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竹取翁と万葉集のお勉強

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万葉雑記 色眼鏡 九四 類型歌か、定型歌か、

2014年12月06日 | 万葉集 雑記
万葉雑記 色眼鏡 九四 類型歌か、定型歌か、

 今回は『万葉集全訳注原文付(中西進、講談社文庫)万葉集事典』に載る上三句が同じ歌を、いくつか選別して鑑賞します。本来ですと歌の新旧を明らかにすれば、これらは本歌取り技法の歌と扱われそうですが、一般には類型歌とします。本ブログでは『万葉集』の歌ですが、「先行する和歌から明らかに二句以上を引用したことを示し、その上で、先行する和歌の歌の世界を踏まえた上で新たな歌の世界を詠う」スタイルを持つものを「本歌取り技法の歌」とします。そのため、和歌技法で定める厳密なものとは違いますが、御了承をお願いします。

 さて、手始めに集歌114と集歌2247の歌を鑑賞します。歌は集歌114の歌が先に詠われ、次いで集歌2247の歌が類型歌として詠われたと考えます。集歌114の歌の世界では女から男へと詠われたものが、集歌2247の歌では景色を変え、男から女へと詠います。標準的な訓読み万葉集からすると上三句が同句の類型歌となりますが、原文から楽しむ万葉集鑑賞では両歌とも厳密に選字がなされ、その上で集歌114の歌の世界を下にした集歌2247の歌は本歌取り技法のものとなります。
 標題に示す伝承からしますと集歌114の歌は但馬皇女から穂積皇子への恋歌となります。それぞれの独立した宮に住む皇女と皇子の関係から、「穂向」「異所縁」「君尓因奈名」などと、使う文字は厳密に選ばれています。これが立場と心情の違いにより、集歌2247の歌では「所依」「片縁」などの特別に選字された表記となっています。この世界は『古今和歌集』以降のひらがな表記の和歌鑑賞からは見えては来ないものと考えますし、およそ、流行の訓読み万葉集からは遠い世界です。

集歌114 秋田之 穂向乃所縁 異所縁 君尓因奈名 事痛有登母
標準 秋の田の穂(ほ)向(むき)のよれる片よりに君によりなな事痛(こちた)くありとも
私訓 秋し田し穂(ほ)向(むき)のそよる異そより君によりなな事痛(こちた)くありとも
私訳 秋の田の実った穂が風に靡き寄るように、私からからすてきな貴方(=穂積皇子)に慕う気持ちを寄せたい。それが貴方にとって面倒なことであっても。

集歌2247 秋田之 穂向之所依 片縁 吾者物念 都礼無物乎
標準 秋の田の穂(ほ)向(む)きのよれる片よりに吾(あ)は物(もの)念(も)ふつれなきものを
私訓 秋し田し穂(ほ)向(む)きしそよる片よりし吾(あ)は物(もの)念(も)ふつれなきものを
私訳 秋の田の稲穂が一方に傾いてしまうように、貴女にひたすら想いを寄せてしまった。私は貴女に物思いをする。でも、その貴女は私につれないのに。


 次に集歌1608と集歌2254の歌を鑑賞します。この歌二首は元歌と異伝歌と扱うのが良いものであって、類型歌などの範疇に入れるものではないと考えます。
 歌は集歌2254が先に詠われ、それに手を入れたのが集歌1608の歌なのでしょう。集歌2254の歌は巻十に載る無名人歌で、集歌1608の歌は巻八に載る弓削皇子の歌とされるものですが、場合によりともに柿本人麻呂かもしれません。なお、「戀」の意味について集歌1608の歌では恋愛での相手を恋い慕うこととし、集歌2254の歌では恋仲の男女が夜に行う愛の行為としています。異伝歌ですがその歌意は微妙に違います。

集歌1608 秋芽子之 上尓置有 白露乃 消可毛思奈萬思 戀管不有者
訓読 秋萩し上(うへ)に置きたる白露の消(け)かもしなまし恋ひつつあらずは
私訳 秋萩の上に置いた白露のように消えてしまいましょうか、貴女を恋い慕うだけなら。

