竹取翁と万葉集のお勉強

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新選万葉集 「殺」、この言葉の用法

2023年12月30日 | 万葉集 雑記
新選万葉集 「殺」、この言葉の用法

 新選万葉集は平安時代初頭の和歌と漢詩とを対にして編まれた詩歌集です。この作品が作られた時代性から、漢詩での使われる漢字が現在と同じような意味合いを持つかは保証されていません。
 ご存じのように中国語自体、漢時代、隋唐時代、元宋時代以降では発音も大きく変わっていますし、漢字の意味合いも変化しています。それを受けて日本でも飛鳥時代までは漢時代の発音や呉音と称される南中国の発音で漢字を扱いますし、遣唐使の時代となる奈良時代から平安時代初期までは唐音と称される発音や漢字を正音として公式なものとして扱います。これが平安時代後期~鎌倉時代以降には大陸の元宋時代以降の近世中国語の影響と平安時代の文学鎖国時代の影響などにより日本語漢字と言う日本独特な漢字が誕生して来ます。これにより同じ漢字でも中国側と日本側で意味が違うようなことも起きています。
 このような背景を踏まえて、新選万葉集で、ちょっと、有名な漢字の解釈問題を紹介します。それが「殺」という漢字の解釈です。
この漢字「殺」の特殊な用法があります。それが次に示す、「又疾也。猛也。甚之意。」です。多分、これはまったくの想像外の用法ではないでしょう。
<康熙辞典>
又疾也。猛也。【白居易·半開花詩】「西日憑輕照、東風莫殺吹。」
<漢語大詞典>
甚之意。【唐白居易 玩半開花贈皇甫郞中】「西日憑輕照、東風莫殺吹。」、【宋朱敦儒 鼓笛令】「殘夢不須深念、這些箇、光陰殺短。」
<國語辭典>
甚、極。「愁殺人」、【元·張養浩 詠江南·一江煙水照晴嵐】「畫船兒天邊至、酒旗兒風外颭、愛殺江南。」

 ただ、中国古典文学を研究されている方々では有名で、一例として静岡大学情報社会学科の教授 許山秀樹氏の早稲田大学時代の論文で、「『V殺』の成立と展開-漢から唐末を中心にして-」と言うものがあります。この論文では、唐代の漢詩にあって、「〇+殺」の表記のことを「V殺」と表現して、この「V殺」の言う特徴的な用法を紹介します。それも「V殺」と言う用法は白氏文集に13詩を見ることが出来、およそ、白居易が好んだものだったと指摘しています。
 許山秀樹氏はその論文では漢詩に現れる「V殺」の言葉の「殺」の漢字を「甚」の漢字に置き換えて、詩が成立するかを確認する必要があると指摘します。置き換えが可能なら「V殺」は「V+甚だし(Vなるものは甚だし)」と言う特別な用法と判定が出来るとの指摘です。それもこの用法は白居易が好んだ表現方法と思われると指摘します。
 ここで、白居易の作品集である白氏文集の日本への伝来は平安時代・承和年間(834-848)頃と考えられていて、伝本の研究から留学僧・恵萼が蘇州・南禅院を訪れ、白居易直筆の「白氏文集」を寺僧の協力を得て書写し、承和14年(847)に帰国して日本にもたらしたと推定されています。それも鎌倉時代の伝本の奥書から当時の文章博士であった菅原家(菅家)の菅原是善が写本をしたと推定されています。菅家の門弟が総力を挙げて編んだ新選万葉集の編纂が寛平五年(893)ですので、学問の一門である菅家の中に白氏文集の伝来から50年ほどの時間が存在します。また、今日の新選万葉集の漢詩の研究では白氏文集の影響を認め、それぞれの漢詩の研究では使われる言葉に白氏文集の影響を確認することが基本的な要求となっています。
 新選万葉集の漢詩で「殺」の漢字を探りますと次の12詩を見いだせます。これらは嗤殺/咲殺、怨殺、惜殺、奢殺、身殺の言葉として使われていて、「V殺」を「V甚」に置き換えて「V+甚だし(Vなるものは甚だし)」の解釈が成立するかと言うと、「惜殺」以外では成立すると考えています。「惜殺」の「殺」は「殺、又掃滅之也。」で示される用法と考えています。

