旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

泡盛の力 ・・・ 古酒(クース)

2010-05-30 16:44:01 | 

 

 書棚を整理していたら、奥から泡盛『どなん』が出てきた。随分前にちょびちょび飲みながら、ちょっと仕舞って半ば忘れていたものだ。思い起こせば、娘が中学か高校生の頃、沖縄旅行の土産に買ってきてくれたものであるので20年近くは経っている。
 もちろん一度ふたを開けているので(栓はきちっと締めてはあるが)、「もう腐って飲めないかな?」と思ったが、そこは酒飲みのいやしさ、グラスに注ぎ口に含む・・・・・・、ところがこれが大変な味であった。当時は、かなり荒々しい味であった記憶があるが、実にまろやかになり、泡盛独特の味が柔らかく、豊かに、口中に広がった。
 私の書斎は日中人がいないので、冬は零下に、夏は30数度の気温に及ぶはずだ。全く自然のなせるままに放置して熟成(エイジング)を重ねたのであろう。むしろ一度栓を開けただけに、密閉した瓶のままより熟成したのかもしれない。瓶の説明書きを見ると「原料:米」となっている。さすがに米だけの酒だ。変な混ざり物が入っていないことも、熟成酒の条件かもしれない。

 さすがに古酒(クース)を尊ぶ泡盛だけあって、熟成するほどよい酒になるのだ。チーズなどを取り出し昼間からつい飲みすぎて、さすがに泡盛が「胃に来た」という感じになった。見れば「アルコール度数:60度」だ。これをストレートでグイグイやったのでは、胃に来るのも当然かと反省している。

     


『ミャゴラトーリ』第3回オペラコンサート

2010-05-29 18:23:17 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

 娘が、3回目のオペラコンサートを企画し、710日、新宿の角筈区民ホールで開催することになった。娘は昭和音大声楽家を出てオペラの勉強を続けてきた(含むオペラ出演)が、自ら歌うより「オペラの素晴らしさを万人に広めたい」という思いが強く、このところ、若手声楽家を集めてオペラコンサートを開き、オペラの宣伝に努めている。

 既にこのブログでも何回か書いてきたが(09.6.29「オペラは楽しんでもらえたか?」など)、『ミャゴラトーリ』という変な名前の集団を立ち上げ、既に2回コンサートを開いた。集団の名前は、猫みたいな変な名前であるがメンバーはなかなか・・・、若手の実力者を集めていると思う。会を重ねるごとに新メンバーも加え、今回は、ソプラノ2名、メゾソプラノ1名、テノール、バリトン、バス各1名の6人構成で、名だたるオペラの名場面を演じたいと張り切っている。

  

 プログラムは、ビゼー「カルメン」から“ハバネラ”、モーツァルト「ドン・ジョバンニ」から“豪華な宴を催そう”、「フィガロの結婚」から“手紙の二重唱”、それに「コジ・ファン・トゥッテ」の“ハイライト場面”を6人全員で歌い、そして最後にはヴェルディ「リゴレット」から“女心の歌”と、かの四重唱“美しい恋の娘よ”をやるという。

 既存のメンバーについては、私は実力について手ごたえを感じている。今回新しく加わったテノール与儀巧さんも相当な力の持ち主と聞くので、何といっても「コジ・ファン・トゥッテ」の六重唱と、大好きな「リゴレット」の四重唱に期待している。

     


「日本酒復権シンポジウム2010」に参加して③

2010-05-28 17:21:34 | 

 

「日本酒は世界酒になりうるか」というテーマのほかに、もう一つ「日本酒の将来とわが蔵の成長戦略」というパネルディスカッションがあった。コラムニストの勝谷誠彦産の司会で、『獺祭』の桜井博志氏、『磯自慢』の寺岡洋司氏、『十四代』の高木顕統氏、『而今』の大西唯克氏という、今をときめく人気蔵の蔵元による討論であった。
 それぞれ、需要にこたえて生産を増やしていきたいとする蔵から、自分の力の範囲に留めてよい酒を提供することに重点をおくなど思いは様々であるが、人気酒を世に出した自信を秘めており、なかなか聞き応えのある討論であった。