集歌2254 秋芽子之 上尓置有 白露之 消鴨死猿 戀尓不有者
訓読 秋萩し上に置きたる白露し消(け)かも死(し)なまし恋にあらずは
私訳 秋萩の上に置いた白露よ。その白露が消え去るように儚く死んでしまうだろう。このように貴女と恋の営みが出来ないのなら。


 ついで集歌1595と集歌2258の歌を鑑賞しますが、先の集歌1608の歌と集歌2254の歌と比較すると非常に類型したものとなっています。集歌1608と集歌2258の歌は下二句が「消可毛思奈萬思 戀管不有者」と「消毳死猿 戀乍不有者」とで類型ですし、同様に集歌2254と集歌2258の歌では四句目が「消鴨死猿」と「消毳死猿」と近似した表記を行います。それでいて集歌1595と集歌2258の歌は上三句がほぼ等しい表現になっています。
 すると、穿った推理ですが、当時、人々の間には人麻呂歌集や古歌集などがあり、宴会などで必要に迫られて歌を詠う時、そのような歌集に載る歌をお手本に詠ったのかもしれません。それで定型句を下にした類型歌や地名や草木の名前だけを変えたある種の定型歌が生まれたのでしょう。

集歌1595 秋芽子乃 枝毛十尾二 降露乃 消者雖消 色出目八方
訓読 秋萩の枝も撓(とをを)に降る露の消(け)なば消ぬとも色(いろ)出(い)でめやも
私訳 秋萩の枝も撓むほどに降る露の、その露のように、私の命がはかなく消えるなら消えたとしても、けっして、人々の間に目立つように恋焦がれる気持ちを表に顕すことはありません。
注意 露は置くと云うのが本来ですので、情景は秋の淡い霧雨でしょうか。

集歌2258 秋芽子之 枝毛十尾尓 置露之 消毳死猿 戀乍不有者
訓読 秋萩し枝(えだ)も撓(とを)むに置く露し消(け)かも死(し)なまし恋ひつつあらずは
私訳 秋萩の枝も撓むほどに置く露が消えるように、儚く死んでしまおう、こんなに恋い焦がれていないで。


 次に集歌2394と集歌3085の歌を鑑賞します。伝統ではこの二首の関係は巻十二に載る集歌3085の歌は巻十一に載る集歌2394の異伝歌とします。そのため、漢詩体歌のスタイルを持つ集歌2394の歌の「風所見」の句を集歌3085の歌の句「髣髴所見而」から「ほのかに見えて」と訓じます。ある種の戯訓のような扱いです。逆に集歌3085の歌の句「玉蜻」は集歌2394の歌の句「玉垣入」から「玉かぎる」と訓じます。
 なお、『万葉集』の歌に漢字が持つ表語文字の力を認めるとしますと、この二首の歌が詠う世界はそれぞれに大きく違います。集歌2394の歌で示す女性は裳を着ける宮中女官です。それで五句目での「子」の用字となっています。一方、集歌3085の歌は早朝に家からちょっとした用事(朝菜洗いか、厠を使うためか)で表に出て来てすぐに家の中に戻っていったまだうら若い生娘を詠います。この背景から五句目が「児」となっています。口唱での歌意と、表記での歌意が異なると云う、ある種、典型の歌です。
 ただ、このように鑑賞しますと、その歌意は全く違いますから集歌3085の歌は万葉歌人が知力を尽くして創った漢字で詠うパロディー歌であるかもしれません。

集歌2394 朝影 吾身成 玉垣入 風所見 去子故
標準 朝影(あさかげ)に吾(わ)が身はなりぬ玉(たま)垣(かき)るほのかに見えて去(い)にし子ゆゑに
私訓 朝影(あさかげ)し吾(わ)が身はなりぬ玉(たま)垣(かき)る風そ見へし去(い)にし子ゆゑに
私訳 光が弱々しい日の出のように私は痩せ細ってしまいました。美しい玉の輝きが失せるように。その言葉の響きではないが、玉垣(=大宮)に流れるそよ風を見た。わずかに姿を見せて裳裾を風になびかせて去って行った貴女の後ろ姿のために。

