竹取翁と万葉集のお勉強

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墨子 紹介する墨子の目次とまえがき(原文・読み下し・現代語訳)

2022年02月13日 | 新解釈 墨子 現代語訳文付

墨子 原文・読み下し・現代語訳

紹介する墨子の目次とまえがき

目次(HP「諸氏百家 中国哲学書電子化計画」に示す区分及び篇名に従います。)
巻一  親士、修身、所染、法儀、七患、辭過、三辯
巻二  尚賢上、尚賢中、尚賢下
巻三  尚同上、尚同中、尚同下
巻四  兼愛上、兼愛中、兼愛下
巻五  非攻上、非攻中、非攻下
巻六  節用上、節用中、節用下(欠失)、節葬上(欠失)、節葬中(欠失)、節葬下
巻七  天志上、天志中、天志下
巻八  明鬼上(欠失)、明鬼中(欠失)、明鬼下、非楽上、非楽中(欠失)、非楽下(欠失)
巻九  非命上、非命中、非命下、非儒上(欠失)、非儒下
巻十  経上、経下、経説上、経説下
巻十一  大取、小取、耕柱
巻十二  貴義、公孟
巻十三  魯問、公輸
巻十四  備城門、備高臨、備梯、備水、備突、備穴、備蛾傅
巻十五  迎敵祠、旗幟、號令、雑守
巻十六  墨子軍事用語集(独自に編んだものです)

まえがき
 本編は、最初に原文を示し、次に訓じとなる読み下し文、さらに弊ブログの解釈文を示しています。なお、ここで載せるものは正統な教育を受けていない者が行ったものですので、取り扱いには注意をお願いします。
 さて、弊ブログは万葉集を眺める上で日本古典作品と『墨子』との関係に関心を持ち、その関係性について検索を行うために墨子のテキスト整備を行っています。このため、弊ブログに収容する資料編の扱いで墨子のテキスト、その漢文訓じの読み下し文と解釈文を紹介していますが、ここでのものが墨子の漢文読解を目的にしたものではないことをご了解ください。正統な漢文訓じではなく、墨子の概要理解とそこからの日本古典に対する引用検索を実施する時のキーワードになると思われる言葉や文節の整備と抽出が目的です。あくまでも万葉集読解のための周辺整備の作業です。
 また、ややこしい説明ですが、弊ブログで紹介する墨子の原文となるテキストは句読点を持ち、各篇には小段落の区分があります。研究として原文読解を目的とする場合は、その原文の姿は、おおむね、各篇での句読点や小段落の区分などを取り除き、古代の表記スタイルに準じる形で一行十七文字の連続表記にすべきとなります。もし、読解のテキストが句読点や小段落の区分などを持つのなら、既にそこには読解者自身の原文読解の解釈が示されていることになります。つまり、弊ブログの墨子のテキストについても慎重な扱いをお願いします。
 弊ブログでの墨子のテキスト整備では、その漢字入力の労を省くためにHP「諸氏百家 中国哲学書電子化計画(https//ctext.org/mozi/zh)」(以下、「電子化計画」)に載る『墨子』から墨子の本文となる部分をすべてそのままにコピーし原資料データとしています。なお、紹介した「電子化計画」に収容する『墨子』は、その漢文書に句読点、かぎ括弧「」、二重かぎ括弧『』、感嘆符!や疑問符?などを持つなど、原典を校訂した上で現代中国語により解釈し、それを繁字体表記としています。
 弊ブログでは原文となるテキストを求めるために原資料データから、かぎ括弧「」、二重かぎ括弧『』、感嘆符!や疑問符?などを取り除き、日本語漢文のような句読点だけのものに直しています。この作業により「」や『』で示していた本文中の発言を示す範囲や説論を示す範囲が変わった可能性があります。さらに中国繁体字を、個人が持つCPに収容するフオント制限から日本漢字体に変換する作業を行っています。この日本漢字体に直す作業過程で採用した日本漢字の多くは中国繁体字からは略体字や異体字と称されるものですが、変換した日本漢字体の漢字が原典での漢字や近代中国繁体字の漢字と同じ意味を持つかは保証されません。なお、漢字の解釈については、原文がおおむね秦・前漢時代初期ごろの姿を留めていると指摘されていることから、お手数ですが中国のインターネット漢字辞典となるHP「漢典(https://www.zdic.net/)」などから『康煕字典』や『説文解字注』などを参照してください。弊ブログでは漢字の扱いに疑義が生じた場合は、HP「漢典」の『康煕字典』や『説文解字注』などに示す解釈を優先的に採用しています。
