旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

トルコ紀行①・・・意外に近かったトルコ

2009-09-30 20:51:43 | 

 池澤夏樹などを引用しながら「トルコは遠い」と何度も書いた。事実、パムッカレの石灰棚やカッパドキアの奇岩など、日本では想像できない景観であるので、これは異質の国と思わざるを得ないが、日常接したトルコ――特にトルコの日常人は想像したよりはるかに「近い人たち」であった。

 まず、どこに行っても日本語を話す人たちに出会った。JTBツアーが導くホテルや土産品屋は、毎度のことで日本語を話せる人たちをそろえているのだろうが、そうではなく、ひょこっと立ち寄った店でも殆ど日本語で話しかけられた。もちろん観光地であるので、買い物客としては世界一のカモである日本人を相手にしようと勉強しているのかもしれないが、それにしても日本語を話す人の多いことに驚いた。街行く人たちからも、何度も日本語で呼びかけられた。
 元を糺せばウラルアルタイ系の同一人種と言われ、容貌はかなり違うがいわゆるヨーロッパ系人種の顔立ちに比べれば似ていると思った。そういえばフィンランド人もウラル系で、フィンランドに行ったときに日本人と同根だなどと言われたが、こちらは風貌がかなり違う。それに比ぶれば、トルコ人の方がはるかに近いのかもしれない。

 問題は宗教だ。イスラム教という壁が、トルコと日本を大きく隔ててきたのではないか?・・・と思っていた。 
 ところが、トルコは宗教の障壁をかなり乗り越えていることを初めて知った。これについては別の項で詳述するが、オスマントルコの崩壊後新たな建国に取り組み共和制を導入して「建国の父」と称されるアタチュルクの政教分離は、ほぼ完全に国民の中に定着しているように見えた。少なくともわれわれを案内してくれたガイド フラット氏はそのことを強調した。

 宗教の壁が無ければ、トルコはかなり近いのではないか?

 これが今度の旅の一番印象的なことで、その実情に接したことは思いがけない収穫であった。
                          


トルコから帰ってきました

2009-09-29 18:37:15 | 

 8日間の旅を終えて、今日トルコから帰って来ました。
 快晴続きで乾いた空気のトルコから成田に着いたとたん、日本の湿度の高い気候を改めて感じました。東京が曇りであったことによるのでしょうか?

 トルコは想像以上にすばらしい国でした。添乗員、ガイド(トルコ人日本語ガイド)に恵まれ、また、22人のツアーメンバーが全てすばらしく、実に良い旅でした。
 広大な「エフェソスの遺跡」に先ず度肝を抜かれ、「パムッカレの石灰棚」に自然の営みの不思議さを思い知り、どろどろの石灰棚温泉風呂につかり、「カッパドキア」では別の星に来たのかと思いながら、
 「これはすべて、行って見なければ絶対にわからない!」
と思いました。

 最後のイスタンブールでは、ビザンチン、オスマントルコの分厚い文化に目がくらむようでした。「アヤ・ソフィア聖堂」を見るだけでもトルコに行く値打ちがあるのではないか・・・、など思いながらイスタンブールの街を歩きました。そして、ボスボラス海峡クルージングで締めくくり。

 これらについては明日から順次書いていこう。
 今日は無事帰国を祝って子供たちが夫婦揃って集まってくれたので、これからゆっくり晩餐といこう。娘が一生懸命作ってくれた海鮮料理を食べながら、8日ぶりに日本酒も飲もう。
                           


トルコに行ってきます。ブログはしばらくお休み。

2009-09-21 20:31:08 | 

 既に何度も書き続けているように、明日からトルコに行ってくる。
 
ツアーのコンダクターに身を任せた気楽な旅をしてきたいと思っている。あまり欲張った計画は無い。ただ、胸のポケットに一枚のメモだけを入れて行く。
 
そのメモの内容は、左側にトルコで飲みたい酒を、ビール、ワイン、スピリッツの順に書き並べ、右側にそれに対応して食べたいトルコ料理を書き並べたものだ。ちゃんとトルコ文字も書いてある。注文の際わからなくなったらウエイターに見せようと思って・・・。
 
東西文明の結節点を見るためにトルコに行くと豪語しながら、そのメモは少々品が無いって? しかし文化遺跡などは案内してくれるのであろうから、あえてメモっておくことは無いだろうが(ガイドブックは持参するし)、こちらの飲みたい酒とそれに対応する酒の肴などは、黙っていては絶対に出てこないだろう。ここはやはり「酒と食を求める根性」が必要なのだ。
 
そのメモの内容を教えてくれって? 冗談ではない。これこそ約二ヶ月をかけて集めた企業秘密だ。トルコの日本酒を置いてある店まで調べてあるのだ。

 さて、明日から8日間ブログは休む。先ほど書いたように、私のブログへのアクセスも、訪問者数2万名、閲覧数5万頁に達した。それが奇跡的にも昨日と本日の到達となったので、ここはケリをつけて一休みするのがベストであろう。同行のK嬢がスーパービジネスウーマンで、仕事をしながらの旅のためパソコンを持参するので、それを借用してブログを書きたくなる恐れがあるが、そこは誘惑に負けず、この間はさっぱりお休みにすることにしたい。
 バイ、バイ
                          