 面白かったのは、二つのパネルディスカッションに共通の話題として「日本酒は高価(たかい)か、安いか」ということが様々な観点から論じられたことだ。ある人は「高い」と主張し、ある人は「安い」という例をあげていた。
 例えば、「外国に行くとハイボールが300円で広く飲まれている。価格でこれに負けない日本酒が出せないものか」という主張がある一方で、「ワインは1本何万円、何十万円というものが飲まれている。日本酒は大吟醸でも1本(4合瓶)数千円だ。日本酒は安い」という意見もあった。前提となるシテュエーションが異なるのでこのような極端な意見が出たのであろうが、庶民が一般に飲んでいる状況からすれば日本酒は高いのではないかと私は思っている。日本の通常の居酒屋でも、純米酒や純米吟醸は一合(といっても中身は78勺であるが)安くて7、8百円から千円する。外国では輸出経費や関税の関係からその2倍や3倍で提供されているだろう。外国での私の経験では、1本(約4合)千円でかなりのワインがあり、2千円出せば相当美味しいワインが飲めた。和食という特殊な組み合わせと、特権階級を相手にする以外、日本酒は価格では戦えないのではないか?

 日本の料飲店の酒は高すぎると思っている。仕入価格の2倍以下で出してくれれば、1升3千円の純米吟醸(相当に良い酒がたくさんある!)が、正1合600円で飲める。日本酒は大いに飲まれ、それを提供する店の料理の売上は3、4倍に跳ね上がるのではないか?
 
それにしても面白かったのは、十四代の高木専務の「東京で自分の酒を飲もうとしたが高価すぎて飲めなかった」という話だ。この話は、3月に蔵を訪ねたとき専務に聞いて、時のブログ(326日付)に既に書いたエピソードであるが・・・。


「日本酒復権シンポジウム2010」に参加して②

2010-05-26 20:46:18 | 

 

 シンポジウムのテーマの一つが、「日本酒は世界酒になりうるか」というものであった。外交官として世界をまたにかけて日本酒を宣伝しまくっている門司健次郎氏(酒サムライ、外務省文化交流部長)をはじめとして、作家のかざまりんぺい氏、飲料コンサルタントの友田晶子さん、酒サムライコーディネーター平出淑恵さんと、世界の酒を知り尽くした方々の討論会で、楽しい話で盛りだくさんであった。
 日本酒は世界酒になれるか? その前に、世界酒とはどんな酒か、と思いながら討論を聞いたが、日本酒の現状を思う時、それはかなり遥かな未来の話だな・・・と思った。世界酒になるより、「日本の酒」になることの方が先決であろうから・・・

 現在の世界酒といえば、ビールとせいぜいワインであろう。ビールは異論なく世界酒であろう。正確な統計は持ち合わせていないが、世界の酒の七割はビールではないか? それに次ぐのはワインであろうが、どのくらいのシェアーであろうか? シェアーというより、殆どの国で飲まれていることからすれば、ワインは世界酒といっていいのであろう。その背景には、フランスが国を挙げてワインを世界に広めた努力があったと言う。ワイン産業を自国だけでは維持できなかった歴史が、ワインを世界酒に押し上げたと言えるのであろう。
 日本酒産業は、もはや国内だけでは維持できないのではないか? 日本人の飲む酒の七割近くはビール(ないしは第二、第三などの「ビールもどき」)であり、日本酒はシェアー5%に近づきつつある。5%を割ると、その商品は市場から抹殺されると言う説がある。かつてのフランスのように、国を挙げて世界に市場を求める時期かもしれない。

 ただ、まさに正しくも、その前にまず「日本の国酒」たる地位を確立しよう、というのが論者の一致した意見であった。自国の酒として自信を持つことの出来ない酒を、世界に売り出すことは出来ないだろう。日本人の主食である米で造る酒に、日本人が「国酒」を意識するのはいつのことか?
 さまざまなパーティで、ウィスキーの水割りで乾杯をしているような様では、日本酒の復権は遠い。和食と言い、純米酒を中心とした良質な日本酒といい、決して他国の酒に負けないと思うが・・・。


