『この薬剤に対してロバストであったと言えます』
「なんでいちいちロバストとか言わなあかんのん?」
『それは俺がそう訊きたいです。あらゆる場面で、そう言え、って言われるんです』
「だから、非感受性、とか言うたらイイでしょ?」
『そんなん、同じっすよ。この薬剤入れても結果はカワラナイ、で十分じゃないですか』
「HAHAHA。せやろ。そうやって、自分、所詮コミュニティに飼い慣らされとるんや」
『はは、確かにそうかもしれないですね。でも…』
俺からすれば、俺以外の全員、みんな、もっと、そうです。っという言葉は発することができなかった。
自らの乏しい実力を誇示したいなら、話をややっこしくみせると手っ取り早い。それは俺がこのページでよくやってることだし、そういうことを平気で仰る偉そうな先生も沢山いる。
ものごとをややこしくすることで自分の力を誇示する。
そういうことを平然とできるようになることが、あなたが俺にいつも言ってた「大人」なのかもしれないね。
こういうめんどくささこそが、あらゆる社会貢献の進捗を遅らせ、社会全体のモチベーションを下げる。そういうことを各個人の心ではわかっていても、自らのレゾンデートルを守りたいがゆえ誰もが止めることはできず、純粋な正しさで突破しようとする者は、彼らの自分勝手なシステムの中で殺される。比喩ではなく、本当に殺される。
この卑怯な手段が蔓延するシステムのなかで生き抜くには、薄暗闇に隠れていることが重要なのだ。
目立つな!出る杭は打たれるのだから!!ってね。
みんなちょっとずつやってること?、でも大きくやりすぎてしまえば、もしくは権威なく権威ある者と同じレベルでやってしまえば、フィードバックがかかる。それも、純粋な気持ちの正しさで突破するのと同様、システムの中で殺されてしまう。
その様を、いま話題になってる理研を中心とするグループに観ているのかもしれないよね。非捏造から捏造への変化は、相転移ではなく、クロスオーバーなのだから。
だから、「研究者として生きて行くためには、そういうことが必要なのだ!」
っと、誰かを不条理に失墜させることすら正当化したり、責任逃れをして、あからさまに自らのレゾンデートルを守ろうとする者は、俺は心から軽蔑する。研究に限らねーと思うけど。
ただ、俺だって、もう、そういう人でも完璧に許せる。
「許してやれよ」
『どうして?』
「簡単なことさ。どうして俺がそんなヤツを許せると思う?それは、心からクズだと思ってるからだよ」
『マジか(笑)』
実は、逆にも考えることができて、ややこしくする、ってのは、それほど自信がないことの裏返しとも言える。
世界でいちばん好きだー!愛してる!!
っとまっすぐ言えない理由のほとんどは、自分の気持ちそのものに自信がないから、でしょ?笑
誤魔化さず、きちんとまっすぐに実力をつけていこうと思うなら、わざわざややこしくものごとを主張するようにはならないし、気持ちに対してまっすぐであり続け、満たされるようになることが理論的に明らかならば、難しいやり方やまどろっこしい伝え方をせず、はっきり口に出して気持ちを伝えられるはずなのだ。
だとしたら、何事も焦らず、ゆっくりと、感じたことを感じたまま行動してけばイイだけなのだと思う。
周囲の状況変化に対する単なる「応答」ではなく、自発的な「意志」として、ね。
「なんでいちいちロバストとか言わなあかんのん?」
『それは俺がそう訊きたいです。あらゆる場面で、そう言え、って言われるんです』
「だから、非感受性、とか言うたらイイでしょ?」
『そんなん、同じっすよ。この薬剤入れても結果はカワラナイ、で十分じゃないですか』
「HAHAHA。せやろ。そうやって、自分、所詮コミュニティに飼い慣らされとるんや」
『はは、確かにそうかもしれないですね。でも…』
俺からすれば、俺以外の全員、みんな、もっと、そうです。っという言葉は発することができなかった。
自らの乏しい実力を誇示したいなら、話をややっこしくみせると手っ取り早い。それは俺がこのページでよくやってることだし、そういうことを平気で仰る偉そうな先生も沢山いる。
ものごとをややこしくすることで自分の力を誇示する。
そういうことを平然とできるようになることが、あなたが俺にいつも言ってた「大人」なのかもしれないね。
こういうめんどくささこそが、あらゆる社会貢献の進捗を遅らせ、社会全体のモチベーションを下げる。そういうことを各個人の心ではわかっていても、自らのレゾンデートルを守りたいがゆえ誰もが止めることはできず、純粋な正しさで突破しようとする者は、彼らの自分勝手なシステムの中で殺される。比喩ではなく、本当に殺される。
この卑怯な手段が蔓延するシステムのなかで生き抜くには、薄暗闇に隠れていることが重要なのだ。
目立つな!出る杭は打たれるのだから!!ってね。
みんなちょっとずつやってること?、でも大きくやりすぎてしまえば、もしくは権威なく権威ある者と同じレベルでやってしまえば、フィードバックがかかる。それも、純粋な気持ちの正しさで突破するのと同様、システムの中で殺されてしまう。
その様を、いま話題になってる理研を中心とするグループに観ているのかもしれないよね。非捏造から捏造への変化は、相転移ではなく、クロスオーバーなのだから。
だから、「研究者として生きて行くためには、そういうことが必要なのだ!」
っと、誰かを不条理に失墜させることすら正当化したり、責任逃れをして、あからさまに自らのレゾンデートルを守ろうとする者は、俺は心から軽蔑する。研究に限らねーと思うけど。
ただ、俺だって、もう、そういう人でも完璧に許せる。
「許してやれよ」
『どうして?』
「簡単なことさ。どうして俺がそんなヤツを許せると思う?それは、心からクズだと思ってるからだよ」
『マジか(笑)』
実は、逆にも考えることができて、ややこしくする、ってのは、それほど自信がないことの裏返しとも言える。
世界でいちばん好きだー!愛してる!!
っとまっすぐ言えない理由のほとんどは、自分の気持ちそのものに自信がないから、でしょ?笑
誤魔化さず、きちんとまっすぐに実力をつけていこうと思うなら、わざわざややこしくものごとを主張するようにはならないし、気持ちに対してまっすぐであり続け、満たされるようになることが理論的に明らかならば、難しいやり方やまどろっこしい伝え方をせず、はっきり口に出して気持ちを伝えられるはずなのだ。
だとしたら、何事も焦らず、ゆっくりと、感じたことを感じたまま行動してけばイイだけなのだと思う。
周囲の状況変化に対する単なる「応答」ではなく、自発的な「意志」として、ね。