 補足として、『漢書・芸文志』に『墨子』は全七十一篇があったと記述しますが、伝存は五十三篇のみで十八篇が失われています。その失われた十八篇の内、八篇についてはその篇名は目次に示す〇〇(欠失)と紹介するように欠失篇名は推定されていますが、残り十篇の篇名やその内容を推定することは困難とされています。近世では清朝になって整備された畢沅の『墨子』などを旧本テキストとし、さらに孫詒譲の『墨子閒詁』などの解釈・校訂本が創られており、日本の墨子の解釈本はおおむねこの『墨子閒詁』を底本としています。なお、現代の中国の古典原文復元の研究成果を示す「電子化計画」に載せる墨子は、近世に解釈しそこから校訂を行ったものを、再度、古い伝本の姿を保つ畢沅の『墨子』の時代に戻したものとなっており、近世解釈から校訂した孫詒譲の『墨子閒詁』とではテキストが異なる点が見られます。そのため、『墨子閒詁』を底本とする多くの日本語解釈本などをお手に取られる場合、そのテキストとの相違やそこから生じた新しい解釈からの相違などを確認ください。
 現在のところ、一般人で入手が容易な現存全篇を対象とする日本語による解説本には山田琢氏の「墨子上下(新釈漢文大系 明治書院)」があります。弊ブログの訓じでは多くをこの山田琢氏のものを参照させていただいています。ただし、弊ブログでは「電子化計画」に採用する墨子テキストをそのままに尊重していますから、『墨子閒詁』を底本とし、さらにそこからの新解釈を下に校訂を行っている山田琢氏のものを全面に採用したものではありません。そのため、弊ブログでの原文や訓じに差異があります。加えて、弊ブログの目的は古代日本での墨子の影響の確認のためのデーターベース整理です。そのために訓じ文の読解を容易にする個々の漢語の語釈を示していません。ただ、訓じ文を読み下し文とし、その現代語解釈を参考として示しているだけです。そのため、漢語の語釈については、お手数ですが辞典・辞書や山田琢氏の「墨子上下(新釈漢文大系 明治書院)」などでご確認ください。
 墨子テキストについて、中国側での近世と現代のテキストの相違を反映して、孫詒譲の『墨子閒詁』を底本とする山田琢氏の墨子と「電子化計画」に載る墨子とでは扱うテキストに相違する箇所があります。また、山田琢氏は『墨子閒詁』などに習い、時に山田琢氏が行った解釈から文を整えるために『墨子閒詁』の底本に対し校訂・修正を行っています。そのため、山田琢氏の墨子テキストは『墨子閒詁』のものとも違うものとなっています。他方、弊ブログは「電子化計画」に載るテキストをそのままに尊重する立場ですので、そこに原文テキストの相違とそれに対する日本語への訓じや解釈とに相違があります。さらに、弊ブログが独自に日本語への訓じや解釈を行った結果、テキストへの解釈内容を示す句読点の位置が「電子化計画」に載るものと相違する箇所が生まれています。
 加えて、以下に弊ブログが参照とした山田琢氏のもの以外の書籍を示しています。紹介する和田武司氏や高田淳氏の墨子は山田琢氏と同様に『墨子閒詁』を底本としています。ただ、その紹介する書籍で、両氏はそれぞれに要点と判断した篇に対し、さらにその篇の中でも重要と判断した部分についてだけ、訓じと解釈を提供しています。つまり、紹介する両氏の書籍は現存する五十三篇全部の訓じを示していません。抜粋です。
 墨子 上・下 山田琢 新釈漢文大系 明治書院
 墨子 和田武司 中国の思想 徳間書店
 墨子 高田淳 中国古典新書 明徳出版社
 最初に紹介したように弊ブログで墨子を扱う目的は万葉集読解に際し日本古典作品と墨子との関係性を確認するためであり、その基礎資料として対比対象の墨子のテキストを整備し、そのテキストの定義として幣ブログ 資料庫に収容するためです。
