旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

ブログ「旅のプラズマ」の無期限閉鎖宣言

2011-02-27 15:49:01 | 時局雑感

 

 これまで二日に一回のペースで書いてきたが、2月23日以来書いてない。これを機に、一先ず閉じることとする。

 実は翌24日夜帰宅すると、ワイフに、「ある人からのメールに、Mちゃんのおばあちゃんが亡くなったことのお悔やみや、ニュージーランド行きについてなどの記事があったワ。貴方のブログで知ったらしいが、ブログは身内にことの大公開ネ」と不満げに言われた。過去にもそのような苦情がワイフから告げられることがあった。
 ワイフは私のブログを全く読まない。ところが第三者から「ブログで知った」身内のことなどを聞かされて、その都度わたしのブログに何を書かれているのか不安になるようだ。
 今回の対象となった投稿は、先ず16日の「バレンタインの雪」であろう。私はそこに今冬初めての本格的な東京の雪のことを書いた。ちょうど名古屋出張で、その帰途に立ち寄った鎌倉が雪の始まりであったので、「・・・鎌倉に立ち寄り息子の嫁のおばあちゃんの通夜に参列」と書き雪に触れた。通夜のことなど書かねばよかったのであろうが、ブログが日記に性格を併せ持つことからも、ありのままに書いた。実名は全て伏せたが、身内の人などが読めば当然対象を特定できる。
 もう一つは23日の「クライストチャーチ大地震」など、一連の「オーストラリア・ニュージーランド旅行」の記事だろう。しかしこの旅行については昨年暮れから書き続けているし、年賀状にまで書いてあるので、正に大公開している。

 ただ、このようなことでワイフに嫌な思いをさせるのは本意でなく、何となく続けるのがイヤになった。身辺のことを一切書かない方法もあるかもしれないが、それはそれで味気ない。またそんなことに注意してまで書く必要もないだろう。
 そろそろこの辺でケリをつけよう。机上に並ぶ四冊(4年分)の、中味の整理でもする時期かもしれない。例えば、旅行記だけを抜き出し纏めるとか、「24節気の酒」だけを纏めて手を入れるとか・・・。
 時あたかも、前回の「『街が崩れ落ちた』クライストチャーチの大地震」は、4年前スタートして800回目の投稿にあたる。4年1ケ月で800回更新したわけだ。この辺が潮時かもしれない。一先ず閉じるよい時期なのかもしれない。
 なお断っておくが、発端となったワイフなどの言動には一切責任はない。彼女らは当然のことを言ったまでで、ブログの閉鎖は全く私の個人的な理由による。予てからブログ自体にいろいろ疑問も持っていたし(何度も投稿済み)、すべて私の勝手な決断によるものである。全く唯我独尊の記事を書き続けたので、これを閉じても誰に迷惑をかけることもないだろう。

 長いことお読みいただいた方に、心から感謝申し上げます。本当にありがとうございました。                                                                                                                              tabinoplasma

 

 


「街が崩れ落ちた」クライストチャーチの大震災

2011-02-23 14:24:52 | 

 

 前回(2月20日)、「海外旅行の準備」と題して楽しい旅の準備を進めていることを書いたが、その訪問先の一つであるニュージーランドのクライストチャーチを、マグニチュード6・3の大地震が襲った。古い建物を保存し続け、観光の町として人気の高いクライストチャーチは一瞬にして崩壊し、多数の死傷者を出した模様だ。日本人観光客も1300人を越えており、うち20名以上が連絡がとれない状況のようだ。

 クライストチャーチは、今回の旅の目的地の中でも中心的な存在であった。街のシンボルのような大聖堂で、わが登戸合唱団は地元合唱団と演奏をすることになっている。その大聖堂の美しい尖塔は崩れ落ち、無残な姿が新聞で報じられている。大聖堂の本体は無事のようだが、演奏予定日の3月13日までは残すところ20日に満たず、恐らく演奏は(訪問自体も)無理であろう。
 それよりも、被災者の人々のことを思うと胸が痛む。ニュージーランドは文化水準は高く治安も良く、旅行者も多く豊かな国の典型の一つであろう。その街が一瞬にして「崩れ落ちた」のである。その模様をキー首相は次のように語っている。

 「ニュージーランド史上最悪の一日を、今われわれは眼前にしているのかもしれない。表現するのは難しいが、クライストチャーチは数時間前まで活気にあふれた街であったが、崩れ落ちた」

