原発に関する新書を2冊読む。
広河隆一『福島 原発と人びと』(岩波新書)と、
上杉隆・烏賀陽弘道『報道災害 原発編』(幻冬舎新書)。
原発事故をめぐる情報や言説において、
いわゆる大手メディアの枠内で
活動していないジャーナリストの言葉を
どうしても聞きたくなってしまうので、この2冊をば。
チェルノブイリの原発事故という、負の遺産があるわけだから、
今回の原発の惨事も、チェルノブイリから得た
知恵や教訓を活かしてもらいたいと思う。
広河隆一さんは、チェルノブイリで被害をこうむった
現地の子供たちの支援をおこなっている。
本書によると、チェルノブイリもロシア(ソ連)政府の秘密主義がはびこり、
近隣の住民の避難が遅れたというが、
それでも妊婦と子供たちの避難は優先されたらしい。
残念ながら福島ではそうした配慮は自治体任せ、
あるいは住民個人の判断任せだったということだ。
広河さんはじめ、チェルノブイリの教訓を訴えていた人は
少なからずいたのに、それが活かされなかったのはなぜだろう。
とにかく、起こってしまったものは仕方がない。
広河さんは、こういう言葉で読者に訴えかける。
「ひとたび事故が起これば、さまざまなジレンマに出会うだろう。
最良と最悪のどちらかの選択というものはない。
最悪か、少しの悪か、どちらかを選ばなければならない場合がほとんどだろう。
チェルノブイリ被災地のある女性は、汚染食品を食べる理由として、
飢えて死ぬより、おなかいっぱいで死ぬほうがいいからね、と言っていたが、
これも、こうした絶望的な選択の一つだ」
チェルノブイリの教訓が活かされなかった理由は、
この『報道災害 原発編』を読むとわかってくる。
メディアが、正確な情報を国民に伝えなかったことが問題だ、と。
政府や東電の広報機関に成り下がってしまった大手メディアには、
そもそもジャーナリズムなどない、と。
と、ここまで書いてアレですが、時間がなくなりました。
続きはまた追って書きます。
広河隆一『福島 原発と人びと』(岩波新書)と、
上杉隆・烏賀陽弘道『報道災害 原発編』(幻冬舎新書)。
原発事故をめぐる情報や言説において、
いわゆる大手メディアの枠内で
活動していないジャーナリストの言葉を
どうしても聞きたくなってしまうので、この2冊をば。
チェルノブイリの原発事故という、負の遺産があるわけだから、
今回の原発の惨事も、チェルノブイリから得た
知恵や教訓を活かしてもらいたいと思う。
広河隆一さんは、チェルノブイリで被害をこうむった
現地の子供たちの支援をおこなっている。
本書によると、チェルノブイリもロシア(ソ連)政府の秘密主義がはびこり、
近隣の住民の避難が遅れたというが、
それでも妊婦と子供たちの避難は優先されたらしい。
残念ながら福島ではそうした配慮は自治体任せ、
あるいは住民個人の判断任せだったということだ。
広河さんはじめ、チェルノブイリの教訓を訴えていた人は
少なからずいたのに、それが活かされなかったのはなぜだろう。
とにかく、起こってしまったものは仕方がない。
広河さんは、こういう言葉で読者に訴えかける。
「ひとたび事故が起これば、さまざまなジレンマに出会うだろう。
最良と最悪のどちらかの選択というものはない。
最悪か、少しの悪か、どちらかを選ばなければならない場合がほとんどだろう。
チェルノブイリ被災地のある女性は、汚染食品を食べる理由として、
飢えて死ぬより、おなかいっぱいで死ぬほうがいいからね、と言っていたが、
これも、こうした絶望的な選択の一つだ」
チェルノブイリの教訓が活かされなかった理由は、
この『報道災害 原発編』を読むとわかってくる。
メディアが、正確な情報を国民に伝えなかったことが問題だ、と。
政府や東電の広報機関に成り下がってしまった大手メディアには、
そもそもジャーナリズムなどない、と。
と、ここまで書いてアレですが、時間がなくなりました。
続きはまた追って書きます。