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Days of taco

やさぐれ&ヘタレtacoの日常と非日常

阿鼻叫喚なのは誰

2025年05月30日 | 映画など
コラリー・ファルジャ監督「サブスタンス」を見る。
なんというバカ映画。そしてなんという痛さ。
徹底的にこれでもか、と見せつけられた結果、
ものすごい切なさと薄ら寒さが押し寄せてきたという。


デミ・ムーア演じるエリザベスは
功成り名を遂げた大女優だが、往年の美貌も衰え、
長年のレギュラーだったエアロビクスの番組を降ろされてしまう。
そんな彼女は「サブスタンス」と呼ばれる違法のクスリを摂取し、
かつての若さと美貌を取り戻そうとする。

古くは、サイレント期の大女優グロリア・スワンソンが
過去の栄光を取り戻そうとして、老醜をさらけ出しながら
妄想の世界に入り込む「サンセット大通り」(1950)とか、
当時落ち目と言われたベティ・ディビスとジョーン・クロフォードを
陰々滅々に戦わせた「何がジェーンに起こったか?」(1962)など、
ある意味、歳を取った女優を見世物のようにする映画は
たまに作られることがある。
ただ、本作は見世物であることをとことん追求し、
これってホラーなのかコメディなのか
よくわからない境地にたどり着こうとしている。

エリザベスの分身を演じるのは、
マーガレット・クリアリーという人で、
確かに若くてきれいなんだけど、デミ・ムーアの若い頃とは
似ても似つかない。CGやAIを駆使すれば
若い頃のデミを再現させることぐらいできただだろうに、
作り手たちは敢えてそうしなかったのかな。
ともあれ、エリザベスの本体と分身が
明らかに違う印象なので、二人を客観的に見ざるを得ない。
つまり、どちらにも感情移入がしにくいというか、
二人の行動を見ながら、それはやっちゃあダメだろう、
という突っ込みを何度もしてしまったという。

女性の美醜を品定めする
プロデューサー役にデニス・クエイド。
パターナリズムの権化みたいな男を
戯画的に演じていて、彼が出てくると
笑えないコメディな感じが充満してくる。
なぜ、笑えないのか。それは見ている自分にも
デニス・クエイド的な面があるからだろう。

そしてアホみたいなクライマックス。
もうぐちょぐちょでドロドロな光景を
これでもかと見せつけてくる。
この映画の監督(女性だ)を始めとする作り手たちの
悪意のこもったメッセージに圧倒されるばかり。

キューブリック的な画面づくりへのこだわりと、
デヴィッド・リンチ、あるいはクローネンバーグ的な
異形なものへの偏愛も感じられて
そのあたりはシネフィルの心を大いにざわつかせることだろう。

そして、デミ・ムーア。
こんなテーマの映画とはいえ、
62歳の彼女は全然きれいだと思う。
というか、そもそも若くてきれいなだけの人ではなかったし、
絶えずいろんな役に挑戦してきた役者魂のある人だということを
あらためて知らされた映画だったのです。

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復讐と愛情のあいだ

2025年05月17日 | 映画など
サム・ペキンパー監督
「荒野のガンマン」を見る。
モーリン・オハラと、ジョン・ウェインを
3割引ぐらいにした佇まいのブライアン・キースが主演。
独特の暗さに満ちた西部劇というか、
ただの娯楽作ではないというか。


ブライアン・キース演じる元北軍兵の男は、
銃撃戦のさなかに、誤って子供を殺してしまう。
モーリン・オハラ演じる母親への罪滅ぼしのため、
彼女が息子の亡骸と共に故郷に向かう旅の護衛を引き受ける。

ブライアン・キースは、
体内に銃弾が残っているせいで、
まともに銃が撃てない。だから胸の空くような
ガンファイトはない。銃を撃ったと思ったら
子供に当たってしまうというダメさ加減。
頭の皮を剥がされそうになった過去があるため、
執拗に帽子を取りたがらない性格で、
かなり鬱屈したヒーローというか。
そういう意味では、ジョン・ウェインの
3割引きどころか、8割引きぐらいのタフガイ感だ。

そんな男が、モーリン・オハラの反発に遭い、
自分の頭の皮をはいだ男に
復讐を遂げるかどうかで苦悩しながらも、
なんとか最終目的の町にたどり着く。
そこでも鮮やかな決闘場面などなく、
無様な姿を見せ続けながら、なんとか
ハッピーエンドに向かうわけで。