 テレビの映像は、その「崩れ落ちた」街角で、「怖かった。本当に死ぬと思った」と語る市民の姿を報じている。私たちに為すすべはない。日本も援助の動きを始めたようだが、被災者の救済と、一刻も早く市民が心の安定を取り戻すことを願うのみである。


一部倒壊の大聖堂。右手前塔の尖塔部分が崩れ落ちている


海外旅行の準備

2011-02-20 11:33:39 | 

 

 オーストラリア・ニュージーランド旅行が近づいてきた。3月9日出発だから、余すところ18日だ。18日もあれば十分な日数で、何も慌てることはないが、海外に行くとなれば何だかあわただしい。
 まずバッゲージから悩む。技術の進歩が日進月歩で、軽くて機能的なものが常に出てくる。前回のトルコ旅行で、ワイフがそれまで使ってきた「重いバッゲージ」を廃棄して軽くて運びやすい(コロの関係)ものに替えた。今回も説明会に行くと「もっと軽くて運びやすい」新製品を宣伝された。「貴方も齢だから軽いのにしなさい」というワイフの助言もあり旧来のバッゲージに見切りをつけた。
 購入しても1万5千円程度のようだが、買えば保管をしなければならない。一年に1回使うかどうか分からない物を狭い家の中に置くよりもレンタルの方がいい、ということになった。レンタル料が6~7千円かかるので購入するのと大差ないが、日常不要な物を保管するよりいいだろうというわけだ。

 入れものが決まると今度はその中に入れる物、つまり「持っていく物」の悩みだ。先ずは衣類。目的地の3月中旬は秋の始まり・・・、気象的には日本の5月ゴールデンウィークの終わり頃だというので結構暑いのであろう。しかし大陸性だから夜は冷えるだろうとか、マウントクックなどに行くのでそれなりの備えは必要だろうといろいろ悩む。
 しかし衣類についてはここ何ヶ月かで買いためてきたし、基本的にはワイフ任せにしている。私が海外旅行でいつも悩むのは、ガイドブックや参考文献類をどの程度もって行くかだ。これまで、沢山持っていって殆ど使うことなく持ち帰ることが多かったことと、さりとて肝心な物を忘れて地団太を踏んだこともあるからだ。
 「地球の歩き方」を2冊買い込んだが、オ-ストラリア版700頁、ニュージーランド版540頁でかなり重い。いつものように「訪問する町」だけをちぎりとって、それだけ持っていくことにする。「シドニー、ウロンゴン」で30数頁、「クライストチャーチ、テカポ、マウントクック」で60頁強で、これなら荷物にならない。残る頁、つまりオーストラリアやニュージーランドについての説明部分は、事前に読んでおくべき箇所で、旅先では最早いらない。

 まあ、今度の旅はできるだけ身軽に行こう。ガイドブック類に頼るより、行く先々の出会いに身を任せよう。齢のことも考えて肩の力を抜いて行こう。難しいことだが・・・。


春の酒

2011-02-18 09:46:43 | 

 

 春の酒のシーズンが始まっている。
 昔は、冬に造った酒を春までに搾り、夏の間はタンクに寝かせて熟成させ、秋に出荷したものだが、今や搾りたての酒をいろんな試みで味わうようになった。冷蔵設備やクール宅急便などの普及で、生酒や原酒をそのまま味わうことが出来るようになったからだ。

 純粋日本酒協会が毎年3月に如水会館で開く「純米清酒を楽しむ会」の案内を受けて、久しく参加していないので今年こそ、と思い日取りを見ると3月9日(水)。ちょうどオーストラリア・ニュージーランド旅行に出発する日だ。
 主催蔵の一つである米鶴酒造の梅津社長からもメールのお誘いも受けていたので、その旨返事すると、「残念ですがオーストラリアを楽しんできてください」とし、4月21日には「山形新酒歓評会」があるのでお会いしたいと新たなお誘いを受けた。春は次々と新酒の会が続くのだ。

 鳥取県の千代むすび酒造さんから「春の酒」のお知らせが届いた。2月から4月にかけ、毎月純米大吟醸と純米吟醸の2本セットをお届けするという計画だ。内訳は

 2月 使用米「強力」の純米大吟醸「袋取りしずく酒」と純
    米吟醸「強力おおにごり」
 3月 使用米「五百万石」の純米大吟醸「春の粉雪」と純
    米吟醸「なかどり」
 4月 使用米「山田錦」の純米大吟醸「袋取りしずく酒」と
    純米吟醸「あらばしり」