 ご存知のように墨子 巻十一の経上、経下、経説上、経説下は上古の科学書や工学書の性格を持ちますから標準的な日本文学で扱う古典漢文の表記スタイルとは違い、欧米流の国際的な技術仕様書に載る言葉や概念の定義に相当するものです。それで国際的な技術仕様書などの文章構成や文体に馴染みの無い人たちにとっては、馴染みが無い分、難解・難読と評価します。
 墨学の書が現代に伝わった経緯が他の中国古典とは大きく違うため、他の篇も古代の姿をそのままに現代に伝えているために、漢字の用法や意味合いは中国語の整備が成った秦朝から前漢時代初期のものです。そのため、儒学や仏学のように近世中国語が成立した宋・元以降の用字や意味合いなどを使う姿とは相違があります。このため、難解・難読と評価されることとなります。
 古典研究者は自身の読解や解釈を示すために独自に原文や底本に対し文の削除・挿入、文字の変更、文章の改変などの校訂を行います。それがその時代の大多数の人々に支持されますと、その時代での基本テキストとなり後年に伝わります。一方、墨子は時代に取り残された学説として秦朝から前漢時代初期の姿をそのままに伝えます。そのために墨子は古典漢文としては特異な表記スタイルや用語を持つという背景があり、単純に「電子化計画」の墨子のテキストを完全コピーの形で引用するだけでは用が足りず、日本語解釈を示すために整備した底本となるテキストとその訓じを確認し、改めて墨子の原文との相違を確認する作業を行っています。作業において、弊ブログでは句読点の位置を除き、文章表記と用字は中国大陸側の「電子化計画」に載るものと台湾側の「維基文庫」に載るもので、ともに公表する墨子のテキストに従っていて、優先は中国大陸側の「電子化計画」です。墨子のテキストの扱いについて、従来の日本で紹介されているものとの大きな相違です。なお、弊ブログでの句読点の位置が違う分、中国大陸や台湾との解釈が違う箇所があることは明白です。
 加えまして、中国大陸などの遺跡・遺物などからの研究で墨子の文章は秦朝から前漢時代初期の姿から大きくは変わっておらず、儒学や仏学のように時代に合わせた解釈や校訂・編集が為されていないと指摘されています。そのために使われている漢字文字の意味は、簡単な漢字であっても『康煕字典』に載る古語解説や『説文解字註』などに改めての確認が必要になります。その分、近代中国語の基盤が成立した宋・元代以降の漢文への翻訳が揃う五経正義や孟子や荀子などから漢籍を研究する専門家にとって、墨子を原文から改めて読解を行う場合には大きな不利があります。
 最後に本ブログの重大な欠点として、紹介するものは正統な教育を受けていない者が行い、それへの正しい評価手続きを経ていないものです。世に云うトンデモ論の範疇のものということをご承知ください。そのため、一目瞭然ですが笑読程度のものとして扱うことを推薦します。あくまで、弊ブログで行う万葉集を眺める上で必要な古代日本を理解する為に、その古代日本への墨子の影響の有無を眺める作業への基礎資料整備です。

弊ブログの目的外のおまけとして、
 墨子を眺めた感想として、一般には墨学の「非攻上・中・下篇」の篇名から墨学は戦争を否定すると解説する場合がありますが、学説からすると墨学は戦争と云う行為自体は否定していません。戦争の目的が一方的な侵略戦争(「攻伐」や「寇」)ならば、その戦争行為を正当化する名目が存在しないから反対するのであって、戦争行為を正当化する名目(「誅」や「罰」の行使など)が存在する場合は戦争行為を肯定します。また、聖王が民衆教化のために行う後進地域の併呑行為は「攻伐」や「寇」には含まれません。およそ、墨学が戦争行為を正当化するものとしては次のようなものがあります。
① 現在の社会生活が安定してそれを防衛することで住民の生活に利益があると判断する場合、
② 為政者の行為により現在の社会生活が不安定で原因となる為政者を取り除くことで住民の生活に利益があると判断する場合、
