万葉雑記 色眼鏡 三五一 今週のみそひと歌を振り返る その一七一
今回が「みそひと歌」の鑑賞の最後です。最後ですから万葉集最後の歌を取り上げますが、弊ブログの特徴から標準的な鑑賞ではありません。ここでは、万葉集から古今和歌集への編集のデザインについて考えてみたいと考えます。
天平宝字三年春正月一日に、因幡國(いなばのくに)の廳(ちやう)にして、饗(あへ)を國郡(くにのこほり)の司等(つかさたち)に賜(たま)はりて宴(うたげ)せし謌一首
集歌4516 新 年乃始乃 波都波流能 家布敷流由伎能 伊夜之家餘其騰
訓読 新しき年の始(はじめ)の初春の今日降る雪のいやしけ吉事(よこと)
私訳 新しい年の始めの初春の今日、その今日に降るこの雪のように、たくさん積もりあがれ、吉き事よ。
この天平宝字三年正月一日は西暦換算では759年2月6日で、その季節での立春の日は定気法で調べますと西暦759年2月4日です。また、平気法では西暦759年2月6日と推定されます。つまり、どちらであっても、年内立春となります。なお、当時の暦法からすると平気法でしょうから朔旦立春の年に当たり、非常におめでたい歳とされています。
一方、古今和歌集の最初の歌は在原元方の歌で、これは明確に年内立春を詠います。
古今和歌集 歌番号一
詞書 布留止之尓春多知个留日与女留 在原元方
詞訳 ふるとしに春たちける日よめる 在原元方
和歌 止之乃宇知尓春者幾尓个利比止々世遠己曽止也以者武己止之止也以者武
読下 としのうちに春はきにけりひとゝせをこそとやいはむことしとやいはむ
通釈 年の内に春は来にけり一年を去年とや言はむ今年とや言はむ
万葉集の最後の歌が年内立春を詠い、古今和歌集の最初の歌が年内立春の歌です。ともに、年内立春をでなくてはいけない特別な理由はありません。歌集の詠い納めの歌であり、詠い開く歌ですが、年内立春の必然性はあるのでしょうか。加えて、これは偶然の一致でしょうか、それとも編集でのデザインでしょうか。
弊ブログの立場は古今和歌集の仮名序や古歌集を紹介する歌番号1002の歌に「もじり技法」が見られ、同じように万葉集の歌々を紹介する「竹取翁の歌」に「もじり技法」が見られると云う編集での比較からすると、偶然の一致ではなく意図した編集でのデザインと考えます。
興味深いことに古今和歌集や後撰和歌集と万葉集との重複歌の問題についての研究では、従来に重複歌と考えられていたものは今日では歌の原文表記を下にした厳密比較から本歌取り技法の歌と考えられており、その古今和歌集の重複歌とされて来た本歌取り技法の歌は万葉集巻一から巻十六の範囲内で取られたものであることが判明しています。
この重複歌研究の派生成果ですが、古今和歌集編纂の直前までは万葉集は巻十六までの和歌集と考えるのが合理的だろうと考えます。理由の一つに源氏物語の引歌研究では万葉集の歌が巻二十までに渡って取られていますが、古今和歌集や後撰和歌集ではそうではありません。平安中期の教養人は万葉集を巻二十まで知っているのに、平安初期の教養人は巻十六までしか知らないのは、まだ、無かったと仮定する方が合理的と考えるためです。
ただし、年内立春の歌による接続が偶然の一致ではないとすると、万葉集は新撰万葉集から古今和歌集の間に現在の形の二十巻本の万葉集構成となっていますから、万葉集最後の歌と古今和歌集最初の歌は、古今和歌集の編纂までの間に万葉集の巻二十がデザインされたことになりますし、それを予定して古今和歌集の巻一が編まれたことになります。偶然の一致ではないとすると、このような推定が可能です。万葉集や古今和歌集の編集研究からすると、ちょっと、重い問題提起となります。既に万葉集最後の歌は朔旦立春の歌であり、おめでたく詠うことで万葉集を締めたと指摘しますから、年内立春問題は既知の事柄です。弊ブログの指摘は、単に視線を変えて、奇を衒った為にするものだけです。新規性はありません。