集歌3085 朝影尓 吾身者成奴 玉蜻 髣髴所見而 徃之兒故尓
標準 朝影(あさかげ)に吾(あ)が身はなりぬ玉かぎるほのかに見えて去(い)にし子ゆゑに
私訓 朝影(あさかげ)に吾(あ)が身はなりぬ玉かぎるほのかそ見えに去(い)にし子ゆゑに
私訳 朝の影法師のように私の体は痩せ細ってしまった。トンボ玉がきらめくようにわずかに姿を見せて去って行ってしまったあの娘子のために。


 次に紹介する歌二首は一般には類型歌で扱われるようですが、歌意が異なる別々の歌と考えるのが良いと思われます。
 伝統において、集歌3063の左注に「又見柿本朝臣人麻呂歌集、然落勺少異耳」とありますから、『万葉集』写本伝承の早い時期から集歌2466の歌での「室事」と集歌3063の歌での「空言」は共に「むなこと」と訓じて、同じ言葉として「空約束」「偽りの言葉」と解釈します。ただし、歌の原文表記通りに集歌2466の歌を鑑賞しますと、私訳が示すように「睦事」と「偽りの言葉」との相違が現れ、歌意はまったく変わりますし、そのとき二首に共通する句自体がなくなります。
 なお、集歌2466の歌に使われる用字からすると歌は現実の男女の恋愛事情を詠ったものではなく、宴会などでの人々に披露する苦心した力作なのかもしれません。当時の若い女性の教育レベルを想定し、歌で使われる漢字と用法からしますと、作歌者の意図についていくのには大変だと想像します。

集歌2466 朝茅原 小野印 室事 何在云 公待
標準 浅茅原(あさぢはら)小野に標結(しまゆ)ふ空事(むなこと)をいかなりと云ひて君し待たなむ
私訓 朝茅原小野し印(しる)し室事(むつこと)をいかなりと云ひて君し待たなむ
私訳 早朝に巻向の浅茅ガ原の小野で私と貴方とが愛を契ったその私との室事(=睦事)を、「今日、また睦事をするのはどうか」と云って立派な貴方がその小野で私を待っている。
注意 原文の「室事」は一般に「空事」と表記しますが、ここでは原文のままに訓んでいます。また、「朝茅原」に「朝の茅原」と「浅茅原」との二つの意味を見ています。

集歌3063 淺茅原 小野尓標結 空言毛 将相跡令聞 戀之名種尓
標準 浅茅(あさぢ)原小野に標(しめ)結(ゆ)ふ空言(むなこと)も逢はむと聞こせ恋し慰(なぐさ)に
私訓 浅茅(あさぢ)原小野に標(しめ)結(ゆ)ふ空言(むなこと)も逢はむと聞こせ恋し慰(なぐさ)に
私訳 巻向の浅茅ガ原の小野に約束の標を結ぶという、その言葉の響きではないが、偽りの約束の言葉でも良いから「お前とまた逢おう」とおっしゃって下さい。この恋の慰めに。
或本歌曰、将来知志 君牟志待。又見柿本朝臣人麻呂歌集、然落勺少異耳。
注訓 或る本の歌に曰はく、来むと知らせし君をし待たむ。また、柿本朝臣人麻呂の歌集に見ゆ。然れども落勺(らくしゃく)少しく異なるのみ。(落勺:後半の内容)


 次いで、ともに巻十二に載る集歌3051と種歌3053との歌を鑑賞します。その集歌3051の歌には異伝あり、「吾念人乎 将見因毛我母」の下二句を紹介します。集歌3051と集歌3053との歌は上三句がまったく同じ表記ですが、異伝は集歌3051の歌の方で紹介されていることからすると、集歌3051の歌意に合わせたためと考えられます。つまり、私訳に示すように集歌3051の歌とその異伝では男は女にただ片恋いをしている風情ですが、集歌3053の歌では女は男の告白を受け入れてくれる風情です。
場合により、宴会で先に集歌3051の歌が先に詠われ、それを引き受けて答歌の形で集歌3053の歌が詠われたのかもしれません。ある種の歌垣歌のような展開です。

