を呼び立てる牡鹿が鳴いている。
狛嶋亭の歌七首嶋亭の歌七首
可能性として天平四年七月下旬、大使は従五位下角朝臣家主
集歌 3681の歌の「秋萩薄散りにけむかも」の語感から、季節はまだ青い萩薄であることが推定されますが、その萩薄が咲き散るころに戻って来るようです。「新羅使を送る使」では無い本格的な遣新羅使の旅程では、ここから旅立って日本に戻って来るまではおよそ五か月先のことです。そこからの推定です。
肥前國松浦郡狛嶋亭舶泊之夜、遥望海浪、各慟旅心作歌七首
標訓 肥前國の松浦郡の狛嶋(こましま)の亭(とまり)に舶(ふね)泊(はて)せし夜に、遥かに海の浪を望みて、各(おのおの)の旅の心を慟(いたま)しめて作れる歌七首
集歌 3681 可敝里伎弖 見牟等於毛比之 和我夜度能 安伎波疑須々伎 知里尓家武可聞
訓読 帰り来(き)て見むと思ひし吾(あ)が宿の秋(あき)萩薄(すすき)散りにけむかも
私訳 無事に帰って来たら見ようと思った私家の秋のススキは散ってしまうだろう。
右一首、秦田麿
左注右の一首は、秦田麿
集歌 3682 安米都知能 可未乎許比都々 安礼麻多武 波夜伎万世伎美 麻多婆久流思母
訓読 天地(あまつち)の神を祈(こ)ひつつ吾(あ)れ待たむ早来(はやき)ませ君待たば苦しも
私訳 天地の神に祈って、私は待ちましょう。早く帰って来て下さい。貴方のお還りを待つと気持ちが辛い。
右一首、娘子
左注右の一首は、娘子(をとめ)
集歌 3683 伎美乎於毛比 安我古非万久波 安良多麻乃 多都追奇其等尓 与久流日毛安良自
訓読 君を思ひ吾(あ)が恋ひまくはあらたまの立つ月ごとに避(よ)くる日もあらじ
私訳 貴女を想い私が恋していると、貴女に対して新しい月が来る度に立てる物忌みのように貴女に忌諱する日はありません。
集歌 3684 秋夜乎 奈我美尓可安良武 奈曽許々波 伊能祢良要奴毛 比等里奴礼婆可
訓読 秋の夜(よ)を長みにかあらむなぞここば寝(ゐ)の寝(ぬ)らえぬも一人寝(ね)ればか
私訳 秋の夜を長くと思う、どうしてこのように寝るのに寝られないのだろう、独りで寝るからか。
集歌 3685 多良思比賣 御舶波弖家牟 松浦乃宇美 伊母我麻都敝伎 月者倍尓都々
訓読 足(たらし)姫(ひめ)御船(みふね)泊(は)てけむ松浦の海(うみ)妹が待つべき月は経(へ)につつ
私訳 足姫の御船を泊めたでしょう松浦の海、貴女が私に再び逢う日を待つでしょう、その月は経ってしまった。
集歌 3686 多婢奈礼婆 於毛比多要弖毛 安里都礼杼 伊敝尓安流伊毛之 於母比我奈思母
訓読 旅なれば思ひ絶(た)えてもありつれど家にある妹し思ひ悲しも
私訳 旅の途中なので、恋心は断っているのですが、家にいる貴女を想うとかなしくなります。
集歌 3687 安思必奇能 山等妣古田留 可里我祢波 美也故尓由加波 伊毛尓安比弖許祢
訓読 あしひきの山飛び越ゆる鴈がねは京に行かば妹に逢(あ)ひて来(こ)ね
私訳 葦や桧の茂る山を飛び越える雁が奈良の京に行ったならば、私の恋人に逢って来い。
可能性として天平四年七月十五日頃、大使は従五位下角朝臣家主
筑紫那津で七夕の夜を受けての韓亭での十五夜の歌と推定しています。それで、標の「時夜月之光皎々流照」の序ではないでしょうか。
到筑前國志麻郡之韓亭、舶泊經三日。於時夜月之光皎々流照。奄對此花旅情悽噎、各陳心緒聊以裁歌六首
標訓 筑前國の志麻郡の韓亭に到りて、舶泊て三日を經たり。時に夜の月の光皎々(こうこう)として流照(てら)す。奄(たちま)ちに此の花に對して旅情(りょじょう)悽噎(せいいつ)し、各(おのおの)の心緒(おもひ)を陳べて聊(いささ)かに裁(つく)れる歌六首
集歌 3668 於保伎美能 等保能美可度登 於毛敝礼杼 氣奈我久之安礼婆 古非尓家流可母
訓読 大王(おほきみ)の遠(とほ)の朝廷(みかど)と思へれど日(け)長くしあれば恋ひにけるかも
