旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

無罪ではあったが無実ではなかった小沢一郎裁判

2012-04-29 13:36:32 | 政治経済

 

 政治資金規正法違反を巡る小沢一郎裁判で、被告小沢一郎氏に無罪の判決が出た。この判決を待って小沢一派の連中が、手に手に「無実」のプラカードを掲げて喜んでいる姿を見て、大変な違和感を感じた。小沢一郎本人はもちろん、小沢氏を持ち上げる連中にとって、この裁判で小沢氏が無実であることを示したかったのであろうが、判決文を読むとそうはいかない。
 本日付毎日新聞「論説室から」は、その点を分かり易くまとめてくれているので要約引用させていただくと次の通り。
①秘書は政治資金収支報告書に4億円を虚偽記載した。
②秘書はそのことを元代表に報告し了承を得た
③その動機には、元代表の巨額資産隠蔽の意図があった。
加えて裁判所は、「報告書など一度も見たことはない」と言う元代表の法廷証言を信用できないとして退けた。

 つまり、問われた罪の事実は認定され「無実」ではなかったといえる。にもかかわらず「無罪」としたのは、「小沢氏が故意にやった証拠、秘書と共謀してやった証拠」を挙げきれなかったためである。確かに、証拠がはっきりしないのに罪を問われては冤罪のもとになるし、疑わしきは罰せずという原則もあるから無罪でも仕方ないが、無実ではなかったことを示す前記諸点からして正に「限りなく有罪に近い無罪」であることが明らかになった。
 したがって大手新聞やテレビの政治番組などは一様に「政治責任は重い」、「証人喚問で潔白を示せ」など、要するに「政治的けじめをつけろ」と社説などで迫った。大新聞の足並みがこれほどそろったのも珍しいのではないか? もちろん、国民の疑いも晴れず、多くの世論調査では60%以上の国民が裁判結果を「納得できない」としている。
 小沢一郎氏はこれでもなお政界に復帰するつもりだろうか? いわんや民主党総裁選などに出馬して現実政治を動かしていこうとするのであろうか?


歌いつがれた日本の心・美しい言葉⑤ ・・・ 『朧月夜』 

2012-04-28 14:11:26 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

 短い桜の季節を終えて、東京の春は終えようとしている。どんよりと曇る日が多く、その間を細い雨が降り続く。濡れるほどの雨でもなく、雨の予報に傘を手にして出かけるが、それを使うことも少ない。晴れ間の日も多いが初夏の抜けるような輝きには及ばず、遠望する山々も紫に煙る。
 この時節になると必ず思い出す歌が『朧月夜』である。「菜の花畠に、入日薄れ、見わたす山の端 霞ふかし」…、子供のころから何度この歌を歌ったことだろう。声を出さずとも心に浮かべたことは限りない。そう、この歌は心に浮かべる歌かもしれない。この歌が歌っている田園風景――私の故郷も、ここに歌われている田圃(たんぼ)が打ち続いていた――を心に浮かべる歌なのだ。これもまた、私は二番が好きだ。

  里わの火影(ほかげ)も、森の色も、 
  田中の小路(こみち)を たどる人も
  蛙(かわず)の鳴くねも、鐘の音も
  さながら霞(かす)める 朧月夜(おぼろづきよ)

 この美しい言葉も情景も、今やもうない。少なくとも都会に住む私たちの周囲にはない。いや、かなりの田舎に行っても「田中の小路をたどる人」の姿を見ることはできない。田中の小路は広い農道に変わり、多くはアスファルトが敷かれその上を軽トラックや乗用車が走っている。いわんや「里わの火影から…鐘の音までを、さながら霞める」ような情景は何処に行けば残っているだろう。
  (注)「さながら」は、広辞苑の「そのまま、そっくり」という訳を当てはめてみたが…?

 『朧月夜』は高野辰之作詞、岡野貞一作曲による文部省唱歌で、二人はほかにも『春の小川』や『故郷』(兎追いしかの山…)などを残した名コンビである。日本人はこれらの名曲をいつまでも歌い継いでいくであろう。

     


“純米酒フェスティバル2012春”の話題 … 「日本酒、焼酎を『国酒』に」(古川国家戦略相) 

2012-04-25 14:22:36 | 

 

 セルジュ一家の旋風で書く余裕がなかったが、去る15日、純米酒フェスティバル2012春の開催を終えた。2000年春を第一回に東京だけでも春と秋に行ってきたので、今回で25回目に当たる。よく続けてきたものだと思う。
 今回も昼の部と午後の部、それぞれ600人満席(各300人定員オーバーで謝絶)という盛況であったので、この純米酒普及運動は成功を続けていると思っていいのだろう。今回も41の蔵が出店してくれたが、これらの蔵の酒質が益々向上していることと、物心両面にわたるご協力のたまものだと感謝している。加えて、参加者の熱烈な応援が会の発展を支えてくれていることは言うまでもない
 