集歌3051 足桧木之 山菅根之 懃 吾波曽戀流 君之光儀乎
訓読 あしひきし山菅(やますげ)し根しねもころし吾はぞ恋ふる君し姿を
私訳 葦や桧の生える山の山菅の根、その言葉のひびきのような、ねもころに(=ねんごろに)、この私は恋い焦がれています。貴女のお姿を。
或本歌曰、吾念人乎 将見因毛我母
或る本の歌に曰はく、
訓読 わが思ふ人を見むよしもがも
私訳 私が恋い焦がれるあの人に逢える機会があれば良いのに。

集歌3053 足桧木乃 山菅根之 懃 不止念者 於妹将相可聞
訓読 あしひきの山菅(やますげ)し根しねもころし止(や)まず念(おも)ふは妹し逢はむかも
私訳 葦や桧の生える山の山菅の根、その言葉のひびきではないが、ねもころに(=ねんごろに)絶えることなく恋い焦がれていると愛しい貴女が私に逢ってくれるでしょう。


 次の歌は巻十一に載る非漢詩体歌表記のものと巻十四 東歌に載る一字一音万葉仮名表記ものとありますが、その訓じる歌は同じです。そこには採録された歌の出所が奈良の都と東国との違いがあり、天平時代には奈良の都で詠われた歌が人麻呂歌集や古歌集などの形で遠く東国まで流布していたと思われます。
 集歌3470の歌は、巻廿に載る防人歌の採録方法から推定しますと、防人などの御用で東国の人が上京した折に口唱歌を、それらの人たちの面倒を見た都の小役人が速記・記録したのであろうと推定します。つまり、文字に触れる機会があり役所が開く行事に出席するような、ある程度の身分の人たちは中央、地方を問わずに和歌は必要な教養であり、有名な和歌テキストに載る歌は暗記するほどに覚える必要があったと思われます。
 その集歌3470の歌は筆写された和歌集が地方にも流通していたと推定されるような、地方の文化レベルの研究において貴重な資料となるような作品です。

集歌2539 相見者 千歳八去流 否乎鴨 我哉然念 待公難尓
訓読 相見ては千歳(ちとせ)や去(い)ぬる否(いな)をかも我(われ)や然(しか)念(も)ふ公(きみ)待ちかてに
私訳 貴方に抱かれてから、もう、千年も経ったのでしょうか。いや、違うのでしょう。でも、私はそのように感じます。貴方を待ちかねて。

集歌3470 安比見弖波 千等世夜伊奴流 伊奈乎加毛 安礼也思加毛布 伎美末知我弖尓
訓読 相見ては千年(ちとせ)や去(ゐ)ぬる否(いな)をかも吾(あれ)や然(しか)思(も)ふ君待ちがてに
私訳 貴方に抱かれてから、もう、千年も経ったのでしょうか。いや、違うのでしょう。でも、私はそのように感じます。貴方を待ちかねて。


 次の集歌1900と集歌4041の歌とは表記スタイルは違いますが、ほぼ同じ発声で詠う歌です。紹介する集歌1900の歌は巻十に載る無名歌人の作品で、巻十八に載る集歌4041の歌は田邊史福麻呂が詠う歌です。その田邊史福麻呂が詠う集歌4041の歌は「于時期之明日、将遊覧布勢水海仍述懐各作謌(時に明日を期(ちぎ)りて、布勢(ふせ)の水海(みずうみ)に遊覧せむとし、仍(よ)りて懐(おもひ)を述べて各(おのおの)の作れる謌)」の標題で括られるものですが、どうして福麻呂が古い歌である集歌1900の歌を「己の想いを述べる歌」としてままに引用して詠ったのかは不明です。時に集歌1900の歌は大伴一族、旅人などにゆかりある歌であったかもしれません。この歌二首は、同じ歌であることが巻十八の標題や構成上、求められたものですので、異伝歌や類型歌などとは違う扱いの伝承歌の分類となるものです。

集歌1900 梅花 咲散苑尓 吾将去 君之使乎 片待香花光
訓読 梅し花咲き散る苑(その)に吾(われ)行かむ君し使(つかひ)を片待ちかてり
私訳 梅の花が咲き散る貴方の庭園に私は行きましょう。貴方からの使いをひたすら待ちながら。