となっている。春の香りが満開だ。 しかも毎月、使用米の違うのがいい。いろんな米のいろんなつくりを楽しんでもらおうという試みで、多様化した日本酒ならではの楽しみ方だ。
 ひとつこれは3か月分を注文して、その違いや食との相性などを楽しんでみよう。


バレンタインの雪

2011-02-16 10:52:13 | 時局雑感

 

  前々回(2月12日)、「東京の雪は地面に着くと消え去る軟弱な雪だ」などと書いたら、今度は本格的な雪に見舞われた。その日14日は、前日から名古屋に出張、仕事を早めに済ませて午後3時過ぎの新幹線に飛び乗り鎌倉で途中下車、息子の嫁のおばあちゃんの通夜に参列。9時前帰途に着くと鎌倉駅では既に雪が降り始めていた。
 その雪は、新宿に降り京王線に乗り継ぎ八幡山に着くと、積雪3センチほどの正に本格的な雪になっていた。駅からわずか3百メートルのわが家に着くまで、ズブリ、ズブリと雪に足を埋めながら辿りついた。
 いやはや、とんだバレンタインデーの雪であった。翌朝起きると、まだ雪景色の片鱗が残っていたので以下に記録をとどめておく。
 会社に着くと、「昨日のバレンタインデーの贈り物です」と女性群から、とても美味しいバームクーヘンやピンクのハート型に星をちりばめた可愛いクッキーなどを頂いた。雪に耐えて楚々と咲き続ける庭の紅梅(写真)ともども、心に残るバレンタインのプレゼントであった。

 
  庭の雪  
    
    駐車場
   
    

  


エジプトの民主化を望む

2011-02-13 12:46:19 | 政治経済

 

 エジプトの政情がようやく落ち着きの方向に向かうようだ。何とか軟着陸して民主的な国になってほしい。
 エジプト大統領というとナセルという名前が強烈に残っているが、近時はムバラクという名が通っていたので、エジプト大統領とは思ってはいたが、30年間も独裁を続ける大統領とは、最近の事件で初めて認識した。アラブの王様は長期にわたって国を治めているという印象はあったが、21世紀の時代に30年の独裁政権がのうのうと続いている現象には、改めて違和感を持った。
 しかも、30年前に政権の座に着いた時の非常事態宣言を未だ解除しないままに維持してきたなどは、議会制民主主義の中に身をおくものには想像を絶する事態だ。

 権力の座というものはそれほど魅力のあるものなのか、このムバラクの引き際も見苦しかった。30年も独裁を続け、そろそろ退陣せよと国民があれほど求めるのだから、もうちょっと物分りのよさを発揮しても良かろうと思うが、そうは行かないのが権力というものだろう。
 とり巻きもとり巻きで、国民の声を早く察して退陣の準備を進めておれば、それこそ「名誉ある撤退」の方法などいくらでもあったと思う。30年も時間があったのだから・・・。しかしこれまたそうは行かないのであろう。とり巻きはとり巻きで美味しい汁をすすっていたのであろうから。

 日本の権力争いも嫌気がさしてきた。何とか政権を維持しようという思いから小沢一郎のような男を切ることもできない菅政権。それを攻める自民、公明など野党も、相手のミスや弱点を突いて退陣に追い込む、つまり政権奪還だけを目指して国民生活に目を向けようともしない。民主党に向かって「お前は国民に支持されていない」という自民党の支持率もせいぜい20%強に過ぎない。目クソ鼻クソを笑う低次元の言い合いで、これほど苦しい国民生活を救う法案審議もそっちのけだ。
 かつての政権の座にあった自公は、その「美味しさ」を知っているので、何はともあれ民主党を退陣させて権力の座に帰り咲きたいのであろう。
 言っておくが、国民は民主党に愛想をつかしているが、自民も公明も支持しているわけではない。自分たちの政党支持率を見れば分かるはずだと思うが、それに気が付かないのが権力亡者のゆえんかもしれない。


東京にもやっと雪が・・・

2011-02-12 09:39:37 | 時局雑感

 

