今日で五月も終わる。快晴のもとで青葉が目に染みる……
今月は初めて木曽路を下るなど心に残る出来事がいくつもあった。案内役を務めてくれた木曽谷出身のH氏をはじめ心豊かな人たちとの二泊三日は、実に充実した時間であった。
続いて「ミャゴラトーリ支援者の集い」も、40名を越す方々が参加してくれて、楽しく終わった。歌手たちは精一杯に歌ってくれて、参加者も満足してくれたと思う。
娘と二人で観た「大宮八幡宮の薪能『船弁慶』」もよかった。臨場感あふれる演技は初夏の夜にふさわしかった。
反面、今月は悲しいこともいくつかあった。銀行の先輩で大変お世話になったW氏が逝った。このところ闘病生活を続けていたが、とうとう帰らぬ人となった。
この人ほど多くの人に慕われた人があろうか? 実に面倒見のいい人で、仏様のような人だった。人の集まるところ必ずW氏は居た。そして必ず幹事や世話人を頼まれて、それを断ることなく引き受け、いつもまとめ役を果たしていた。人前に出しゃばることなく、いわんや、そんじょそこらの政治家のように売名行為をやるわけでもなく、誠実に働いてくれた。
といって自己を見失うような人ではなかった。組合の役員を長く勤め、そこでは自己の主張も含め組合員の主張を毅然として主張してくれた。
83歳はやむを得ない死かもしれないが、また一人かけがえのない人を失った。
郷里の大分からも訃報が届いた。大学の同級生、同じゼミナリステンのA君が亡くなった。肺炎か何かの急死であったようだが、同級生の訃報を受け取るのはまた別の思いがある。
訃報といえば、職場で私の隣で働いているTさんのお父さんも亡くくなった。こちらは96歳の天寿全うで、むしろその生涯を称賛する気持ちだ。加えて、Tさんが父君の葬儀を済ませて新潟から帰京すると、その翌日、娘さんに子供が生まれた。Tさんの孫、亡くなったお父さんのひ孫だ。
お父さんは、ひ孫の生まれるまでその生を全うしたのであり、まさに人類存続の役目を果たした天寿を祝うべきかもしれない。
悲喜こもごも、時は移りゆく……
5月25日 散歩のつつじ