 人に乱暴者がいるように乱暴な国も存在するから、このような乱暴な国から自己を守ることを正義(正当防衛)としますし、乱暴者に支配された民を救済するのも正義(誅罰)とします。墨学は出撃する戦争について古代の善なる王である湯王や武王と暴なる王である桀王や紂王とを比較対象の例に示し、ある種の警察機能としての軍の存在とその警察機能の行使となる戦争もまた誅罰の行為として正義とします。
 また、墨子が活躍した時代、鉄製農機具の普及と農業土木の技術発展から開発可能となった土地に対し人が不足していること、また、地域により開発技術の人材に濃い濃淡があることを背景に、統治能力に劣る地域を吸収し統治能力に長けた人材を配置して人民を豊かにする統治の統合政策とその過程の行為は古代の聖王の例を挙げて侵略戦争(攻伐や寇)とは別のものとします。つまり、墨学の非攻論にあっても古代の聖王とされる禹王、湯王、文王、武王たちの創業と併呑政策およびそれに類推行為は明確に侵略戦争からは区分します。
 このような理論組立の為に、墨学の非攻論の難しいところは警察機能とその行使となる戦争を認め、また、民生向上のための技術や統治機能の先進地域による後進地域の併呑も認めるところにあります。その時、実際に起きている戦争が警察機能の行使や行政権の行為なのか、それとも侵略戦争なのかの判断が難しいものがあります。例として古代にあっていち早く厳格な刑法の施行と身分制度を廃止した秦が中華を統一し旧制度を維持する強国間で生じていた戦争をすべて取り除くなら、これを実現する戦争は警察機能の行使となり正義とも考えられます。それならば墨学の一派が秦国に有り、秦墨として世に知られるのも道理です。
 次に墨学に人々を平等に扱う精神を示すものに「兼愛」が有ります。中華の伝統である父系血族をコアに関係性を同心円状に周囲に広げて行くものと対照的に血族・同族・同郷・階層などの枠を取り払い、人々を対等・平等に扱うことを説くことは非常に画期的な説です。ただし、墨学は同時に「尚同」と「尚賢」の精神と実践を説きます。墨学は「兼愛」と同時に「尚同」と「尚賢」をセットにしていることを十分に理解する必要があります。つまみ食いで兼愛だけを扱うと墨学を誤ります。
 墨学は兼愛の思想で人々を対等・平等に扱う精神を示しますが、同時に尚同の思想で兼愛の思想により平等に扱われる人々は、同じ集団の構成員として同じ価値感覚や道徳を共有しなければならず、同じ価値感覚や道徳を共有できない人は集団構成員からすれば暴であり、乱だから誅罰するとします。理論として同じ価値感覚や道徳を共有できない人は兼愛の枠外の人です。さらに尚賢の思想では同じ価値感覚や道徳を共有する尚同した人たちは、同じ集団・階層の中の「賢」なる人に従えとします。墨学は階層社会を前提としており、邑人は邑の賢に従い、邑の賢は郡県の賢に従い、郡県の賢は三公の賢に従い、三公の賢は天子に従うとします。儒学と墨学とは似た社会構造を示しますが、墨学の賢は世襲や血の理論では無く、実務遂行能力などにより上が賢なる人を選抜し、結果が劣ればその地位から排除すると云う排除の理論も合わせ持ちます。なお、古代の墨学の思想の限界は、この階層社会の中にあって「賢」の選抜は上からの行為であって、下からでも同じ構成員の中からの互選による選抜でもありません。つまり、最初から最上位の天子が存在することを前提とした理論構成となっています。
 戦争遂行とその勝利を前提としますと墨学の主張は実にもっともです。軍組織として、構成員全員が同じ意識と価値感覚を持ち、平等の原理で能力に基づき地位と権力行使範囲を決め、上意下達の指揮命令系統とそれを実行するための規則・規定を持つのは当然です。墨学を戦闘集団の理論と実践書として理解すれば、実に納得の書籍です。戦争遂行とその勝利を目的としたとき、孫氏の兵法は戦術論であり技術論ですが、墨学は戦争遂行を目的としたときの社会のありようまで踏み込んだ経世論と考えるべきでしょう。戦争が戦場で行われ、指揮官は戦場に立つべきとの認識と主張であれば、墨子とその弟子が経世論からすれば平時での戦場となる民衆・民生の最前線で実践の指揮を行う行為から、彼らを職人・工人集団と考えるのは誤解ではないでしょうか。当然、墨学の徒は評判されるように戦時では戦争を指揮し、戦闘の前線に有ります。