歌番22 紀友則
漢詩 嘒嘒蝉聲入耳悲 不知齊后化何時 絺衣初製幾千襲 嗤殺伶倫竹與絲
読下 嘒嘒(けいけい)たる蝉の聲は耳に入りて悲しく、知らず齊后の何(いづれ)の時ぞ化するを、絺衣(ちい)、初て製(つく)る幾千の襲(かさね)、嗤(ほほえみ)は殺(はなはだ)し伶倫の竹(ちく)と絲(げん)。
注意 伶倫は古代の楽器の演奏者ですので、ここでの竹は管楽器、絲は弦楽器を意味します。

歌番71 壬生忠岑
漢詩 試入秋山遊覽時 自然錦繡換単衣 戔戔新服風前艶 咲殺女牀鳳羽儀
読下 試に秋山に入りて遊覽せし時、自ら錦繡を単衣に換ふを然(しか)す、戔戔たる新たな服、風前に艶にして、咲(え)むは殺(はなはだ)し女牀(にょしょう)鳳羽(ほうう)の儀

歌番74 佚名
漢詩 七夕佳期易別時 一年再會此猶悲 千般怨殺鵲橋畔 誰識二星涙未晞
読下 七夕の佳期は別れ易き時、一年再び會ふとも此は猶も悲し、千に般(および)て怨みは殺(はなはだ)し鵲橋の畔、誰か識らむ二星の涙、未だ晞(かわ)かず。

歌番81 佚名
漢詩 三冬柯雪忽驚眸 咲殺非時見御藤 柳絮梅花兼記取 恰如春日入林頭
読下 三冬の柯(えだ)の雪は忽に眸を驚かせ、咲くは殺(はなはだ)しくも時非ずして御溝(ぎょこう)を見、柳絮(りゅうじょ)梅花を兼(とも)に取りて記し、恰(あたか)も春日の林頭に入るが如し。

歌番82 佚名
漢詩 試望三冬見玉塵 花林假翫數花新 終朝惜殺須臾艶 日午寒條蕊尚貧
読下 試に三冬を望み玉塵(ぎょくじん)を見、花林、假(かり)に數(あまた)の花の新なるを翫(めず)る、終朝(しゅうちょう)、殺(くだ)けむを惜み、須臾(しゅゆ)、艶にして、日午(じつご)、寒條(かんじょう)の蕊(ずい)は尚も貧(とぼ)し。

歌番87 佚名
漢詩 冬日舉眸望嶺邊 青松残雪似花鮮 深春山野猶看誤 咲殺寒梅萬朵連
読下 冬日、眸を舉げ嶺邊を望み、青松に残れる雪、花の鮮なるに似たり、深春の山野は猶も看て誤まり、咲くは殺(はなはだ)しく寒梅の萬朵の連(つら)なるを。

歌番103 佚名
漢詩 千般怨殺厭吾人 何日相逢萬緒申 歎息高低閨裏乱 含情泣血袖紅新
読下 千に般(および)て怨(うらみ)は殺(はなはだ)しく吾を厭ふ人、何れの日か相(たが)ひに逢ひて萬緒を申さむ、歎息は高く低くして閨裏は乱れ、情を含みて泣血し袖の紅は新たなり。

歌番120 源當純
漢詩 溪風催春解凍半 白波洗岸為明鏡 初日含丹色欲開 咲殺蘇少家梅柳
読下 溪の風は春を催し凍(こほり)を解すこと半、白波は岸を洗ひて明鏡と為す、初日、丹を含みて色(はな)は開(さ)くを欲し、咲くは殺(はなはだ)し、蘇少が家の梅柳。

歌番134 藤原朝忠
漢詩 春往散花舊柯新 毎處梅櫻別家変 楽濱海與泰山思 奢殺黄鳥出幽溪
読下 春は往きて花を散らし舊き柯(えだ)は新たなり、處毎に梅櫻は別けて家を変へ、濱海と泰山とを楽しく思ひ、奢(おごる)は殺(はなはだ)し黄鳥(こうちょう)の幽溪に出るを。

歌番181 佚名
漢詩 月影西流秋斷腸 桂影河清愁緒解 夜袂紅紅館栖月 咲殺人閒有相看
読下 月影は西に流れ秋は斷腸なり、桂影(けいけい)に河清くして愁緒を解く、夜の袂は紅紅にして館栖(かんす)の月、咲(え)むは殺(はなはだ)し人を閒(うかが)ひて相ひ看る有るを。