同様に編集のデザインに目を向けますと、万葉集巻十六の最後の歌は、怕物謌三首で締められており最後の歌は蔭位制度による官僚登用制度が庶民には一番恐ろしいものだと、左思の漢詩「詠史」を引用して嘆きながら締めます。
怕物謌三首
標訓 怕(おそろ)しき物の謌三首
注意 この歌三首は人が感じる三つの「反射神経的な怖さ」、「死体などへの本能的な恐れ」、「想像からの精神的な恐れ」を詠ったものです。
集歌3887 天尓有哉 神樂良能小野尓 茅草苅 々々波可尓 鶉乎立毛
訓読 天(あま)にあるや神楽良(ささら)の小野に茅草(ちがや)刈り草刈りばかに鶉(うづら)を立つも
私訳 天上にあると云う神樂良の小野、その言葉の響きのような讃良の小さな野にある茅草を刈り、その草を刈る途端に鶉が飛び出したような。
集歌3888 奥國 領君之 染屋形 黄染乃屋形 神之門涙
訓読 奥(おき)つ国(くに)領(うる)はく君し染め屋形(やかた)黄染(にそめ)の屋形(やかた)神し門(と)涙(なか)る
私訳 死者の国を頂戴した者が乗る染め布の屋形、黄色く染めた布の屋形、神の国への門が開くのに涙が流れる。
注意 屋形とは人が乗る箱のことで、普通は牛車の人の乗る部分を示します。ここでは棺を意味し、染屋形とは棺に布を掛けた状態を示します。
集歌3889 人魂乃 佐青有君之 但獨 相有之雨夜 葉非左思所念
訓読 人魂(ひとたま)のさ青(を)なる君しただ独り逢へりし雨夜(あまよ)枝(え)し左思(さし)そ念(も)ゆ
私訳 人の心を持つと云う青面金剛童子像を、私がただ独りで真っ暗な寺の御堂で拝んだ雨の夜。西晋の文学者だった左思が「鬱鬱」と詠いだす「詠史」の一節を思い出します。
注意 「人魂乃佐青有君」は当時に到来した四天王寺庚申堂の青面金剛童子の洒落です。「葉非」も枝は葉に非ずの洒落で、この「枝」と「左思」から「鬱鬱潤底松」で始まる漢詩「詠史」を暗示します。
万葉集巻十六の最後の三首一組の歌の最後の歌が漢詩『詠史』を暗示するとしますと、蔭位から栄華を極める藤原政治への皮肉ですし、それに参加できない弱小貴族の悲嘆です。壬生忠岑が古今和歌集の歌番号1003の長歌で「人麿こそは うれしけれ 身はしもながら 言の葉を あまつ空まで 聞こえあげ 末の世までの あととなし 今もおほせの」と詠うように、秀でた才能により世に出たいが出られない悲嘆を詠う姿と相似します。
万葉集巻十六の最後の三首一組の歌の最後の歌が万葉集編集者によるデザインなら、古今和歌集の歌番号1003の長歌はその感想文のような作品となるのですが、集歌3889の歌が示唆する左思の漢詩『詠史』は「白首不見招」の句で締め、一方、歌番号1003の長歌は「かしらは白く なりぬとも 音羽の滝の 音に聞く 老いず死なずの 薬もが 君が八千代を 若えつつ見む」で詠い納めますから、壬生忠岑は斯様に万葉集を隅から隅まで知っているか、編集でデザインした側の人です。
万葉集の編集と云う視線から、万葉集と古今和歌集を眺めますと、このように興味深い話が現れます。ただ、このような視点からの問題提起と問題解決への推理を踏まえた万葉集編纂史の提案が、今まで万葉集研究者からなされていないことには、多少の戸惑いがあります。
万葉集を楽しく鑑賞しますと、建設作業員でも斯様な与太話や酔論を垂れ流すことは出来ます。
今回で長歌と短歌をそれぞれに鑑賞を終えました。そこで、次週からは巻一から西本願寺本の表記のままに、再度、鑑賞をします。このために、現在の巻巻ごとに示しているものをブログのカテゴリーでは平成訓 万葉集として一つにまとめ、新たに令和新訓として巻巻とします。
