コラリー・ファルジャ監督「サブスタンス」を見る。
なんというバカ映画。そしてなんという痛さ。
徹底的にこれでもか、と見せつけられた結果、
ものすごい切なさと薄ら寒さが押し寄せてきたという。

デミ・ムーア演じるエリザベスは
功成り名を遂げた大女優だが、往年の美貌も衰え、
長年のレギュラーだったエアロビクスの番組を降ろされてしまう。
そんな彼女は「サブスタンス」と呼ばれる違法のクスリを摂取し、
かつての若さと美貌を取り戻そうとする。
古くは、サイレント期の大女優グロリア・スワンソンが
過去の栄光を取り戻そうとして、老醜をさらけ出しながら
妄想の世界に入り込む「サンセット大通り」(1950)とか、
当時落ち目と言われたベティ・ディビスとジョーン・クロフォードを
陰々滅々に戦わせた「何がジェーンに起こったか?」(1962)など、
ある意味、歳を取った女優を見世物のようにする映画は
たまに作られることがある。
ただ、本作は見世物であることをとことん追求し、
これってホラーなのかコメディなのか
よくわからない境地にたどり着こうとしている。
エリザベスの分身を演じるのは、
マーガレット・クリアリーという人で、
確かに若くてきれいなんだけど、デミ・ムーアの若い頃とは
似ても似つかない。CGやAIを駆使すれば
若い頃のデミを再現させることぐらいできただだろうに、
作り手たちは敢えてそうしなかったのかな。
ともあれ、エリザベスの本体と分身が
明らかに違う印象なので、二人を客観的に見ざるを得ない。
つまり、どちらにも感情移入がしにくいというか、
二人の行動を見ながら、それはやっちゃあダメだろう、
という突っ込みを何度もしてしまったという。
女性の美醜を品定めする
プロデューサー役にデニス・クエイド。
パターナリズムの権化みたいな男を
戯画的に演じていて、彼が出てくると
笑えないコメディな感じが充満してくる。
なぜ、笑えないのか。それは見ている自分にも
デニス・クエイド的な面があるからだろう。
そしてアホみたいなクライマックス。
もうぐちょぐちょでドロドロな光景を
これでもかと見せつけてくる。
この映画の監督(女性だ)を始めとする作り手たちの
悪意のこもったメッセージに圧倒されるばかり。
キューブリック的な画面づくりへのこだわりと、
デヴィッド・リンチ、あるいはクローネンバーグ的な
異形なものへの偏愛も感じられて
そのあたりはシネフィルの心を大いにざわつかせることだろう。
そして、デミ・ムーア。
こんなテーマの映画とはいえ、
62歳の彼女は全然きれいだと思う。
というか、そもそも若くてきれいなだけの人ではなかったし、
絶えずいろんな役に挑戦してきた役者魂のある人だということを
あらためて知らされた映画だったのです。