 東京都心にもやっと雪らしき雪が降った。これで東京も全国の仲間入りしたのかもしれない。しかし、昨日の雪はみぞれみたいなもので、各地の猛烈な雪に比べれば軟弱そのもの、その程度で仲間入りとは認めないと言われるかもしれない。
 何たって「雪だ、雪だ」と報道がけたたましいので、よほど積もるのかと思っていたが、前述したように、地面に着けば跡形もなく消え去る雪で、一向に積もる気配は無かった。雪被害の大きい地域の方々には申し訳ないが、少しでも積もったら写真に収めておこうとカメラを構えていたのだが、昨日の雪はとうとうその期待に応えてくれなかった。
 明け方までは積もる可能性があるというので期待して目を覚ましたが、その気配は全くない。ただ気温だけは低く、久しぶりに底冷えのする東京だ。加えて午後は雨になる予報で、最悪の天気となりそうだ。

 その中を、今から大学同窓会の新年会に出かける。わずか代々木の参宮橋までだから、その間に雪景色を求めるのは無理だろう。しかし懐かしい人々には会える。あの先輩に教えを請おう、あの人とあの話をしよう、などと久しぶりの期待を寄せる。
 楽しい会となれば、この続きは帰宅して書き次ぐことにしよう。  

 (つづき ・・・ 大学同窓会)
 受付でもらった参加者名簿を見ると、52名の参加者の上から7番目に名前がある。年齢順の記載であるので、段々上が少なくなる寂しさを先ず感じた。昭和33(1958)年卒75歳は立派な高齢者なのだ。最高齢は83歳だから、まだ大分余裕があるが・・・。
 同級の3人と1級上の方の四人で話は弾んだが、いずれも伴侶や子どもに難病や体の動けない人を抱え苦労している。本人たちは元気であるから会合に参加しているのであるが、「いずれ自分の身に・・・」という共通の思いが過ぎる。最近の同窓会に共通する空気であるが、まあ、目の前の一日一日を元気一杯生きていくしかないのであろう。


さようなら金八先生、お大事に

2011-02-10 10:37:15 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

 今日の毎日新聞21面「ザ・特集」は、「3年B組金八先生」シリーズが、3月下旬で終了することを報じている。32年間教壇に立った金八先生は来月定年退職するそうだ。
 私は未だこの番組が続いていたことも知らなかった。ただ、32年前始まった頃はよく見た懐かしいシリーズだ。32年前と言えば1978年、日本の高度成長も最盛期にさしかかり(その後バブルに向かう)、個人的にも広島支店(三井銀行)に転勤した年で激動の時代であった。
 それだけ社会問題も多く、特に学校では校内暴力問題などが山積、それらを先取りしながら真正面からとりあげていったドラマであった。だから長く続いたのであろう。

 特集の中で武田鉄矢氏がいろいろな思いを語っている。本名よりも金八先生と呼ばれることの多いことに、「私は金八ではありません。彼は立派な人間です。私はコンサートの空席や拍手の数を気にするようないやらしい一フォーク歌手です」などと言っているが、反面、「男はつらいよ」で寅さんこと渥美清に、「鉄っちゃん。役者ってえのはね、役名で呼ばれるってえのは、名誉なことことなんだよ」と言われたことを紹介している。また「幸福の黄色いハンカチ」のなかで高倉健に「新人には優しくしてやるんだぞ」と教えられて「ジーンとしちゃった」話など。
 みな長期シリーズを耐え抜いた俳優ばかりで、そこには人知れぬ共通点があるのであろう。

 「金八先生は何を伝えたかったのだろうか?」という問いに武田鉄矢氏は、
 「それは『みんな、勉強しましょうよ』ってことじゃないかな。学びは、人を信じ愛することからでしか始まらない。これまでの歴史を見ると、日本は外国から謙虚な姿勢で学んだから発展した。今の日本もこの姿勢が必要だと思いますよ」
と答えている。そして最後に、「退職する金八先生に武田さんが贈る言葉は?」という問いには、次のように答えている。
 「『あなたの終わりを私の始まりにしますから』。金八のゴールを、私の新しいスタートにしたいと思います。」