 
  フェスティバル風景

 それ等を反映してのことか、当日朝の読売新聞が、うれしいニュースを掲げてくれた。それは、古川国家戦略相の「日本酒、焼酎を『国酒』に」という言葉を伝えたニュースである。わが純米酒普及推進委員の間で専ら話題になったのはこのニュースであった。それによると、秋田県美郷町の蔵元を訪ねた古川大臣は、その後報道陣に次のように語ったという。
 「日本酒と焼酎はコメと良質な水という日本が誇るべき産物から生まれた文化であり、輸出産業として世界を席巻できる可能性を秘めている」

 我々からすれば遅きに失した感はあるも、国のトップの一人、しかも国家戦略相が「日本酒は国が誇るべき文化」という認識に立ち、輸出産業として戦略的に支援しようと語ったことは大きい。わが純米酒普及推進委員会が一貫して主張してきたことは「醸造酒としての日本酒は米と水で造る純米酒であるべきで、これこそ誇るべき日本文化」ということであった。
 なお、国酒という場合酒造界では「國酒」という字が使われている。歴代内閣総理大臣は就任後日本酒造組合本部を訪れ「國酒」と揮毫することになっている。たとえば森喜朗と小泉純一郎の揮毫は以下の通り。(新松田の中沢酒造の展示室より孫引きで失礼) 古川大臣が首相になった暁には、書き違えないことを祈っている。

   


セルジュ一家来る!③ … 強行日程をこなして帰仏

2012-04-21 13:01:02 | 

 

 既に書いたように、この一家のエネルギーには驚く。我が家に着いたときは来日9日目であったので相応の疲れがたまってきていると思われたが、毎日6時前には起きて7時過ぎには出ていく。横浜みなとみらい、河口湖、茨城県笠間と日程通りこなし、最終日は、天気が良ければ先日雨であった河口湖を再訪して富士山一望にトライするという。天気予報を見ると12時前後一時的に晴れる可能性があるが全般に曇りの予報に、ついにあきらめる。
 富士山をあきらめたので少しは休憩するかと思いきや、四年前に印象に残っている「横浜中華街と浅草」を回ってくると言う。さすがに子供たちは出かけるのを嫌がっているので、「せめて中華街はやめて午前中休み、午後の浅草のみにしないか」と提案したが、聞き入れる風情もなく9時前に出て行った。夜は「首藤ファミリー最後のディナー」だからせめて18時には帰って来いと告げておいたところ、これは律儀に守って18時15分ごろ帰宅した。
 ワイフが天ぷらを揚げるとみんな喜んで食べた。セルジュと長男マチスに“歌舞伎模様のTシャツ”をプレゼントすると、さっそく着込んでポーズをとる。

   
  お土産のTシャツに大喜び


 長女ナデージと次女オードレイには、ブローチや鳩居堂の“メモ帳”、“ストラップ”などをあげると、これも喜んで、ナデージが取り出した携帯に収録してある音楽に合わせてオードレイが歌い踊ってくれた。調子づいた一家はわが書斎のコンピューターから知ってる歌を次々と引出し、11時過ぎまで歌い騒いでいた。

  
 
  私の書斎を占領したセルジュ一家

 そして翌朝は4時過ぎ起床、食事もそこそこに5時20分わが家を出発、6時34分新宿発の成田エキスプレスで空港に向かった。10時前のフライトには十分間に合ったであろう。いやあ、そのすさまじいエネルギーには脱帽するしかない。こうして世界を回れば、否応なしにグローバルな人間に育つだろう。

 嵐は去った。静かになった居間から庭を覗くと、いつの間にか満開近い“はなみずき”が白い花を誇っていた。この花は日本が米国に贈った“ポトマック河畔の桜”の見返りに日本に贈られたと聞いているので、我が国グローバル化のはしりと言えよう。

   


セルジュ一家来る!② … 大当たりした「大戸屋」の定食

2012-04-19 12:09:39 | 

 

 嵐は続いている。フランスが持ち込んだ楽しい嵐であるが…。
 前述したように到着早々休む間もなく「みなとみらい」に出かけたが、まず飯を食わせなければならない。彼らの希望はとにかく「ジャパニーズ・フーズ」…ランチは「そば」、ディナーは「てんぷら」中心だと言う。横浜に着いたら午後1時になったので、まず蕎麦屋を探す。適当な店が見つからないが「大戸屋」があったのでメニューを見ると何でも有りそう。
 とにかく入ったらこれが大当たり。私が「そば、マグロ丼定食」を頼むと大きな「板そば」に歓声を上げて写真を撮る。

  
   私のとった「そば、マグロ丼定食」
   

ただし冷たいそばはダメだという。すべて暖かいソバの組み合わせで次のような定食が阿並ぶ。

    
 
