Days of taco

やさぐれ&ヘタレtacoの日常と非日常

見つめるための距離感

2019年11月16日 | 映画など

中川龍太郎監督

「わたしは光をにぎっている」を見る。

人物と風景、そして物語が渾然一体になっている映画を見ると、

それだけでいい映画だと断定してしまうわけで。

松本穂香さん主演という情報だけで見た、

自分のようなやさぐれたシネフィルにも

分け隔てのない幸福感を与えてくれたというか。

 

 

劇中、主人公が祖母の言葉を反芻する場面がある。

「目で見て、耳で聞く。それができれば大丈夫」。

それは、自分が何者かまるでわかっていない主人公の

背中を押す言葉でもあるし、

何よりこの映画を見ている観客に伝えているかのよう。

 

ヒロインが働くことになる古びた銭湯。

路地裏に密集するスナックやラーメン屋、

金物屋や豆腐屋などの昔からの商店街。

そしていかにも場末館漂う映画館。

そこに住み働く人たちと、ゆるやかな交流を重ねるヒロインの

ちょっとした前向きさを感じ取るだけで、

この映画の良さがじわじわと伝わってくるというか。

 

むやみに人物に寄らないカメラ。はっきり説明しない脚本。

いくらでも濃厚なドラマが作れそうなのに、

主人公たちにつかず離れずの距離感が

風景と登場人物を一体化させるのだろう。愛おしさがつのる。

 

ヒロインがエチオピア人のあんちゃんに誘われて

彼が働くレストランに入り、戸惑いながらも、

にぎやかで温かいひとときを過ごす場面などを見ていると、

どんなにやさぐれたおっさん(自分だ)でも、

少しは前向きに生きていこう、と思ったりするのではないか、と。

 

再開発される運命の街の

ドキュメンタリーを撮っている渡辺大知の役どころが

この映画のクライマックスに大きな役割を果たし、

おお、そうきたかと感動の渦に巻き込まれていると、

どんなにやさぐれたおっさん(自分だ)でも……以下略。

 

主人公の気持ちに割り込んできて、

少しだけ波風を立てる徳永えりや忍成修吾。

銭湯を経営するオヤジを演じた光石研の

安定したやさぐれぶりも楽しい。

銭湯を舞台にした映画はすべからく傑作になるのです。たぶん。

 

コメント
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