ペキンパーのデビュー作ということで、
後年の監督作に見られるような、
たたみかけるようなモンタージュや、
暴力にまみれたスローモーション撮影はまだ見られない。
だが、主人公の屈折ぶりというか、
ポンコツヒーロー(by川本三郎)な佇まいは、
すでにデビュー時からあったんだなと。
つまりはブライアン・キースが主演で正解というか、
ジョン・ウェインやゲーリー・クーパーじゃあ
この映画は機能しなかったんだろうと思うわけで。

それはともかく、
モーリーン・オハラが素晴らしい。
彼女が男をぶつ場面の鮮やかさには目を見張る。
ジョン・フォードの「静かなる男」でジョン・ウェインと
対等に渡り合った彼女は、この陰々滅々なウエスタンでも
きりっとした美しさが際立っている。

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違う四季はあっという間に過ぎて

2025年05月08日 | 映画など
大九明子監督
「今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は」を見る。
河合優実主演ということで、
なーんも考えず、予備知識ゼロで
映画館に吸い込まれたアホなシネフィル(自分、だ)は、
この、妙に感情を揺さぶられる
ヘンテコでデコボコなラブストーリーに
脳天をかち割られた気分になってしまったのです。


萩原利久演じる小西は、祖母の死が引き金となり
まともなキャンパスライフを
送れなくなってしまった大学生。
自分をガードするためか、鎧のように
日傘を差して大学に通う日々。
そんな彼が学食で、河合優実演じる
ぼっちでお団子頭の女子学生の花と出会い、
はぐれ者同志、心を通わせていく。

と、書くとちょっとナイーブな
ラブストーリーのように思えるのだけど、
ここにもう一人、伊東蒼演じる
バイト仲間のさっちゃんが現れて、
映画の空気を一気に変えていく。

さっちゃんは、明らかに小西のことが好きで、
彼への思いを独白のように語る場面に目を見張る。
というか、これって何の映画?
萩原利久と河合優実の恋愛ものじゃないの?
そこに伊東蒼が絡んでラブコメっぽくなるんじゃないの?
そんな観客の安易な期待や予想を裏切って、
登場人物たちの鬱屈みたいなものが
ほとばしってきて、呆気に取られてしまうのだ。

河合優実も、ラストでものすごい長台詞があり、
カメラが意図的というか、思わず、
彼女にぐいっと寄るショットに息を呑む。

さらに、お気楽な大学生活が描写されるかと思えば、
戦争反対のデモに加わる萩原利久
と友人の山根(黒崎煌代、とてもいい)の姿や、
喫茶店のマスター(安齋肇も実にいい)が
つけたラジオから紛争地帯のニュースが流れたりと、
このハードなラブストーリーは、
さらにゴリゴリした感触になるというか。

個人的には萩原利久にも河合優実にも、
伊東蒼にも同情はするが共感はできない。
共感できるのは、前出の安齋肇のマスターと、
萩原利久と伊東蒼のバイト先の銭湯の社長、古田新太という
二人のおっさんたちだ。ものすごい挫折体験を
背負っていそうな安齋肇と、伊東蒼に異様な執着を示す
古田新太はとんでもなくキモい男だが、
こういうおっさんって、いるなあ、と。

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清き一票の行方

2025年05月04日 | 映画など
エドワード・ベルガー監督「教皇選挙」を見る。
フランシスコ教皇の訃報もあり、
あまり身近な題材ではない日本でも
話題沸騰で映画館は満席状態。
カトリック教会の総本山では、
こんなえげつないコンクラーベ(教皇選挙)が
秘密裏に行われているのね。という観客の覗き見趣味を
大いに満足させるための俳優たちの重厚な演技、
ハッタリの効いた演出と音楽、
豪華極まる衣裳に美術と、見ごたえ充分。
上映時間が長くなりがちな昨今の映画にしては珍しく、
きっちり2時間で終わらせる潔さも、いい。


ローマ教皇の座に就くということは、
とてつもない権力を手にすることになるわけで、
いくら神に仕える人たちとはいえ、
確執や暗躍、陰謀のたぐいは起こりうるのだろう。

とはいえ、選挙のルールやしきたり、作法が
しっかりあって、それを厳粛に守らなければならない。
映画はその格式張った選挙のありさまを
事細かく見せていくところがすこぶる面白い。
本当はヨコシマなくせに、神に仕えるポーズを取りながら、
厳粛きわまる態度を見せる枢軸卿たち。