 また墨学の他の有名な精神論に「節葬篇」や「非楽篇」が有りますが、これらの精神は葬儀を行う時や歌舞音曲を楽しむ時の「程度」や「節度」と云うものを主張していて、儒学者が「礼」を示す儀式として求めるものと比べれば、それは無いも同然としています。例として、春秋時代にあって孔子が好んだ詩経などの「楽奏」は鄭衛の楽の言葉が示すように約二十種類の楽器を用いる数十人編成の楽団に性的な女性の舞いを伴うものであり、それも食事付きで夜通し演奏します。対する墨学の「非楽」とはアコースティック演奏のような一から二人程度の奏者、または自分で演奏して音楽を楽しむもので、その程度の音楽の楽しみなら儒学者が示す「楽」に比べれば無いも同然と主張します。この程度の楽しみなら翌日の勤務や労働に悪影響は生じないと説きます。これが墨学の示す非楽篇の真意ですし、税金を取られる側の理論です。節葬の説も同様です。ただ、古代では税金を取られる側を擁護する理論はぼろくそに叩かれます。墨学を叩いた儒学の指導により前漢末期頃までには「楽」で使用する楽器は約三十種類が必要になります。儒学の理論としては庶民から税を徴収し、その税で指導者階級が贅を尽くした「礼」を示す儀式を行うことで、それを用意・施行する職人や商人が潤い、お金が世の中を回り経済的に有益と説きます。政経政策論からしますと、ある種の古代における取られる側からの墨学の最適課税論と取る側からの儒学の有効需要論との戦いです。
 さらに儒学との対比から墨学では「天志篇」と「明鬼篇」、また「非命篇」が有名です。以下は弊ブログの特有の判断ですが、天志篇と明鬼篇については尚同・尚賢の理論と墨学の組織論を眺めると上意下達の組織の最高位に座る天子を制御する装置や仕組みは有りません。理論としては「天」なるものや「鬼」なるものが天子を制御することになるのですが、それを天志篇と明鬼篇で述べていると理解しています。ただ、信心がベースですから、天子が「天」なるものや「鬼」なるものを信じなければ話になりません。そのため、その存在を理詰めされると辛いのです。
 墨子の時代や墨学が集大成した時点では、この天子を制御する装置について理論的で同時に天子やそれを補佐する三公などの支配者層に受け入れられるものが見出されなかったのでしょう。それで、古代人の「不思議」への恐れや畏怖する精神状態;信仰心に期待して、天変地異や疫病疾病などに、「天」なるもの、「天」よりもより民衆に近い「鬼」の意思が示されるとして、天子を諭すのがやっとだったのでしょう。それでも唯一、天子を制御する具体的な装置として、後年からの歴史の評価の存在を示し、歴史に暴王ではなく聖王としての名を残せと説きます。名誉欲への期待が天子の暴や悪に対する唯一具体的な制御装置です。墨学もこの信仰心や名誉欲からの悪政制御の限界を理解していて、聖王となるかどうかは、結局、天子の持って生まれた「性」に帰結すると放り投げます。
 他方、古代日本では日本書紀にも載せるように「天」や「鬼」の意思を伝える巫女(天皇)と政務をとる大王(太政大臣)との二元体制を取ります。古代日本に墨学が伝わったとしますと、それは墨学の「尚賢篇」、「天志篇」、「明鬼篇」などを踏まえた統治における総合的な解決方法かもしれません。