歌番203 佚名
漢詩 神女係雪紛花看 許由来雪鋪玉愛 咲殺卞和作斗筲 不屑造化風流情
読下 神女は雪に係りて花を紛(ふら)して看(なが)め、許由(きょゆ)は雪を来(ふ)らせ玉を鋪(し)きて愛る、咲(え)むこと殺(はなはだ)しも卞和(べんか)は斗筲(とそう)を作(な)して、造化風流の情を屑(よ)しとせず。

歌番238 佚名
漢詩 無限思緒忍猶發 身殺慟留且不憚 妾羅衣何人共著 燈下抱手語聳耳
読下 限り無く思ひ緒(おり)を忍へども猶も發(あらわ)れ、身は殺(はなはだ)しく慟(なげ)き留むも且(さら)に憚(はばか)らず、妾(それがし)が羅衣は何(いつ)か人と共に著(き)む、燈下に手を抱きて語(ことば)に耳を聳(そばだ)たす。

 おまけで、新選万葉集の伝本で「間」と「閒」との表記の違いがあるものがあります。「新選万葉集 諸本と研究」に載る林羅山筆は「間」ですが元禄九年版は「閒」です。中国でも中世以降では「閒」を「間」に換字しますが、宋・隋・唐初ですと「閒、覗也。猶容也。」とも紹介される言葉ですので、時代に合わせて「閒」を「間」に換字しますと、詩の意味合いが大きく変わります。「人閒」と「人間」とではまったく別な意味合いになります。

漢詩 散花後幾閒風秋 樹根搖動吹不安 崿谷躁起瞪不靜 自是仙人衣裳乏
読下 花散じて後に幾つか風に秋を閒(うかが)ひ、樹根は搖れ動き吹きて安らかず、崿谷(がくきょう)に躁(そう)は起(た)ち瞪は靜かならず、自から是に仙人の衣裳は乏し。

漢詩 幾閒秋穗露孕就 茶籃稍皆成黄色 庭前芝草悉將落 大都尋路千里行
読下 幾(きざし)を閒(うかが)ひ秋穗は露を孕みて就(な)り、茶籃(ちゃかご)は稍(ようや)く皆は黄色に成る、庭前の芝草(くさぐさ)は悉く將に落(かれ)むとし、都(うつくしみ)は大いにして路を尋ねて千里を行く。

漢詩 月光連行不惜暉 流水澄江無遊絲 岩杳摧楫起浪前 人閒眼痛歎且多
読下 月光は連なり行きて暉(かがやき)を惜しまず、流水の澄江に遊絲(ゆうし)は無し、岩は杳(くら)きに楫を摧(くだ)き浪前に起(た)ち、人を閒(うかが)ふ眼(まなざし)は且た多く歎き痛む。

漢詩 月影西流秋斷腸 桂影河清愁緒解 夜袂紅紅館栖月 咲殺人閒有相看
読下 月影は西に流れ秋は斷腸なり、桂影(けいけい)に河清くして愁緒を解く、夜の袂は紅紅にして館栖(かんす)の月、咲(え)むは殺(はなはだ)し人を閒(うかが)ひて相ひ看る有るを。

漢詩 花貌嬾秋風嫉音 人閒寰中寒気速 晴河洞中浪起早 露白烟丹妬涙聲
読下 花の貌は嬾(ものう)く秋風に嫉音あり、人は寰中(かんちゅう)に閒(うたが)ふも寒気は速く、晴河洞中に浪の起(た)つは早し、露白烟丹、妬涙の聲。

 今回、先の「新選万葉集 言葉遊びの世界」に続けて紹介しましたが、新選万葉集の漢詩で使う漢字は古い時代の意味合いを持つものがありますし、意図して誤解されやすい漢字を採用して遊んでいる面もあります。序文で奈良時代の万葉集について「漸尋筆墨之跡、文句錯乱、非詩非賦、字對雜揉、雖入難悟。所謂仰彌高、鑽彌堅者乎。然而、有意者進、無智者退而已。」と解説します。この新選万葉集は奈良時代の万葉集に習い、同様な表記スタイルを採用しますから、表記スタイルに対する態度は同じです。
 つまり、序の解説と同じで、読者は新選万葉集に対しても「有意者進、無智者退而已。」ということになるのです。作詩の方々は菅家一門の秀才ですから遊び心で言葉を表記します。それで、「大都」は「大いに都(うるわし)」ですし、「水面穀」は「水面は穀(よろ)し」です。また、「両岸斜」は「両岸に斜(かまえ)る」ですし、「夏漏」は「夏を漏(わすれ)る」です。さらに「一種」を「一つの種(たねくさ)」と読ませる工夫もします。実にアハハ!の漢字選択です。
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