私訳 ここを大王が治められている奈良の京と同じような遠い朝廷と思ってみても、旅の日々が長くなると貴女に恋しい気持ちになります。
右一首、大使
左注 右の一首は、大使
集歌 3669 多妣尓安礼杼 欲流波火等毛之 乎流和礼乎 也未尓也伊毛我 古非都追安流良牟
訓読 旅にあれど夜は火(ひ)燭(とも)し居る吾(あ)れを闇(やみ)にや妹が恋ひつつあるらむ
私訳 旅路にいるのですが夜は灯を燭して居る私を、心の闇の中に貴女は私を恋しく想っているのでしょうか。
右一首、大判官
左注 右の一首は、大判官
集歌 3670 可良等麻里 能許乃宇良奈美 多々奴日者 安礼杼母伊敝尓 古非奴日者奈之
訓読 韓亭(からとまり)能許(のこ)の浦(うら)波立たぬ日はあれども家に恋ひぬ日はなし
私訳 韓亭の能許の浦に波が立たない日はあったとしても、家に残す貴女を恋しく思わない日はありません。
集歌 3671 奴婆多麻乃 欲和多流月尓 安良麻世婆 伊敝奈流伊毛尓 安比弖許麻之乎
訓読 ぬばたまの夜(よ)渡る月にあらませば家なる妹に逢ひて来ましを
私訳 漆黒の夜を渡って行く月であったならば、家にいる貴女の顔を照らすように逢ってこられるのですが。
集歌 3672 比左可多能 月者弖利多里 伊刀麻奈久 安麻能伊射里波 等毛之安敝里見由
訓読 ひさかたの月は照りたり暇(いとま)なく海人(あま)の漁(いさり)は燭(とも)し合へり見ゆ
私訳 遥か彼方の月は照っている、海には絶えず海人の漁をする燭し火を付けているのが見える。
集歌 3673 可是布氣婆 於吉都思良奈美 可之故美等 能許能等麻里尓 安麻多欲曽奴流
訓読 風吹けば沖つ白波恐(かしこ)みと能許(のこ)の亭(とまり)に数多(あまた)夜ぞ寝(ぬ)る
私訳 風が吹くと沖の白波を畏怖して、能許の亭に数日の夜を過ごす。
引津亭の歌七首
可能性として天平四年七月下旬、大使は従五位下角朝臣家主
秋萩の花と牡鹿の嬬恋の啼き声は、歌での約束された仲秋の季節感です。そこから仲秋の季節と推定しています。旧暦七月下旬では現実の秋本番には早いのですが、歌での約束と捉えています。それで、天平四年七月下旬で、大使は従五位下角朝臣家主です。萩の花と牡鹿の嬬恋の啼き声は、歌での約束された仲秋の季節感です。そこから仲秋の季節と推定しています。旧暦七月下旬では現実の秋本番には早いのですが、歌での約束と捉えています。それで、天平四年七月下旬で、大使は従五位下角朝臣家主です。
引津亭舶泊之作歌七首
標訓 引津の亭(とまり)に舶(ふね)泊(はて)せしに作れる歌七首
集歌 3674 久左麻久良 多婢乎久流之美 故非乎礼婆 可也能山邊尓 草乎思香奈久毛
訓読 草枕旅を苦しみ恋ひ居(を)れば可也(かや)の山辺(やまへ)にさを鹿(しか)鳴くも
私訳 草を枕にするような旅を苦しみ、貴女に恋しく居ると、可也の山辺に牡鹿が同じように妻を求めて鳴くようです。
集歌 3675 於吉都奈美 多可久多都日尓 安敝利伎等 美夜古能比等波 伎吉弖家牟可母
訓読 沖つ波高く立つ日にあへりきと京の人は聞きてけむかも
私訳 沖の波が高く立つ日々に難渋していると、奈良の京の人は噂にも聞くでしょうか
右二首、大判官
左注 右の二首は、大判官
集歌 3676 安麻等夫也 可里乎都可比尓 衣弖之可母 奈良能弥夜故尓 許登都牙夜良武
訓読 天飛ぶや雁を使(つかひ)に得てしかも奈良の京に事(こと)告(つ)げ遣(や)らむ
私訳 空を飛ぶ雁を使いに手に入れたいものだ、奈良の京にここでの出来事を知らせてやりたい。
集歌 3677 秋野乎 尓保波須波疑波 佐家礼杼母 見流之留思奈之 多婢尓師安礼婆
訓読 秋の野をにほはす萩は咲けれども見る験(しるし)なし旅にしあれば
私訳 秋の野を飾る萩の花は咲いたけれど見てもどうしようもない。旅の途中にいるので。
集歌 3678 伊毛乎於毛比 伊能祢良延奴尓 安伎乃野尓 草乎思香奈伎都 追麻於毛比可祢弖
訓読 妹を思ひ寝(ゐ)の寝(ぬ)らえぬに秋の野にさを鹿(しか)鳴きつ妻思ひかねて