今回が「みそひと歌」の鑑賞の最後です。最後ですから万葉集最後の歌を取り上げますが、弊ブログの特徴から標準的な鑑賞ではありません。ここでは、万葉集から古今和歌集への編集のデザインについて考えてみたいと考えます。
天平宝字三年春正月一日に、因幡國(いなばのくに)の廳(ちやう)にして、饗(あへ)を國郡(くにのこほり)の司等(つかさたち)に賜(たま)はりて宴(うたげ)せし謌一首
集歌4516 新 年乃始乃 波都波流能 家布敷流由伎能 伊夜之家餘其騰
訓読 新しき年の始(はじめ)の初春の今日降る雪のいやしけ吉事(よこと)
私訳 新しい年の始めの初春の今日、その今日に降るこの雪のように、たくさん積もりあがれ、吉き事よ。
この天平宝字三年正月一日は西暦換算では759年2月6日で、その季節での立春の日は定気法で調べますと西暦759年2月4日です。また、平気法では西暦759年2月6日と推定されます。つまり、どちらであっても、年内立春となります。なお、当時の暦法からすると平気法でしょうから朔旦立春の年に当たり、非常におめでたい歳とされています。
一方、古今和歌集の最初の歌は在原元方の歌で、これは明確に年内立春を詠います。
古今和歌集 歌番号一
詞書 布留止之尓春多知个留日与女留 在原元方
詞訳 ふるとしに春たちける日よめる 在原元方
和歌 止之乃宇知尓春者幾尓个利比止々世遠己曽止也以者武己止之止也以者武
読下 としのうちに春はきにけりひとゝせをこそとやいはむことしとやいはむ
通釈 年の内に春は来にけり一年を去年とや言はむ今年とや言はむ
万葉集の最後の歌が年内立春を詠い、古今和歌集の最初の歌が年内立春の歌です。ともに、年内立春をでなくてはいけない特別な理由はありません。歌集の詠い納めの歌であり、詠い開く歌ですが、年内立春の必然性はあるのでしょうか。加えて、これは偶然の一致でしょうか、それとも編集でのデザインでしょうか。
弊ブログの立場は古今和歌集の仮名序や古歌集を紹介する歌番号1002の歌に「もじり技法」が見られ、同じように万葉集の歌々を紹介する「竹取翁の歌」に「もじり技法」が見られると云う編集での比較からすると、偶然の一致ではなく意図した編集でのデザインと考えます。
興味深いことに古今和歌集や後撰和歌集と万葉集との重複歌の問題についての研究では、従来に重複歌と考えられていたものは今日では歌の原文表記を下にした厳密比較から本歌取り技法の歌と考えられており、その古今和歌集の重複歌とされて来た本歌取り技法の歌は万葉集巻一から巻十六の範囲内で取られたものであることが判明しています。
この重複歌研究の派生成果ですが、古今和歌集編纂の直前までは万葉集は巻十六までの和歌集と考えるのが合理的だろうと考えます。理由の一つに源氏物語の引歌研究では万葉集の歌が巻二十までに渡って取られていますが、古今和歌集や後撰和歌集ではそうではありません。平安中期の教養人は万葉集を巻二十まで知っているのに、平安初期の教養人は巻十六までしか知らないのは、まだ、無かったと仮定する方が合理的と考えるためです。
ただし、年内立春の歌による接続が偶然の一致ではないとすると、万葉集は新撰万葉集から古今和歌集の間に現在の形の二十巻本の万葉集構成となっていますから、万葉集最後の歌と古今和歌集最初の歌は、古今和歌集の編纂までの間に万葉集の巻二十がデザインされたことになりますし、それを予定して古今和歌集の巻一が編まれたことになります。偶然の一致ではないとすると、このような推定が可能です。万葉集や古今和歌集の編集研究からすると、ちょっと、重い問題提起となります。既に万葉集最後の歌は朔旦立春の歌であり、おめでたく詠うことで万葉集を締めたと指摘しますから、年内立春問題は既知の事柄です。弊ブログの指摘は、単に視線を変えて、奇を衒った為にするものだけです。新規性はありません。