候補になるのは男性ばかり。
女性は司祭にすらなれないらしく、
本作でも登場するのはレイフ・ファインズはじめ、
ジョン・リスゴーとかおっさんだらけ。
昨今の映画にしては珍しいなあと思っていたら、
今、この時代に撮られなければいけない映画であることが、
ささやかな希望とともに観客に提示される。

重苦しい場面が続くなか、
唯一、コンクラーベの場を支えるシスターが
閉塞した空間に風穴を開けるシーンに目を見張る。
そのシスターを演じていたのが、イザベラ・ロッセリーニ。
もう72歳らしいけど、健在だなあ。素晴らしい。

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ライムといってもサワーではない

2025年04月26日 | 映画など
草場尚也監督「雪子 a.k.a」を見る。
これはいい映画だなあ。
29歳のラップ好きの小学校教師が
仕事と人生に悩みつつ、悪戦苦闘しながら
少しずつ自分を好きになっていく物語。
思うに学校もラップも映画と相性が、いい。


「雪子 a.k.a」の「 a.k.a」とは
「何々として知られる」「またの名は何々」という意味で
ラッパーの間ではよく知られた用語らしい。

山下リオ演じる雪子は、少しセンシティブな小学校教師で、
子供たちと接しながら、私のやっていることは
正しいんだろうかと自問自答する日々。
そのストレスを趣味のラップでぶちまけようとするも、
己の気持ちをストレートに伝えることができず、
ラップバトルに参加しても惨めな思いをする。

教師なんて少しぐらい繊細なほうが
子供にとってもいいんじゃないかと思ったりするが、
メンタルの強い(鈍いとも言う)同僚の教師たちと比べて、
大丈夫なんだろうかと見ているこちらが心配するほど。

同じ教師をしている恋人(渡辺大知)との関係も
しっくり行かず、どんどん追い込まれていく。
教師としても、ラッパーとしても中途半端というか。
ずっと心が揺れながら生きている雪子が
それでも不登校の子の家を訪問し、
ドア越しに自分を開示しながら語りかける場面は心に響く。

不登校の子の親が雪子に向かって、
「あなたには嘘がない」と言う。その言葉を聞いて、
そうか、この映画自体にも嘘はないなあ、と思ったりする。

子供たちが単なるモブではなく、
ひとり一人ちゃんとキャラが立っているのも、いい。
細かく描かれるのは数人の子供たちではあるけれど、
ラスト、体育館で開かれる発表会の場面。
子供たちがそれぞれの個性を
披露するときの幸福感は何ものにも代えがたい。

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伝えたい気持ちと伝わる思い

2025年04月13日 | 映画など
土井裕泰監督「片思い世界」を見る。
あのお。広瀬すずと清原果耶と杉咲花が共演って、
ブロンソンと三船とドロンが
西部劇で決闘するようなもんですか。
それとも片岡千恵蔵と市川歌右衛門と嵐寛寿郎が
忠臣蔵で果たし合いとかする感じなんでしょうか。
そんな疑問と期待で脳内が爆発寸前のなか、
お馬鹿なシネフィルはホイホイと
映画館に吸い込まれていくのでした。
以下、ネタバレ注意ね。


クラシックな一軒家で共同生活をする3人。
それぞれ大学生だったり、水族館の飼育員だったり、
IT企業っぽい会社のOLだったりする。
軽い口ゲンカをしつつ、なんだかんだで仲のいい3人。
この3人にどんなドラマが起こるかと思っていたら、
じつは彼女たちは幽霊で、しかも現実世界で
ふつうに生活しているという設定。だけど、
自分たち以外の人と話したり接したりすることはできず、
そこが3人それぞれの屈託となり、
思いを伝えたい人になんとか伝えようと懸命になる。

この世にいるけれど、この世に3人だけ。
そんな世界観の映画って初めて見た。
ファンタジーでありながら、描写はナチュラルで、
食べるシーンが多用されていたりして、
日常を描く映画としても十分に見られる。
と思っていたら、少しホラーでSFな要素も入ってきて、
エンタテインメントとして楽しめるし、
ちょっと切なくなるクライマックスまで大いに堪能。

清原果耶の無愛想ぶりと、
杉咲花のぽつんとした可憐さ、
そして広瀬すずのスター性と、
それぞれの個性もよく出ていたんじゃないかと。
脚本の坂元裕二は3人が出演することを想定して
当て書きをしていたと聞く。なるほど。


