島崎藤村によれば「木曽路はすべて山の中である」(『夜明け前』)が、私に言わせれば、木曽路はどこもそば屋であった。街道筋にある食べ物屋はすべてそば屋であった。しかもそれは半端な数ではなかった。木曽の人たちは、そばのほかは食べていないのだろうか?
10時に新宿を発つス―パーあずさで、午後一時前に塩尻に着くと、H氏に迎えられる。近くのワイナリーで試飲をさせてもらいながら、H氏が「昼飯はそばでいいか?」というので私は、「本山宿が近いのなら、太田蜀山人が『本山の蕎麦名物と誰も知る荷物をここにおろし大根』と詠んだ店はないか」と問うと、そこかどうかわからいがとにかくそば屋だ、と案内されたのが「本山宿めん食い処『宗月』」。
お目当ての「からし大根」ではなかったが、まずは天ぷらそばに舌鼓…、運転するH氏には申し訳なかったが、地元塩尻の地酒「高波」を一口味わいながら先ずは満足。
二日目の昼食は木曽市新開芝原の『時香忘(ZCOBO)』。前述したように街道筋はそば屋だらけであったが、これほど凝った店はないだろう。店の造りから蕎麦の凝り方から、感動すら覚えた。
最後の「イカスミ蕎麦」に至るまで四品のそばを四人でシェアーしながら食べたが、筆舌に尽くしがたいとはこのことだろう。酒も「醸し人九平次」と「義侠」を、それぞれ四品に合わせてくれた。最後に出たドロドロの蕎麦湯が美味しいので店主に聞くと、「そば湯として特別につくる。そば湯は料理だ。ゆでた後の残り汁は料理ではなく、食品廃棄物だ」と胸を張った。
もう一つ高田店主に、町おこしの要諦を尋ねると、「“若者、よそ者、変わり者”がいなければだめだ」との答えだ。少なくともこの店主が、かなりの変わり者であることは疑う余地がない。
店へのアプローチ
イカスミ蕎麦(わさびも大根おろしもかき混ぜて食べる)
因みに三日目の昼は、馬籠宿で山菜そばを食べた。木曽路はすべて蕎麦であった。