同様に編集のデザインに目を向けますと、万葉集巻十六の最後の歌は、怕物謌三首で締められており最後の歌は蔭位制度による官僚登用制度が庶民には一番恐ろしいものだと、左思の漢詩「詠史」を引用して嘆きながら締めます。
怕物謌三首
標訓 怕(おそろ)しき物の謌三首
注意 この歌三首は人が感じる三つの「反射神経的な怖さ」、「死体などへの本能的な恐れ」、「想像からの精神的な恐れ」を詠ったものです。
集歌3887 天尓有哉 神樂良能小野尓 茅草苅 々々波可尓 鶉乎立毛
訓読 天(あま)にあるや神楽良(ささら)の小野に茅草(ちがや)刈り草刈りばかに鶉(うづら)を立つも
私訳 天上にあると云う神樂良の小野、その言葉の響きのような讃良の小さな野にある茅草を刈り、その草を刈る途端に鶉が飛び出したような。
集歌3888 奥國 領君之 染屋形 黄染乃屋形 神之門涙
訓読 奥(おき)つ国(くに)領(うる)はく君し染め屋形(やかた)黄染(にそめ)の屋形(やかた)神し門(と)涙(なか)る
私訳 死者の国を頂戴した者が乗る染め布の屋形、黄色く染めた布の屋形、神の国への門が開くのに涙が流れる。
注意 屋形とは人が乗る箱のことで、普通は牛車の人の乗る部分を示します。ここでは棺を意味し、染屋形とは棺に布を掛けた状態を示します。
集歌3889 人魂乃 佐青有君之 但獨 相有之雨夜 葉非左思所念
訓読 人魂(ひとたま)のさ青(を)なる君しただ独り逢へりし雨夜(あまよ)枝(え)し左思(さし)そ念(も)ゆ
私訳 人の心を持つと云う青面金剛童子像を、私がただ独りで真っ暗な寺の御堂で拝んだ雨の夜。西晋の文学者だった左思が「鬱鬱」と詠いだす「詠史」の一節を思い出します。
注意 「人魂乃佐青有君」は当時に到来した四天王寺庚申堂の青面金剛童子の洒落です。「葉非」も枝は葉に非ずの洒落で、この「枝」と「左思」から「鬱鬱潤底松」で始まる漢詩「詠史」を暗示します。
万葉集巻十六の最後の三首一組の歌の最後の歌が漢詩『詠史』を暗示するとしますと、蔭位から栄華を極める藤原政治への皮肉ですし、それに参加できない弱小貴族の悲嘆です。壬生忠岑が古今和歌集の歌番号1003の長歌で「人麿こそは うれしけれ 身はしもながら 言の葉を あまつ空まで 聞こえあげ 末の世までの あととなし 今もおほせの」と詠うように、秀でた才能により世に出たいが出られない悲嘆を詠う姿と相似します。
万葉集巻十六の最後の三首一組の歌の最後の歌が万葉集編集者によるデザインなら、古今和歌集の歌番号1003の長歌はその感想文のような作品となるのですが、集歌3889の歌が示唆する左思の漢詩『詠史』は「白首不見招」の句で締め、一方、歌番号1003の長歌は「かしらは白く なりぬとも 音羽の滝の 音に聞く 老いず死なずの 薬もが 君が八千代を 若えつつ見む」で詠い納めますから、壬生忠岑は斯様に万葉集を隅から隅まで知っているか、編集でデザインした側の人です。
万葉集の編集と云う視線から、万葉集と古今和歌集を眺めますと、このように興味深い話が現れます。ただ、このような視点からの問題提起と問題解決への推理を踏まえた万葉集編纂史の提案が、今まで万葉集研究者からなされていないことには、多少の戸惑いがあります。
万葉集を楽しく鑑賞しますと、建設作業員でも斯様な与太話や酔論を垂れ流すことは出来ます。
今回で長歌と短歌をそれぞれに鑑賞を終えました。そこで、次週からは巻一から西本願寺本の表記のままに、再度、鑑賞をします。このために、現在の巻巻ごとに示しているものをブログのカテゴリーでは平成訓 万葉集として一つにまとめ、新たに令和新訓として巻巻とします。
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