 
    みんな大喜びの定食類

 驚いたのは、オードレイ(7歳の娘)の「アジの開き定食」であるが、彼女はこれをフォークとスプーンで見事に平らげた。骨を外すときには手を使っていたが…。「かつ丼とそば定食」など、みんな時間はかけたが、ご飯の最後の一粒まで食べた。その満足な表情は以下の通り

  
     


セルジュ一家来る! … 嵐の日々が続く

2012-04-18 15:57:00 | 

 

 かねての予告通り、フランスの友、セルジュ一家がやってきた。12泊の日本旅行のうち4泊4日が我が家の受け持ちだ。すでに友人宅2ヶ所を回って我が家に来たのだ。
 前回が四年前の2008年、やはり4月中旬であったので、丸4年の子供たちの成長が見て取れる。長女ナデージは16歳、背丈はすでに母ナンシーを凌駕して父セルジュに迫る。次女オードレイは前回は3歳で始末に負えないヤンチャ娘であったが、7歳となってそれなりの分別とおしとやかさを身に着けてきた。末っ子の男児マチスは、前回の外出時は乳母車にくくりつけられたままであったが、もはや5歳となって立派に一人前にふるまう。
 到着早々、下の二人は我が家の猫(パンダ)を追い掛け回して制止不能、やはり手におえないヤンチャっ子かと思いきや、食事の際や外出行動においては父セルジュの権威のもとに従って、統制のとれた一家に成長していた。たまにオ-ドレイがマチスに手を出して泣かせたりするが、そこは長女ナデージがうまくさばく。これもセルジュの教育であろう、要所要所の重要な日本語は子供たちも覚えていて、朝は「オハヨウゴザイマス」、食事の後などには「アリガトゴザイマシタ」、何よりもかわいいのは就寝前には必ず私のそばに来てエンブレイスの上「オヤスミナサイ」と言って頬に「チュッ」と音を立ててキスをする。

 初日の16日は午前10時半ごろ着いたが、12時前には横浜みなとみらいへと出向く元気。横浜ぐらいなら、と私も案内がてら同行したが、元気な行動力に振り回されて後期高齢者にはこたえた。続いて昨17日は「富士山を見るんだ」と言って早朝7時半には我が家を出発して新宿、大月経由で河口湖に向かった。私は出勤日(役員会で外せない日)なので「残念だが案内できない」と告げると「ビジネスか…」と言って、「77歳にもなって、日本人は何でそんなに働くのか…?」というような顔をしていた。その恨みのせいか、河口湖は途中から雨が降り出した模様で、早々に引き揚げて予定を早めて帰ってきた。しかし、「富士が見えなくて残念だ。次の機会を目指す」と言っていたので、また来るつもりらしい。
 今日は7時前に出かけて笠間市に焼物窯を見に行った。これにはワイフが同行したので機嫌よく出て行った。それにしてもその行動力には驚く。小さい子供も文句ひとつ言わないようだ。毎年この調子で世界中を回っているのだから、日本人などとは相当な差がつくのであろう。

        
 
            
   


素晴らしかったオペラ「秘密の結婚」

2012-04-14 20:31:55 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

 今日は再び冬のような寒さがぶり返し雨のしのつく悪天候となったが、岩本町のトナカイまでオペラ「秘密の結婚」を観に行った。娘のミャゴラトーリが7月公演に準備中の演目で、その演出・主演を担当する大澤恒夫氏(バス)が、時を同じくしてトナカイから公演の演出を頼まれたという。娘も7月公演のこともあり、大澤氏の演出助手として関わってきたので、応援も加えてワイフと観に行った次第。
 私はこのオペラの名前を初めて聞いた。娘に聞いても、あまり演じられないいわばマイナーなオペラだという。ところがドッコイ! これは大変美しい曲に全編彩られた素晴らしいオペラであった。作曲者のチマローザ(この名前も今回初めて知った)は別名“ナポリのモーツアルト”といわれるそうで、その呼び名のとおり、モーツアルトに決して負けないような美しい曲が全編を貫いた。
 しかもほとんどが重唱曲でつながれている。普通のオペラはアリアでつながれながら重唱が入ってくるが、このオペラは二重唱、三重唱、四重唱でつなぎながら、ところどころにアリアや語りが入ってくるという感じであった。しかもそのいずれの重唱も、清流をアユが潜り抜けるようなさわやかな透明感にあふれていた。1792年2月の初演(ウィーン、ブルク劇場)というから18世紀末のオペラであるが、もしかして、これが本来のオペラというものではないか…と思ったりした。内容はかなりのドタバタ喜劇であるが、美しい曲に流されて気が付いてみれば終わっていた…という感じだった。
 反面、歴史に残るような名アリアがないところに、マイナーなオペラの地位に甘んじている原因があるのではないか、というのがワイフの見解であった。確かに、「誰も寝てはならぬ」(トゥーランドット)、「星はきらめき」(トスカ)、
「人知れぬ涙」(愛の妙薬)、「プロヴァンスの海と陸」や「パリを離れて」(椿姫)など、アリアの名前で演目が記憶されているのがオペラの世界かもしれない。しかし、重唱の美しさがこれほど音楽に力を与えるものかということも改めて思い知った。
 それを示してくれたのはほかならぬ出演歌手たちであった。ソプラノ西本真子、沼生沙織、メゾソプラノ磯地美樹、テノール中嶋克彦、バリトン井上雅人、バスバリトン大澤恒夫の各氏は、いずれ劣らぬ実力の持ち主で、その力に改めて敬意を表したい。

