たけちゃん活動・生活日誌

県議としての活動に追われてきましたが、引退後の生活の様子や、感じていることを発信しています・・・。

それぞれの人生

2007年10月21日 | Weblog

自治体議会政策学会でのこと。

 10月19日に横浜で行われた自治体議会政策学会研修会に参加した時、私が会場の受付に行くと、受付の女性の方が「竹内さんお久しぶり。片岡さんが待っているわよ。チョット待ってて、呼んで来るから。」と言って、奥の部屋から片岡さんを連れて来てくれました。

 実はこの片岡さんという人は、私が学生時代に文京区議会議員(社会党公認・当時20代)をしており、私をこの道に引きづり込んだ犯人なのです。この片岡幸三さんは、その後、東京都議としても活躍しましたが、体調を壊し引退した後は自治体情報誌「ディーファイル」を発行するイマジン出版の発行人として頑張っており、今回研修会を開催した自治体政策学会の事務局もしているのです。

 片岡さんは私の顔を見て笑顔で「久しぶり。良く来てくれました。決算議会はじまっていないの。」と言って近づいて来て、「ところで、浅田君が文京区議になったの知ってる?」と問いかけて来ました。

 「え~。浅田君て拓大の、あの浅田君?」と私が尋ねると、片岡さんは「そうそう、あの浅田君だよ、竹内さんの後輩の。前任の区議が区長選挙に出ることになり、急遽選挙の一ヶ月前に出ることになったんだよ。でも良く当選したよ。キット文京区は拓大のOBが結構いるから応援してくれたんだね。」というのです。

 浅田君は、私が拓殖大学在籍中の一つ後輩で大変仲の良い親友でした。彼は岡山県の出身でしたが、卒業後は東京で団体職員として就職。その後学生時代に知り合った奥様と結婚し、文京区役所職員として仕事をしているはずでした。それが、まさか私と同じ議員になっているとは、片岡さんに教えてもらうまで全く知りませんでした。

 この事実を知り、私は片岡さんに「僕がこうしているのも、この道に引きずり込んだのは片岡さんが犯人だから、今後の人生に責任があるよ。浅田君も可哀想に。」というと、片岡さんは笑っていました。

 家に帰り、そのことが事実であることを確認するため、インターネットで東京都文京区のホームページを調べて見ると本当でした。4月25日の統一地方選挙で定数34人

07asada.jpg

中、33番目(1,420票)に「浅田やすお」という名前があり、添付の写真がありました。

 私は嬉しくなり、彼の自宅にさっそく連絡してみました。残念ながら本人は留守でしたが、懐かしい奥さん(旧姓・阿部さん)の声を聞くことができました。そして、阿部さんは昔ながらの楽観的でまわりを楽しくさせる雰囲気そのままに、選挙の時のことや今の生活の様子を話してくれました。

 それにしても、学生時代には「将来はどんな仕事をして、どんな生活をしているんだろう。」と不安な毎日であった記憶がありますが、私自身が今議員をしているなんて想像も出来ないことでした。でも、今、私の親しかった後輩が議員をしている現実を知り、人それぞれの人生の重さを痛感するとともに、また、一人(秋田に議員をしている先輩がいる)学生時代の仲間で議員として同じ課題で語り合える仲間が出来たことを嬉しく思い、こんど一緒に懇親を深めることを計画している自分に気付きました。

 浅田やすお文京区議のホームページ

 http://asada.b1net.com/

 娘さんがお父さんを応援するホームページ

 http://asada-yasuo.at.webry.info/200710/article_2.html



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