私訳 貴女を想い寝るのに寝られない秋の野に、牡鹿が鳴いている。妻を恋しく想って。
集歌 3679 於保夫祢尓 真可治之自奴伎 等吉麻都等 和礼波於毛倍杼 月曽倍尓家流
訓読 大船に真楫(まかぢ)繁(しじ)貫(ぬ)き時待つと吾(あ)れは思へど月ぞ経(へ)にける
私訳 大船の艫に立派な舵を挿し込む時を待つと私は思っているのだが、月日だけが過ぎて逝く。
集歌 3680 欲乎奈我美 伊能年良延奴尓 安之比奇能 山妣故等余米 佐乎思賀奈君母
訓読 夜(よ)を長(なが)み寝(ゐ)の寝(ぬ)らえぬにあしひきの山彦(やまひこ)響(とよ)めさ男鹿(をしか)鳴くも
私訳 夜が長い。私は恋しくて寝るに寝られずに、葦や檜が繁る山の山彦よ響け、妻を呼び立てる牡鹿が鳴いている。
狛嶋亭の歌七首嶋亭の歌七首
可能性として天平四年七月下旬、大使は従五位下角朝臣家主
集歌 3681の歌の「秋萩薄散りにけむかも」の語感から、季節はまだ青い萩薄であることが推定されますが、その萩薄が咲き散るころに戻って来るようです。「新羅使を送る使」では無い本格的な遣新羅使の旅程では、ここから旅立って日本に戻って来るまではおよそ五か月先のことです。そこからの推定です。
肥前國松浦郡狛嶋亭舶泊之夜、遥望海浪、各慟旅心作歌七首
標訓 肥前國の松浦郡の狛嶋(こましま)の亭(とまり)に舶(ふね)泊(はて)せし夜に、遥かに海の浪を望みて、各(おのおの)の旅の心を慟(いたま)しめて作れる歌七首
集歌 3681 可敝里伎弖 見牟等於毛比之 和我夜度能 安伎波疑須々伎 知里尓家武可聞
訓読 帰り来(き)て見むと思ひし吾(あ)が宿の秋(あき)萩薄(すすき)散りにけむかも
私訳 無事に帰って来たら見ようと思った私家の秋のススキは散ってしまうだろう。
右一首、秦田麿
左注右の一首は、秦田麿
集歌 3682 安米都知能 可未乎許比都々 安礼麻多武 波夜伎万世伎美 麻多婆久流思母
訓読 天地(あまつち)の神を祈(こ)ひつつ吾(あ)れ待たむ早来(はやき)ませ君待たば苦しも
私訳 天地の神に祈って、私は待ちましょう。早く帰って来て下さい。貴方のお還りを待つと気持ちが辛い。
右一首、娘子
左注右の一首は、娘子(をとめ)
集歌 3683 伎美乎於毛比 安我古非万久波 安良多麻乃 多都追奇其等尓 与久流日毛安良自
訓読 君を思ひ吾(あ)が恋ひまくはあらたまの立つ月ごとに避(よ)くる日もあらじ
私訳 貴女を想い私が恋していると、貴女に対して新しい月が来る度に立てる物忌みのように貴女に忌諱する日はありません。
集歌 3684 秋夜乎 奈我美尓可安良武 奈曽許々波 伊能祢良要奴毛 比等里奴礼婆可
訓読 秋の夜(よ)を長みにかあらむなぞここば寝(ゐ)の寝(ぬ)らえぬも一人寝(ね)ればか
私訳 秋の夜を長くと思う、どうしてこのように寝るのに寝られないのだろう、独りで寝るからか。
集歌 3685 多良思比賣 御舶波弖家牟 松浦乃宇美 伊母我麻都敝伎 月者倍尓都々
訓読 足(たらし)姫(ひめ)御船(みふね)泊(は)てけむ松浦の海(うみ)妹が待つべき月は経(へ)につつ
私訳 足姫の御船を泊めたでしょう松浦の海、貴女が私に再び逢う日を待つでしょう、その月は経ってしまった。
集歌 3686 多婢奈礼婆 於毛比多要弖毛 安里都礼杼 伊敝尓安流伊毛之 於母比我奈思母
訓読 旅なれば思ひ絶(た)えてもありつれど家にある妹し思ひ悲しも
私訳 旅の途中なので、恋心は断っているのですが、家にいる貴女を想うとかなしくなります。
集歌 3687 安思必奇能 山等妣古田留 可里我祢波 美也故尓由加波 伊毛尓安比弖許祢
訓読 あしひきの山飛び越ゆる鴈がねは京に行かば妹に逢(あ)ひて来(こ)ね
私訳 葦や桧の茂る山を飛び越える雁が奈良の京に行ったならば、私の恋人に逢って来い。
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