「日本酒復権シンポジウム2010」に参加して

2010-05-23 14:55:54 | 

 

 昨22日は、フルネット社主催の「日本酒復権シンポジウム2010」に参加した。午後1時に始まり630分までという長丁場であったが、それだけに内容の濃いものがあった。

 実はその基調講演を担当された能登杜氏農口尚彦氏をお迎えして、前日夜、「農口杜氏を囲む会」が少人数でもたれ、その会と後の2次会まで参加して、たっぷりと農口杜氏の話を聞いた。その上昨日も、基調講演はもちろん、シンポジウム後の2次会、最後は本人を含む7人だけの3次会まで参加して、すっかり「農口杜氏漬け2日間」となり、私にとってはこんな幸せな、かつ勉強になった時間はなかった。
 酒の本として愛読してきた農口さんの著書『魂の酒』(ポプラ社)には、念願のサインを頂くし、様々な表情の写真もたくさん撮らせていただいた。しかしそれらの詳細をここに掲げることはしない。もったいなくもあるし、ご本人に失礼になってはいけないから。

 ただ、既に書くまでのことはないが、農口さんの「“山廃つくり”にかける熱い思い」だけは記しておく。
 「味のある酒を造りたい」、「濃醇な酒を造りたい」、しかも「キレのよい酒(飲み込んだら口の中に何も残らない酒)を造りたい」・・・、それを追求して「行き着いたのが“山廃つくり”だ」と何度も言った。「端麗だけではダメだ。味があり、美味しくなければ誰も飲んではくれない。しかし口の中に甘さなどがいつまでも残っては嫌われる」、「しかしその酒つくりは難しい」と言う。
 「山廃つくりには栄養分が要る。70%精白ぐらいが米の栄養があっていいが、40%にも挑戦した。その栄養不足の中で、山廃つくりは至難の業だ。しかしそれしかいい酒は出来ない」
 まさに「魂の酒」だ。

 別れ際に、「年はとったが、お互いに頑張りましょう」と握手してくれた。長く米麹に触れ続けてきたその肉厚の掌(たなごころ)は、なんとも豊かな温もりをたたえていた。


青葉の季節!

2010-05-21 11:12:40 | 時局雑感

 

 薄ら寒い日やしょぼしょぼ雨の日が続いていたが、ようやく初夏の様相を呈してきた。今日は快晴! ケヤキやハナミズキの青葉が目に染みる。気温も30度近くになり(内陸部は30度以上の真夏日らしい)、Tシャツの季節となるようだ。

 そういえば今年は、甲州街道のケヤキの緑をじっくり味わう日が少なかった。実は、職場に通じる中野坂上から初台方向に下る環状6号線の工事が、ようやく終わりを迎えて、車道との間に植えられたケヤキとハナミズキに気をとられていたのだ。
 甲州街道のケヤキと違って、こちらは未だ4~5メートルの小さい木で、交互に植えられたハナミズキはもっと小さく、今年は芽を出さないのではないかと心配しながら毎日眺めていたのだ。
 しかし自然は良くしたもので、これらの小さい木々も相応の新芽を吹いて、数も大きさも頼りないが葉を広げた。これで光合成が出来るのだろうか・・・というのが心配の原因であったのだが、恐らく来年は、大きく成長して広くなった舗道を蔽(おお)うのであろう。

 それに反し、甲州街道のケヤキは広大である。今日、久しぶりに仰ぎ見て、往年の武蔵野は如何ばかりであったろう・・・、などと改めて思った。
 自然の移ろいほど素晴らしいものはない。

 

     
      甲州街道のケヤキ


ひたすら続けることの尊さ

2010-05-18 14:51:34 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

  調布市に「調布噺の会」というアマチュア落語会がある。調布に住み、このような地元文化と様々な交流を重ねている義兄に誘われて聞きに行った。もう一つは、三月に熊野古道の旅を共にした方のご主人が、このメンバーで出演すると言うので、これも楽しみに出かけた次第。