集歌4041 宇梅能波奈 佐伎知流曽能尓 和礼由可牟 伎美我都可比乎 可多麻知我底良
訓読 梅の花咲き散る園(その)にわれ行かむ君が使を片待ちがてら
私訳 梅の花が咲き散る貴方の庭園に私は行きましょう。貴方からの使いをひたすら待ちながら。


 紹介する集歌2551の歌は巻十一に載る歌です。対句として紹介する集歌2947の歌とその異伝句は巻十二に載るものです。『万葉集』の編纂研究からすると、古歌を主に集めた巻十一に載る集歌2551の歌が先行する歌となり、巻十二に載るものの方が後年のものとなります。
 そうした時、集歌2551の歌は漢詩体歌からの古い時代の姿を示しますから、集歌2947の歌と合わせることにより、より理解が進みます。つまり、『万葉集』に異伝歌が多数存在することからすると、「おもふにし あまりにしかば すべをなみ」と云う口調が当時に大流行したものなのでしょう。類型歌と云う和歌の分類があるとすると、典型的な定型句を使った類型歌となります。
 もし、類型歌の例歌をここに求めるとしますと、この次に紹介する集歌497と集歌1118の歌は『万葉集』での本歌取りの例歌として良いものと考えます。

集歌2551 念之 餘者 為便無三 出曽行 其門乎見尓
訓読 念(おも)ひにしあまりにしかばすべをなみ出でてぞ行きしその門(かど)を見に
私訳 貴女に恋い焦がれて、もう、どうしようもなくて、我家から出かけて見に行った。貴女が屋敷の中から出入りするでしょう、その家の門の様子を見に。

集歌2947 念西 餘西鹿齒 為便乎無美 吾者五十日手寸 應忌鬼尾
訓読 想ふにし余りにしかばすべを無みわれは言ひてき忌むべきものを
私訳 心に貴女を想い、恋焦がれるのを、もう、どうしようもなく、私は何度も何日も貴女の名前を口に出してしまった。慎むべきなのに。
或本歌曰、門出而 吾反側乎 人見監可毛。
或る本の歌に曰はく、
訓読 門出してわがこい伏すを人見けむかも。
私訳 家の門に走り出て私が転んだのを誰か見たでしょうか
一云、無乏 出行 家當見。
一は云はく、
訓読 すべを無み出でてそ行きし家しあたり見に
私訳 どうしようもなくて出かけて行った。あの娘の家の辺りを見に。


 次に紹介する集歌497と集歌1118の歌は共に柿本人麻呂が詠う歌です。弊ブログでの推定で集歌497の歌は人麻呂と軽の里の妻とがそれぞれ官人・女官の立場で持統天皇の紀伊御幸に同道した時のものですし、集歌1118の歌はその軽の里の妻が亡くなり四十九日の縁日に人麻呂が亡き妻を偲んで詠ったものと考えています。つまり、集歌497の歌が先行し、集歌1118の歌はその縁ある女の死を悼んで、先行する歌を引用して詠ったと推定することが可能となります。
 和歌作歌技法を述べる時、これが本来の本歌取りの歌となるものですし、一人の歌人が時間を置いて詠った本歌取りの歌としては貴重なものと考えます。従いまして、反射神経的に類型歌として処理することは出来ないと考えます。歌はやはり鑑賞するものです。

集歌497 古尓 有兼人毛 如吾歇 妹尓戀乍 宿不勝家牟
訓読 古(いにしへ)にありけむ人も吾がごとか妹に恋ひつつ寝(い)ねかてずけむ
私訳 天之日矛の伝説のように昔の人の天之日矛も私のように貴女を恋しく夜も眠れなかったのでしょうか。(そして、私が貴女を追ってきたように阿加流比売神を追って来たのでしょう。)

集歌1118 古尓 有險人母 如吾等架 弥和乃檜尓 插頭折兼
訓読 古(いにしへ)にありけむ人も吾がごとか三輪の檜原(ひはら)に挿頭(かざし)折(を)りけむ
試訳 昔にいらしたと云われる伊邪那岐命も、私と同じでしょうか。三輪の檜原で鬘(かづら)を断ち切って、偲ぶ思いを断ち切ったのでしょうか。


