たけちゃん活動・生活日誌

県議としての活動に追われてきましたが、引退後の生活の様子や、感じていることを発信しています・・・。

須坂病院の今後

2008年09月20日 | Weblog

県立須坂病院と長野市民病院


 私は市議の時、長野市民病院建設に深く係わったことから今でも愛着を持っています。
 長野市民病院の整備は、長野市政90周年事業に向けた市民アンケートで一番市民要望が多かったことから、90周年事業の一つに位置付けられましたが、当時医師会の抵抗もあり実現には至りませんでした。
 時を経て、当時の社会党市議団が市議選の公約に市民病院の整備を掲げ「長野市民病院を創ろう!」というパンフレットを作成し争点にしたこともあり、その後「整備基金」が積み立てらるようになりました。
 その後、昭和58年に私は市議になりましたが、柳原市長時代に市役所第2庁舎の建築をめぐり市議会第一会派の新友会が、市民病院の建設基金を庁舎建設にあてるべきとする見解を持って以降、年々基金への積立額は減額され、ついに当初予算額がゼロとなったことがあり、会派として市長に抗議し、決算剰余金から2億円を積み立てさせることもありました。
 塚田市長となり、積立金を踏まえ病院建設の方向が出され、議会としても病院建設を具体化するため特別委員会を設置しましたが、医師会の抵抗が強く産婦人科や小児科等の当初からの設置が出来ませんでした。


 市民病院開設に当たって当時課題となり確認されたことは、県の圏域ごとの計画策定により当初病床数は300床とせざるを得ないが今後採算に見合う病床数(600床)を目指すこと。医師会等との交渉により、全ての診療科目を網羅出来ない病院となることから今後、医師会との連携を含め話し合いを継続すること。そのためにも市民病院の役割は成人三大病を中心として地域の高度医療を担う基幹病院とし、開業医との連携を重視し「紹介状」の患者を優先すること。全国の自治体病院の多くが赤字続きの状況の中で赤字を出さない病院経営を行うこと。とかく自治体病院は医師や看護師、職員等の態度が悪い等の評判や待ち時間が長いなどの苦情が多いため、スタップが患者さんと笑顔で接することや「待たせない病院」とするためスムーズな事務処理システムを確立すること。病院の評判は優秀な医師の確保により決まることから、信大附属病院から医院長を向かえ優秀な医師を持続的に確保出来る病院とすること。病院施設は清潔感と機能性が大切であり、そのために廊下の広さなど国の補助基準以上の整備を行うこと。病院へのバス路線を確保すること。病院運営は直営による弊害もあることから、議会も関与出来る保健医療公社を設立すること等々です。(保健医療公社については、その後地方自治法改正により指定管理者制度が導入された。)
 建設場所については、既存の市内にある日赤・厚生連などの総合病院の配置を考慮し現在の場所になったと思います。
 私は、その後、これらの市民病院整備への経過から保健医療公社の評議委員を何年か務めました。


 前置きが長くなりましたが、私は、そんな経緯から人間ドックや両親の入院、両親が亡くなった時、検査入院等々、大変、長野市民病院にはお世話になって来ました。
 でも、長野市民病院は私の地元にあるため検査等で通院すると、検査・診療・会計まで最低6回は氏名を呼ばれ、そのことが原因で病院に来ている地元の皆さんから「どこが悪いの」と声をかけられたり、待合室の人の目線を感じ耐えられなくなりました。


 こんな気持ちから、最近は必要があればお隣の市の県立須坂病院へ行くことにしました。 須坂病院も患者の名前を呼びますが、知っている人も少なく長野市民病院のようなことはありません。
 また、外来患者は長野市民病院と比べ私の感覚では約三分の一位で、検査結果等を出す待機時間を含めても、ほぼ予定時間内ですみます。
 さらに、看護師さんや医師等の対応が親切で、予定時間を過ぎてもいないのに順番待ちの患者に「大変お待たせして申し訳ありません。」と声をかける姿勢には好感が持てます。