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饒舌に奏でられて

2025年04月11日 | 映画など
エリック・ロメール監督
「木と市長と文化会館 または七つの偶然」を見る。
いちばん好きな映画はなんですか。
と聞かれることがたまにあって、
そんなときは「女と男のいる舗道」とか
「突然炎のごとく」とか答えたりしているけれど、
実はこの映画がいちばん好きかもしれない。


ユーモアとかエスプリとかウィットとか、
そんな味わいがあるだけで
映画ってのは面白くなるんだなと思う。
喜怒哀楽の「喜」と「楽」ね。

「七つの偶然」とサブタイトルにあるように、
文化会館を建設しようとする市長が
たまたま会った人たちと議論するパートが7編ある。
セリフの応酬が激しいけれど、どこか幸福感に満ちているのは、
登場人物の誰も、議論する相手を傷つけることなく
爽やかに自己主張を通しているからだと思う。

フランスの田舎の風景も綺麗だし、空気も澄んでそうで、
陽光のもとでは誰だって呑気になるよなあ、と。
議論してるあいだに、あれよあれよという感じで
めでたしめでたしとなり、
みんなが歌いまくるラストの鮮やかさと言ったら、ない。
何度見ても、呆気に取られるというか、度肝を抜かれる105分。


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あたいの行く道

2025年04月01日 | 映画など
アレクサンダー・ペイン監督「市民ルース」を見る。
「アバウト・シュミット」とか「ネブラスカ」、
あと昨年評判になった「ホールド・オーバーズ」など、
苦味のある傑作コメディをものにしている
同監督のデビュー作で、これまでほぼ未公開。
思わぬ妊娠をしたヤク中の女が
妊娠中絶の反対派と擁護派のあいだを
行ったり来たりする物語で、
劇場内が引きつった笑いであふれ、まさに傑作。
よくぞスクリーンにかけてくれました。ありがとう早稲田松竹。


ローラ・ダーン演じるルースがすごい、
というかひどい。
頭のネジが何本も外れたようなビッチで、
倫理観や自制心に欠けたヤク中ぶりに
圧倒されるやら呆れるやら。

思いがけず妊娠してしまったことから、
無軌道な生活が咎められ、胎児虐待の罪で逮捕。
裁判を受け重罪に問われてしまうルース。
そこに現れたのが中絶反対派の団体で、
保釈金を払いルースを救う。が、じつは
反対派の広告塔として
彼女を祭り上げようという魂胆が見えてくる。
そこに中絶擁護派の面々が現れて、
彼女を取り込もうとする展開となり、
もう何がなんだかわからない混乱状態となる。
ただひとつだけわかるのは、
誰もルースのことを考えておらず、
自分たちの主義主張、属する団体の利益のことを
優先するという有様で、まともな人間が一人もいない。
ビッチでヤク中のルースのほうが
まともに見えてくる不思議。

いかにもアメリカ的な現象だなあと思いつつ、
それを軽妙に、毒味を入れつつ
コメディとして見せてくれてお見事。
ローラ・ダーンはこのとき29歳。
なんとも素晴らしいビッチ(褒め言葉)。
バート・レイノルズが中絶反対派の
カリスマ指導者を楽しそうに演じていて微笑ましく、
シネフィル的にはツボでした。
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払わなければいけない代価

2025年03月27日 | 映画など
テレンス・マリック監督「バッドランズ」を見る。
まさかこの映画をスクリーンで見られるとは思わなかった。
「地獄の逃避行」というひどい邦題
(これはこれで好きだったりする)で
テレビ放映されたあとビデオスルーだった52年前の未公開作。
なんといってもロケーションと撮影の映画であり、
主役のふたりを演じたマーティン・シーンと
シシー・スペイセクの存在感に浸る映画でもある。


映画に出す登場人物として
犯罪者とか連続殺人犯はうってつけだと思う。
観客の多くは人畜無害な小市民だから、
私利私欲のために人を殺したり
犯罪をおかしたりする人間が
どんな行動を取るのか、どんな台詞を吐くのか。
どんな女(男)を愛するのかなどなど、興味津々なわけで。
映画館の座席という絶対安全地帯で、
極悪な殺し合いを見て、溜飲を下げるのは
映画というメディアの大きな魅力のひとつかもしれない。