 武田鉄矢61歳。32年間「金八シリーズ」で学び、蓄積し続けた糧は、氏のこれからの人生をさぞかし充実させて行くことであろう。


歌いつがれた日本の心・美しい言葉② ・・・ 『春よ来い』 

2011-02-08 10:21:19 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

   春よ来い 早く来い

   あるきはじめた みいちゃんが

   赤い鼻緒(はなお)のじょじょはいて

   おんもに出たいと 待っている

 

   春よ来い 早く来い

   おうちのまえの 桃の木の

   蕾(つぼみ)もみんなふくらんで

   はよ咲きたいと 待っている

 

 立春を過ぎて暖かい日が続いたが、今夜からまた寒い日が続く予報だ。これから三寒四温をくりかえし、春が行ったり来たりする時節である。そのとき、必ず口ずさむのがこの歌である。

 
詩は相馬御風。早稲田大学校歌『都の西北』など多くの校歌をはじめ美しい詩を数多く残している。御風は佐伯藩士藤田茂吉(報知新聞主筆、第一回衆議院議員)の末娘照子と結婚、生まれた娘が相馬文子・・・、歌の中の「歩き始めたみいちゃん」は、この文子(あやこ)がモデルと言われている。

 子ども言葉の「じょじょ」(草履のこと)とか「おんも」(おもて、面通り、戸外)という言い回しが何ともいえない。子どもは外に出たいと、桃の蕾は「はよ咲きたいと」春を待つ。結びの「待っている」と言う言葉が、題名の「春よ来い」と響きあう。しかし今や、「じょじょ」どころか草履(ぞうり)自体も無くなり、車の行きかうコンクリートの「おんも」は趣を大きく変えた。

 曲は弘田龍太郎。龍太郎の名前を知らない人は多いが、『雀の学校』(チィチィパッパ・・・)や『靴が鳴る』(お手つないで・・・)、『お山のお猿』、『雨』、『金魚の昼寝』、など多くの童謡を作曲し、また『叱られて』や『浜千鳥』、『鯉のぼり』などの名曲を残している。

 多くの国民は、その成長とともに龍太郎を歌い継いだと言えるのではないか? 

 この『春よ来い』も、日本人の心の中に歌いつがれ、消えることはないだろう。

   

 

 


豪州旅行の大筋決まる

2011-02-06 16:36:10 | 

 

 前回触れた「オーストラリア・ニュージーランド旅行」の大筋が決まった。登戸混声合唱団の練習を兼ねた説明会に参加してきたのだ。それによると日程は以下の通り。

 
3月
 9日(水) 20:00成田発オーストラリアのシドニーへ。
10日(木) 07:35シドニー着 午前:市内見学、午後
       自由 行動、ホテルへ
11日(金) 終日ウーロンゴン市訪問。昼頃:市庁舎で
       レセ プション午後:IMBシアターで現地の
       合 唱団と演奏会 終了後シドニーへ(泊)
12日(土) 10:15発空路ニュージーランドへ、15:15クラ
       イストチャーチ着
       大聖堂、ガーデン・シティを見てホテルへ
13日(日) 昼頃:大聖堂で地元合唱団と演奏会、午後
       市内観光
14日(月) バスでマウントクックへ。オプションで「スキ
        ープレ ーン氷河着陸ツアー」あり、夜はテ
       カポ湖畔泊、スターウォッチング星空 観察
15日(火) バスでクライストチャーチへ、17:00空路シド
       ニーへ  ・・・帰国
16日(水) 06:15成田着

 15日は、もう一泊クライストチャーチという「連泊オプション」があり申し込んだが、定員10名限りということで選に漏れた。残念であったが、前回書いたような「不良サポーター」としては、団員優先でやむをえない。まあ、往復機内泊というのは老人には強行日程とも言え、「齢も考えてあまりはしゃぐな」という神のお達しであろう。思い起こせば、初詣のおみくじに「旅行 さわぐな」とあった。
 13日は、合唱団員は朝から練習らしいが、私は午前中空いている。その間にクライストチャーチの町を回れば、主要な見どころは見れるだろう。10日午後の「シドニー自由行動」ともども、どこを回るか早くも様々な思いが巡る。
 旅とは出発前に楽しみのひと山があるのだ。

 
 クライストチャーチ大聖堂(峯吉智子著『ニュージーランドの休日』より)
 因にこの本は、素晴らしい写真に満ちた素敵な旅行記で、これから行く国柄に思いをはせながら、楽しく読ませてもらっている。


投票ボタン

blogram投票ボタン