 さらに墨学が説く「非命篇」は個々人に対する生まれ持っての運命論とは相違します。墨学が説く「非命篇」は為政者の自然災害などに対する事前準備や対策を説くもので、指導者は無為無策の言い訳として「天なる意思=天命」を持ち出すなというものです。個々人、それぞれの幸不幸の由来を扱うものではありません。墨子の非命篇は、技術者や実務者の論理・倫理からすると、一定のサイクルで発生すると推定される天災飢饉を前提として為政者が統治を行わないのならば人民は救われないと考えるのは当然です。浪費はするがそれ以外では無為無策の為政者に天災飢饉は人智の及ばない天命の表れであり、時の運命だとして逃げられたのでは堪りません。それで墨学は、為政者は天災飢饉を想定して民を指導して耕作殖産に励み平時にあって食料や衣料の備蓄、また、住居の整備を十分にしなさいと説きます。天災飢饉の記録を確実にすれば一定のサイクルでの来襲とその規模の予測は立ちますから、これはこれで実にまともな話です。このように墨学は為政者の逃げ道となる運命論を排除するために天災飢饉に備えて勤労と備蓄を説きますが、対する儒学では余剰生産は消費すべしでありその根拠を「礼」に置きます。天災飢饉が発生した時、十分な備蓄への理論を持たない儒学がそれは天命の一つの側面としての人が持って生まれた運命とするのであれば、その理論は為政者には大変に有益な学問で保護すべき学問です。
 なお、墨子は東周時代から秦朝時代の姿をそのままに残す特徴があり、その時代の思想的な言葉となる「徳」と言う言葉は、富谷至氏が「韓非子(中公新書)」で指摘するように、「君主がおこなう打算的、功利的恩恵であって、利に釣られる臣下の鼻先に置かれた甘餌」のような功利的恩賞を意味します。また、同じように「礼」の言葉は、金谷治氏が「荀子(岩波書店)」で指摘するように、「財物によって実際の働きをし、貴賤の身分関係によって修飾し、形式の多少によって分別づけ、隆盛と減殺の適切さを得る」のような形式的装飾性を求めたものを意味します。つまり、「礼」の機能によって貴賤の身分関係が儀式で費やした費用でその軽重が量れるものとの意味合いがあります。このため、近代儒学からの解釈とは大きく違うことに注意が必要ですので、そのような近代儒学の立場から墨子を解釈することは危険と思われます。
 付け加えて、墨子の第十四、第十五の章では戦闘実務論が記載されていますが、そこでの特徴的思想として、戦争・戦闘を行うことを前提として、女子を戦力として扱い参戦する男女は平等とし報償と懲罰規定を示します。また、上官の命令の無い降伏や停戦は認めず、一端、戦闘状態に入った後、何らかの命令外行動を取った場合は原則、死刑と規定します。身分による免責を規定しませんから墨子集団を率いるリーダー 巨子であっても例外とはなりません。これを厳密に適用しますと、巨子も国王等の上位責任者の命令なしでの降伏は死刑です。このために楚王との戦いに敗戦・開城した巨子・孟勝は、城主が既に国外逃亡していてその許諾判断を得ることは実際上不可能ですが、上位者となる城主の陽城君の許可を得ていない降伏を理由に自分に対し死刑を実行せざるを得なくなります。このような姿を頑固な墨守の態度と評論しますが、戦闘実務論とその実践からすると当然と云えば当然です。そこが、特権や免責慣習を持つ支配者階層と戦闘を行う師卒階層とを明確に区分する儒学などとの大きな相違があります。
 色々と弊ブログでの墨子を眺めた感想を紹介してきました。最後の指摘として、墨子の第一部となる親士、修身、所染、法儀、七患、辭過、三辯の七篇には墨学の全体概要が示され、第二部以降の各篇には第一部七篇で紹介した概要の詳細が相手のレベルに合わせて上篇、中篇、下篇などに分けて示されています。また、第一部七篇のそれぞれの篇は第二部以降の各篇で示すそれぞれのテーマでの論説の中から強い関係性を持つ部分をブリッジして篇として編集し、全体概要を判り易く示す側面も合わせ持ちます。そのため、墨子研究の専門家の意見とは異なりますが、最初に第一部七篇を十分に受け止め、眺めていただくことを推薦します。そのためにも残存五十一篇すべてを網羅する山田琢氏の「墨子上下(新釈漢文大系 明治書院)」の読解をお勧めします。
 最後の最後に、戦国時代から秦時代では墨子・荀子・韓非子の順があり、前秦時代は学派としては墨学が最大派閥で、次が楊氏のものです。また、秦には秦墨がいたと強く推定されています。弊ブログの判断では墨学と韓非子とは親和性が高いと判断しますが、ここをご指摘・批判いただければ幸いです。

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