この映画の主人公である、
ゴミ収集員のキット(マーティン・シーン)と
少女ホリー(シシー・スペイセク)は、ふとしたことから出会って、
お互いに惹かれ合う。ここまではいい。よくある話というか。
でも、ホリーの親父(ウォーレン・オーツ)は
嫌味なおっさんではあるけれど、だからといって
なんとなく殺してしまうなんて(そうとしか見えない演出だ)。

そこからふたりの「地獄の逃避行」が始まるのだけど、
まったく現実味がないというか、ホリーはどこか上の空だし、
キットは自分のことをジェームズ・ディーンの
生まれ変わりだとうそぶいて、
追いかけてくる警官たちをことごとく射殺する。
どうせ俺は死刑になるんだしという諦念が漂うというか。

ジェームズ・デイーンはアメリカ映画における
「反抗する若者」のアイコンであり、
それを勝手になぞって人殺しを続け、
勝手に絶望しているのがキットという若者だ。
そんな彼を愛しながらも、というか、
ホリーはキットを愛してないんだろうと思ったりする。
そのあたりが、同じ男女の逃避行ものである、
「暗黒街の弾痕」とか「夜の人々」、
「俺たちに明日はない」「ボウイ&キーチ」なんかとは異なるというか。
どちらがいいとか悪いというわけではないけれど。

そんなふたりの背景にあるのが、
荒涼たるネブラスカとワイオミングのだだっ広い荒野と、
ひらすらまっすぐな道路。それが延々と続く感じ。
これってまさに「地獄の逃避行」だなと痛感するわけで、
この邦題をつけた人は偉い。マーティン・シーン主演だから
「地獄の黙示録」にあやかってつけた安易な邦題らしいけど。

1974年製作というから、
同時代のアメリカ映画は「ハリーとトント」「アリスの恋」
「さらば冬のかもめ」あたりが公開された時期。
いわゆるアメリカン・ニューシネマ的なものが
そろそろ終わりかけの時期というか。
この「バッドランズ」って映画は、
アメリカン・ニューシネマのみならず、
アメリカ映画そのものの息の根を
止めるような映画だったかもしれない。
だからカルトなのかな、と。

マーティン・シーンが安っぽくて、なんの中味もなく、
ひたすら虚無感を漂わせたあんちゃんを演じていて素晴らしい。
シシー・スペイセクもとても、いい。
ときおりものすごい美少女に見えたりして、
この女優の特異な個性が存分に発揮されている。
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誤変換の恐怖ふたたび

2025年03月23日 | 映画など
いかんいかん。
また誤変換の嵐である。

銭湯についての原稿を書いていて、
「浴場」と書くつもりが「慾情」と変換されてしまった。
「公衆浴場の必要性とは」と勿体ぶって書いたのに、
「公衆慾情の必要性とは」だって。あらまあ。
人前で劣情をもよおしたら捕まるじゃないですか。

しかも「欲情」ではなく
旧字体の「慾情」ってどういうこと?
と思ったら、そうか。去年の12月ぐらいに
「雨の中の慾情」って映画を見たんだった。
ATOKくん覚えていたのね。
ということで、感想を書きかけだったものを
書き上げたのでアップしておきます。面白い映画でしたよ。

片山慎三監督「雨の中の慾情」を見る。
主演が成田凌でこのタイトル。つげ義春が原作で、
にっかつロマンポルノの感触にあふれる
「岬の兄妹」を撮った監督の新作と聞いて、
それはそれは官能的な映画だろうと思っていたら、
見事に裏切られちまいました。褒め言葉です。



つげ義春ファンならお馴染みの表題作をはじめ
「池袋百点会」「ねじ式」のプロットや設定などが入り込み、
ふむふむそういう映画なのね、と思いながら見るも、
次第に雲行きがおかしくなってくる。
戦後の日本から第2次大戦時の
どこかのアジアの国(おそらく台湾)となり、
成田凌が売れないマンガ家で、
優柔不断な青年を演じていたはずなのに、
なぜか軍人になり、瀕死の重傷を負ったりする。

すさまじいのは、戦禍における
日本兵の住民の虐殺場面だ。これでもかと
執拗に描かれる残酷描写は目を背けたくなるが、
これは日本の戦争加害を告発する映画なのか、
と思いつつも、すべては成田凌が描くマンガの世界なのか。
そのあたりは曖昧模糊とした迷宮のような。
「慾情」という「欲」ではなく「慾」と
漢字の画数が多いとそれだけで隠微な感じがするわけで、
なんとも不可思議で奇っ怪な映画。褒め言葉です。
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