 次の歌二首は標準訓読みと私訓が相違し、私訓からすると下三句が類型となり、上二句は類似してはいないことになります。一方、標準的な訓じでは同じ発声の歌で表記が違う異伝歌となります。
 感覚的に巻七に収録される古集に載る集歌1224の歌が先行し、後に「蒙」の漢字を「たなびく」と解釈して、碁師が先行する集歌1224の歌の地名だけを変更して巻九に載る集歌1732の歌を詠ったのではないでしょうか。詠い手はあくまでも貴人の碁の相手や指導を行う碁師ですから、和歌は本職ではありません。想像ですが、宴会などで強いられて歌を所望された時に、教養として暗記している歌をとっさにもじって和歌としたのではないでしょうか。それで、二句目以降は全てパクリと云う姿です。
 当然、先行する和歌山の海上にあって航行の目標とするはずの大葉山が霞(霧?)で隠れ、仕方が為しに近くの湊に停泊をすると詠う集歌1224の歌を知っている人にとっては、口唱で詠う歌はほぼ同じですが上二句が微妙に違うことによって内容が大きく変わります。それを知ってか、知らずか、大真面目に詠う碁師の姿からすると、それはそれで宴会を和ませる大笑いの歌となります。
 なお、後年、碁師に習い大真面目に集歌1224と集歌1732の歌を元歌と異伝歌とするために、集歌1732の歌の初句「母山」を「祖母山」と変えた人がいるそうです。

集歌1224 大葉山 霞蒙 狭夜深而 吾船将泊 停不知文
標準 はは山に霞たなびきさ夜更けて我が船泊てむ泊り知らずも
私訓 大葉(おほば)山(やま)霞し蒙(おほ)ふさ夜(よ)更(ふ)けに吾が船泊(は)てむ泊(とま)り知らずも
私訳 大葉山を霞がどんどんと覆い隠して行く、そのような夕暮れ時に私が乗る船は船泊りをする。そこがどこの湊なのかは知らないが。

集歌1732 母山 霞棚引 左夜深而 吾舟将泊 等万里不知母
標準 はは山に霞たなびきさ夜更けて我が船泊てむ泊り知らずも
私訓 はは山し霞たなびきさ夜(よ)更(ふ)けに吾(あ)が舟泊(は)てむ泊(とまり)知らずも
私訳 はは山に霞が棚びき、やがて、夜は更け行き、私が乗る船は停泊する。ここが、どこの湊かは知らないが。


 さて、巻十一に載る人麻呂歌集に含まれる漢詩体歌スタイルの集歌2372の歌を単独で鑑賞すると歌はそれが漢詩体歌での表記のため難解ですが、巻十二に載る集歌2867の歌と合わせて鑑賞すると、理解が進みます。
 歌は男が女の許を通った後に、その女に対して「お前と昨夜、肌を合わせたことで恋しさが一層募った」と感想を詠ったものです。平安時代ですと後朝の歌に相当するものとなります。
 この歌二首に対しての素人考えですが、青年時代最初期に人麻呂が集歌2372の歌を詠い、それを恋の相手となる若い女性にもう少し分かりやすいようにと推敲したものが集歌2867の歌ではないかと想像します。それも最初の妻問いからそれほど期日を置かずに女性の許を訪ねた時に女性から集歌2372の歌の解説を請われて、それを説明しつつ推敲したのではないかと考えます。それが四句目の「其夜者由多尓」の表現に現れているのではないでしょうか。そうしますと、歌は類型歌と云うよりも元歌と推敲歌と分類するのが良いと思います。
 これらの歌は弊ブログでは人麻呂が軽の里の妻へと妻問いを始めた天智天皇七年頃のことではないかと想像しています。

集歌2372 是量 戀物 知者 遠可見 有物
訓読 かくばかり恋ひむものぞと知らませば遠くも見べくあらましものを
私訳 このように貴女に恋するものと知っていたら、初めて貴女に会ったとき、貴女を抱くことをせずに、遠くからただ貴女の姿を眺めているだけの方が良かった。