  
  
    出演歌手の面々 ブラボー!

 


芝公園の夜桜

2012-04-11 14:58:36 | 時局雑感

 

 会社が浜松町に移って一年半になるが、ようやく花見が実現した。芝公園という絶好の場所が近くにあったことも幸いしたようだ。
 仕事がなかなか終わらず、6時の予定が全員集まったのは7時過ぎであったが、私は定刻の6時から先陣を務めたので、夕暮れの花から正に夜桜に至るまでたっぷりと、その移ろいゆく美しさを味わった。ちょうどその先に東京タワーが屹立し、その照明がソメイヨシノの白と調和した。
 酒は秋田の「浦城本丸」と「阿桜」、多種多様なつまみ類に加えて近くのコンビニからおでんまで買ってきて、大満足な花見でした。

         
 
                     


充実した週末 … 桜、葵太鼓、ジプシー・ヴァイオリン

2012-04-09 12:20:06 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

 前回予告したように、土日の二日間にわたり満開の桜と太鼓とヴァイオリンを満喫した。予定が狂ったのは日本青年館の「葵太鼓」の開演が、私の勘違いで午後四時半であったことだ。終了は7時に近く、あまりの寒さに夜桜見物どころではなかった。友人と信濃町の飲み屋に駆け込み熱燗をあおった。もちろん、開演前に明治公園の桜を少々眺めたが。
 2年前に見た富岡八幡葵太鼓は、深川八幡祭の名物だけあって、威勢の良いばちさばきで2年前の雰囲気を再現してくれた。翌日の「古舘ヴァイオリンコンサート」は予定通り2時開演、ハンガリーをはじめジプシー音楽界で多くの賞を勝ち取り高い評価を得ているだけに、彼女の力強い音色には毎回のことながら圧倒された。こちらは4時過ぎには終わったのでまだ明るい。代々木公園に出向いて、広大な満開の桜と、その下で繰り広げられる宴会の騒音にこれまた圧倒された。日本人とさくらは本当によく似合う。もっともかなりの外国人の姿があったが。
 そのあと、ホテルセンチュリーサザンタワーの19階「ほり川」の夕食も秀逸でした。満足、満足。

  
     明治公園の桜

     
  
            
      威勢の良い葵太鼓
  
 新宿御苑の桜(南側苑外から)
 
 ハンガリー・カロチャ刺繍衣装の古舘由佳子さん
 
           
     
       代々木公園の桜


楽しみな花見

2012-04-06 16:39:49 | 時局雑感

 

 東京の桜はソロソロ満開を迎えるらしい。今年は春がなかなか来なかったので、待ちわびた桜の満開で大いに賑わうだろう。去年も一昨年も、特別花見に出かけた記憶がないが、今年はうまい具合に外出日程が重なり、桜の花が見れそうだ。
 先ず明日7日土曜日は、千駄ヶ谷の日本青年館に「葵太鼓」を聞きに行く。午後2時開演だから、4時には終わるだろう。どこか近くの桜を見て帰ることになろう。明後日8日の日曜日は満開が予想されているが、これまた代々木の「古舘由佳子ヴァイオリンコンサート」に出かける。これも2時開演だから、「終わって青山墓地の桜でも眺めて、どこかでおいしいものでも食うか」とワイフと話し合っている。
 加えて、これまでやったことのなかったわが社の花見計画まで持ち上がった。オフィスが浜松町であるので、芝公園(増上寺の隣)で夜桜の宴を張ろうというわけだ。これは業務の都合上12日(火)となったので、「もう桜は散っているのではないか?」と疑問を投げかけたところ、「芝公園は灯りもついていないようだし、どうせ桜は見えないから関係ない」というのが幹事の返答であった。桜はどうでも、飲んで食べて騒げはいい、ということらしい。
 あれほど一生懸命咲き誇る桜に対して、なんだか悪いような気もするが、まあこれも一つの現代的花見であろう。それにしても、灯りもついていない公園の、真っ暗な中で飲み食いをやるつもりなのだろうか?


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