 ある日、私は歯ぐきの腫れがひけないため須坂病院の医師から紹介状を頂き長野市民病院の歯科・口腔外科で治療を受けました。歯科・口腔外科の医師は私も存じており、適切な対応を頂きましたが、疲労から他の部署で点滴を受けることになり約一時間ほど様子を見ていましたが、何か患者の対応に追われ殺気だった雰囲気でした。
 今、長野市民病院はテレビのコマーシャル、求人情報誌で医師・看護師を絶えず募集していますが、あの雰囲気では多忙すぎて退職する方が出たり、噂が噂を呼びスタッフが集まらなくなっているのではと思いました。
 病院設立当初の「患者さんへの笑顔の対応」は、何時の間にか「笑顔の向こうに、暗い影見え隠れ」しているような気がします。
 そのためか、市民病院は基本的に紹介状のない外来は受け付けない方向を打ち出しました。
患者が多く殺到して嬉しい悲鳴ですが、そのために多忙すぎて職員が集まらない、サービスが行き届かないという悪循環に陥れば、こんどは病院の評判が悪くなるのではと心配しています。


 ところで市民病院へ行くと須坂市の方や県職員の方を良く目にします。中には須坂市の議員にも何度か行き会いました。
 なぜ、県立須坂病院でなく長野市民病院を選択するのでしょうか。疑問に思います。
その後、そのことが気になり須坂市の知っている複数の方にお聞きすると「須坂病院は昔から評判が良くない。」、「年配の看護師の態度が良くない。」との批評が帰って来ました。また、妻によるとご近所の方と井戸端会議で私が須坂病院で診察を受けていると言うと「須坂病院で大丈夫。」との反応が帰って来たとのことで、何か須坂病院は私の印象と違って「評判が悪い」というレッテルが、まだ蔓延しているようです。


 県の資料によれば平成18年度の須坂病院の利用者数は24万8277人で、内須坂市が69.8%、上高井郡が14.2%、長野市が7.6%等となっていますが、手元に資料はありませんが、確か須坂市市民で長野市民病院を利用する方の割合は結構高かったと思います。
 昭和23年6月、日本医療団の解散に伴い県に移管され県立須坂病院となってから、今年で60年が経過しました。
 現在の齊籐博医院長は「県立須坂病院だより」の中で「これまでの60年の歴史は地域の住民の皆さんの須坂病院に対する熱い思いの歴史でもあります。『病院は地域の住民により育てられる』まさにその通りであると思います。」と述べています。
 確かに、その通りだと思いますが、でも、これまでの改革により医師や看護師さんの患者への接し方などサービスを良くしたり、優秀な医師を確保しても、一度決めつけられた評判が地域の中で拭いきれないのはなぜか。
 私は、地方独立行政法人化と言う前に、この疑問を解消することが先ではないかと考えるようになりました。
 長野市民病院が白紙からスタートし市民の税金から積立金を積み立て、どの様な病院が良いか様々検討を重ね、医師会等との苦難な交渉も重ね出来た市民のための病院故に、今では多忙すぎることが悩みなど市民から愛されているいるのではないか。
 一方、須坂病院は利用者の約70%が須坂市民であるにも係わらず、県立の病院として、そこにあって当たり前という市や市議会、市民の見方が定着しお任せ民主主義となっていたのではないか。この点、私は、前から須坂病院の利用者が須坂市と上高井郡の狭い範囲で84%であり、他の県立病院が果たす役割と違い、県立で運営することが、市独自で病院運営をしている自治体から見れば県の税金の使い方として不公平ではないか。
 おまかせ民主主義の弊害から立脚するには、須坂市か広域事務組合等への病院の移管を提案した方が、それぞれの議会審議も活性化し地域住民の皆さんに愛される病院へと進化していくのではないかと思っています。
 もし、独立行政法人化とする場合でも、「おまかせ民主主義」を脱却するには関係市町村から、出資金を出して頂き病院経営に参画してもらい責任ある取り組みを行って頂く仕組みを創るべきです。


 以上、須坂病院と長野市民病院を比較し、今考えていることを述べましたが、それは、両病院も様々な課題を抱えていますが、お互いに隣接する公的病院として、さらに深い連携を模索する時期に来ているのではないか。
 そのためには、これまで両病院が果たして来た役割を再確認し、患者の動向やこれから必要とされる医療サービス、スタッフの確保など共存出来る選択肢があるのではないか。
 県立病院の地方独立行政法人化の検討に当たり、こうした方向も示して欲しいと思ったからです。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