集歌2867 如是許 将戀物其跡 知者 其夜者由多尓 有益物乎
訓読 かくばかり恋ひむものぞと知らませばその夜は寛(ゆた)にあらましものを
私訳 これほどに貴女のことを恋焦がれると知っていたら、貴女とのその夜はもっとゆったりしていればよかった。


 次に紹介する集歌2182と集歌2213の歌は、相互に歌を比較することで原文の理解が進むような歌です。そこから「屋前」を「やと」、「五更」を「あかとき」と訓じます。そして「比日」と「比者」は共に「このころ」と訓じます。
 さて、歌はともに巻十の「詠黄葉」の部立てに載る歌で四句目が違う以外はほぼ同じ歌です。その四句目が違うために秋萩の状況が違います。歌に素人の感覚ですが、この二首の詠い手は同じ人であり、作品として集歌2213のものが先にあり、その推敲の成果が集歌2182の歌ではないかと想像しています。つまり、元歌と推敲歌の関係です。

集歌2182 比日之 暁露丹 吾屋前之 芽子乃下葉者 色付尓家里
訓読 このころし暁(あかとき)露(つゆ)に吾(あ)が屋前(やと)し萩の下葉(したは)は色付(にほひ)にけり
私訳 近頃の暁ときに置く露のために、我家の庭の先に見える萩の下葉は色付いてきた。

集歌2213 比者之 五更露尓 吾屋戸乃 秋之芽子原 色付尓家里
訓読 このころし暁(あかとき)露(つゆ)に吾(あ)が屋戸(やと)の秋し萩原(はぎはら)色づきにけり
私訳 近頃の暁ときに置く露のために、我家の庭の先にある秋萩の茂みは色付いたよ。


 次に紹介する集歌2620の歌は巻十一に載り、一方、集歌2969の歌は巻十二に載ります。歌の姿は何かの宴会で歌垣のような歌会が行われた時に相聞問答歌の一つとして詠われたものが、主宰者と作歌詠い手とにそれぞれが残され、後に『万葉集』編纂の折、別々のルートで採録されたような雰囲気を示します。使う文字からすると、集歌2969の歌が作歌詠い手に残ったものかもしれません。従いまして、これらの歌二首の関係は『万葉集』特有の異伝歌の位置付けになるでしょうか。

集歌2620 解衣之 思乱而 雖戀 何如汝之故跡 問人毛無
訓読 解(と)き衣(きぬ)し思ひ乱れに恋ふれども何(な)そ汝(な)しゆゑと問ふ人もなき
私訳 脱いだ衣が乱れているように心を乱して恋い焦がれるが、「どうした、お前の今の様子は」と尋ねる人もいません。
注意 原文の「解衣」を「解濯衣」の言葉の展開から「縫い糸を解いて布に戻した衣」と解釈するものもあります。艶を取ると脱いだ衣、生活感を取ると糸を解いた衣となります。

集歌2969 解衣之 念乱而 雖戀 何之故其跡 問人毛無
訓読 解(と)き衣(きぬ)し念(おも)ひ乱れに恋ふれども何し故(ゆゑ)ぞと問ふ人もなみ
私訳 閨で脱いだ衣が乱れているように心を乱して恋い焦がれるけれど、「お前は、どうして、そんなに気を取り乱しているのか」と問う人もいません。
注意 原文の「解衣」は、「紐を解き脱いだ衣」と「縫い糸を解き布に戻した衣」の二通りの解釈があります。ここでは「紐を解き脱いだ衣」として解釈しています。


 以上、万葉集を眺めて来ました。
 ここで素人考えを紹介しますと、ほぼ、同じような句を使い詠う歌でも、本歌取りの歌、定型句を使った類型歌、元歌と推敲歌、元歌と異伝歌、元歌と伝承歌、元歌と表記文字の差を生かしたパロディー歌などに分類が出来るようです。歌の鑑賞過程で紹介しましたが、『万葉集』の歌は漢字と表語文字である万葉仮名だけを使った表記の歌が大半であるがために、他の和歌集のように、ただ、単純に「類型歌として」などと気軽に紹介は出来ないようです。
 なお、ここでのものはあくまでも、「素人の歌の鑑賞と学問無知」がベースにあります。学問的な類型歌や本歌取り歌の定義や分類は専門書にてご確認をして下さい。

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