 まず驚いたのは、調布市グリーンホール・小ホールに着いてみると会場が満員であったことだ。第六回の催しで知名度を高めてきているのであろうが、その日は、通常の250定員を300まで引き上げて、ようやく収めたという。
 それもそのはず、演者の水準は相当なものであった。特に驚いたのは中入り後、真打を務める二人の噺はプロに勝るとも劣らない水準とお見受けした。一人は『品川心中』を、もう一人は『井戸の茶碗』を演じたが、いずれもたっぷり3040分・・・、久しぶりに「落語を聞いた」という気がした。最近のテレビで10分か15分の落語をやっているプロ連中は大丈夫か? と心配になってきた。

 もう一つ、先日アマチュア芝居集団「かんじゅく座」の芝居を見た。これまた中野の会場は超満員で立ち見の出る様相であった。「かんじゅく座」というのは、文字通り「完熟団員」ばかりで、入団資格は①60歳以上であること、②自力で練習場まで来れること、の二項目で、これを満たせば誰でも入団できるということだ。銀行時代の後輩が出演するので見に行ったのであるが、みんな輝いて演じていた。「俺も後期高齢者になった」など言っておれないな、とつくづく思った。

 演技の巧拙など問題にならない(落語の水準は前述どおりプロ級であったが)。「ひたすら続けている」ということが尊いのだ。
  だからこの人たちは輝いているのだ!


普天間問題をめぐる鳩山首相の功罪③

2010-05-17 21:39:08 | 政治経済

 

 何となくピントがボケていて、一般国民感情とずれている「宇宙人」鳩山首相は、この緊急事態の日本国首相には無理であろう。カネの問題で「起訴に相当する」とされた小沢幹事長ともどもお引取り願いたいが、これがまた、そう甘くなく(特に小沢が)、こんなことには粘り腰を発揮するのかもしれない。

 それはさておき、謀ってか計らずもか知らないが、書いてきたように普天間問題では幾つかの「功」があった。その功績としてもう一つ付け加えておきたいのは、「海兵隊は抑止力足りうるか」ということを国民に提起したことである。
 そもそも海兵隊は「殴りこみ部隊」で、いざ戦争、というときに真っ先に敵国に殴りこむ部隊だ。国を守る部隊ではない。つまり、何かあったときに日本を守ってくれる部隊ではなく、こんなものは「国を守る抑止力」足り得ない、というのが鳩山首相の従来の考えであったのだろう(今回撤回したが)。
 一般に見られる「武力で平和を維持する」とする強硬論者は、「下手なことをしたら核をぶち込むぞ」として核兵器を最大の抑止力とし、同じ意味で、「下手なことをしたら“殴りこむ”ぞ」として海兵隊を抑止力とするのだろう。この手の方々は「先制攻撃論」などという怖い理論も持っているので、とにかく力が頼りだ。
 ところが鳩山首相は“育ち”が違う。「力」で「平和」という矛盾概念はとり得ない。平和は、あくまで「話し合いによる平和」であるべきであろう。少なくとも「殴りこみ部隊」が「平和をもたらす」と言うのは彼の哲学になかったのではないか? 残念ながら周囲の説得か、彼をとりまく雰囲気の中でか、取り消してしまったが・・・。

 彼は少し早く生れすぎたのかもしれない。しかし日本国民は、彼の問題提起をじっくり噛みしめ、進むべき道を考えてみるべきかもしれない。


普天間問題をめぐる鳩山首相の功罪②

2010-05-16 13:21:03 | 政治経済

 

 モタモタの続く民主党の体たらくは、政権交代に期待しただけに情けない状況だ。ただ普天間問題で、首相が計らずも提起した「基地の在り方」、「日米安保条約のあり方」などは、久しぶりに日本国民の目を覚ました。日本国民は、ようやく国の防衛、日米のあり方などを真剣に考えるに至ったのではないか? その点では首相の怪我の功名といえる。自民党の連中などは「パンドラの箱を開けた」などといっているが、逆に言えば、これまで「ふたをしてきた“避けて通れない問題”」を、初めて全国民に提起したとのだ。
 首相の提起した「これ以上沖縄に負担はかけられない。何とか国外(少なくとも県外)へ」という問題を、日本国民は頬かむりしてはいけないだろう。「常時駐留なき安保」についても、戦後65年を経て「国内に85箇所も外国の基地がある」とか「島の18%が外国の基地」などの状況などを、そろそろ「何とかしよう」と自分のこととして考えていいのではないか。

 今すぐ安保条約を廃棄しようなどと殆どの人は考えていない。しかしもう少し基地を減らしていっていいのではないか。米軍基地が減れば、本当に中国や北朝鮮が攻めてくるのだろうか? 万一攻めてきた時、アメリカは座視するのだろうか? とすれば、それこそ日米関係って何だったのだろう?
 そんなことになれば膨大な金がかかるという人もいるが、本当にそうか? 日本の軍事力は弱い、GDP比で0.9%でこれはヨーロッパ各国に比しても半分か三分の一だ、などといわれる。しかし実額で見れば相当な額だ。スェーデンストックホルム国際平和研究所の2009年年次報告によれば、以下の通り。(単位億ドル)
 一位アメリカ6070、二位中国849、三位フランス657
 四位イギリス653、五位ロシア586、六位ドイツ468
 七位日本463、八位イタリア406、九位サウジ382

 こう見ると、断トツのアメリカを除けば、実額では大差ない。中国が増えているが、それを除けば日本はヨーロッパの国々と比肩している。もうそろそろ、アメリカの属国の地位を抜け出し、アメリカとはもちろん世界各国と平等な友好条約を結ぶ道を求めてもいいのではないか?

 私がこのようなことを言うと「甘い! お前みたいな“ノー天気な平和ボケ”がいるから困る」と言われる。しかし、半世紀以上もアメリカの基地の国(世界に類例がない!)に身をゆだねてぬくぬくとしているのも、かなりの“平和ボケ”ではないか。


普天間問題をめぐる鳩山首相の功罪

2010-05-14 20:54:52 | 政治経済

 

 普天間問題で、鳩山政権はふくろ叩きにあっている。「首相のリーダーシップ不足」、「閣内不統一」に始まり、「日米関係が危ない」、「外交だけでなく経済関係まで悪化」、「極東アジア全体に不安広がる」・・・などなど、今にも世界はひっくり返り、中でも日本は沈没するのではないか、と言わんばかりである。
 たしかに、鳩山首相をはじめとした民主政権のこの体たらくでは、指摘される通りなのであろう。

 反面、鳩山首相の「優柔不断ともいえる問題提起」のおかげで、日本人は久方ぶりに「日本の防衛はどうなっているのか?」、「沖縄の、特に普天間の状況がどんなに危険で非人間的な状況なのか?」、「戦後半世紀を過ぎて、日米安保条約はこのままでいいのか?」・・・などを考えるはめとなった。 これは、鳩山本人も意識していなかったかもしれないが(・・・いや? ひょっとしたらそれを狙っていたのかな?)、大変な政治問題を日本国民に提起したのではないか?

 日本国民は、このようなことを真剣に考えたことがあるのだろうか? 平和ボケといえばこれほど“ひどい平和ボケ”はないかもしれない。戦後半世紀以上(65年)を過ぎて、「アメリカのカリフォルニア州よりも小さい日本国内に、アメリカの軍事基地が85も在り、その75%はもっともっと小さい沖縄の島に密集している」(ジョージ・パッカード米日財団理事長の米上院外交委員会での発言)、「沖縄島の18%を、治外法権としてアメリカが基地使用している」・・・などを、日本人は殆ど考えていない。終戦直後ならまだしも、既に半世紀以上が過ぎているのだ。世界にこのような例はもちろん無い。

 各都道府県は、大半が「基地受け入れ反対」を決議して、沖縄のこの惨状に頬かむりし、口をぬぐっている。今回、鳩山首相が、「基地受け入れ問題についての全国知事会」を呼びかけているが、これも、視点を変えれば出色の提案であろう。沖縄の同胞として、各県知事は目を覚ますべきかも知れない!

 “指導力なき、無能な首相”が、日本国民の“避けがたき課題”を提起したとすれば、これをどう受け留めればいいのか?


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