ブログのアクセス数

2009-09-21 15:20:29 | 時局雑感

 このブログは、2007年1月中旬からはじめたので、既に2年8ケ月に及ぶ。日数にして970日、平均して二日に一回のペースで書いてきたので500頁ぐらい書いたことになる。
 一日のアクセス数(訪問者数)は20~30時代から50~60人時代が長く続いていたが、3、4ヶ月前から100を超えるようになり、最近は130~140、9月の15日の174がこれまでのピーク。一週間の訪問客数も先週はじめて1042人と千人を越えた。一日の閲覧数は400を超えるときもあるが、だいたい300台だ。
 
このGooブログの参加総数は現在129万人だが、アクセスランキングで時々1万人以内に入り、15日の174人のときは1290036人中8521位であった。「それなりに読んでくれる人が居るのだなあ」と思っている。

 もう一つ、「トータル訪問者数(IP」が昨日2万人を超えた(20072人)。そして今日、「トータル閲覧数(PV)」が5万頁を超えた(50156頁)。
 訪問者と言うのは、殆ど毎日のように読んでくれている人が居るので、実際の訪問人数としてはしれているのだろう。何百人ぐらいだろうか?
 しかし約500頁のブログが、5万頁読まれているということは、どんな計算になるのだろうか? これも1人が同じものを何度も読んでくれたこともあるのだろうし、どのくらいの人にどのような読まれ方をしているのか・・・ということについてはよく分からない。

 私のような、一方的で、堅苦しく、自分勝手なブログなど、読んでくれる人が居るというだけで喜ぶべきことかもしれない。ただそれだけに、コメントは極めて少ない。コメントを求めるような内容ではないのであろう。
 まあ、延べ2万人、5万頁という機が、一日を置いて到来したということは、何らかの転機と見るべきか?

 さて、どのように転ずればいいのだろうか・・・
                           
                      

 


トルコ旅行前の大事業「純米酒フェスティバル」

2009-09-19 18:24:22 | 

 22出発のトルコ旅行に向けて、スーツケースの成田空港宅配を依頼したところ、明日(20日)の午前中に集荷に来ると言う。大した荷物ではないが、やっと今荷造りを終えてほっとしたところだ。
 何せ明日は、私にとって大事業が残っている。それは純米酒フェスティバルの開催である。2000年春にスタートして年2回開催してきたこのフェスティバルは、明日で「10周年、20回目のフェスティバル」となる。何としても良い会として成功させねばならない。
 
おかげで北海道から九州まで50蔵が参加してくれる。初参加も6蔵ありどんな酒か楽しみだ。問題は自分の体調だ。翌々日から8日間のトルコ旅行が迫っているので飲みすぎないようにしたい。フェスティバルは昼と夕方の二部にわたり、50の蔵の酒を利いていると相当な酒量を飲む。しかも終了後は、反省会と称して委員を中心にひたすら飲む会が控えている。毎回深夜に及び相当に出来あがる。

 しかし今回は出来るだけ慎もう。記念すべき酒を少しずつ飲んで、反省会は食べることに集中して、深夜を待たずに引き上げねばなるまい。ただ、これまで一回も出来なかったことが、今回に限り出来るだろうか?

 トルコの魅力と酒の魅力のいずれが勝るか?
 ああ、神よ助けたまえ・・・・いや、アラーの神に祈った方がいいかな?
                            
 

 


東西文明の結節点・・・トルコ

2009-09-18 13:41:42 | 

 何度か書いたが、トルコ旅行を共にするK氏は80歳で、「長期間旅行はこれが最後かも・・・」と言っている。そしてその度に「最後に行く先として最高の地はトルコだ。それは、そこが東西文明の結節点として豊富な歴史に彩られているからだ」と熱っぽく話す。

 トルコはまさに東西文明の通り道であった。どちらの勢力が相手を攻めるにも常にトルコを通って行き交ったと言えよう。西からはギリシャ、ローマ(含む十字軍)、東からはイスラム、モンゴル・・・そしてついにその地(アナトリア)の民たるオスマントルコが強大な帝国を築き、それに先立つ重厚な文化を受け継ぎ自分のものに塗り替えたと言えるのであろう。

 東西文明の交流といえば、まずシルクロードを想起するが、この道は地中海と中国とを結ぶ道であった。シルクロードの東の起点は洛陽であるが(長安と言う説もある)、西の起点がトルコのアンタクヤ(当時はシリアのアンティオキア)であったことは今度初めて知った。
 トルコ最南端の町でシリア国境に位置するアンタクヤ市は、もともとシリアに属しアンティオキアと呼ばれていたというが、オスマントルコに併合されて、以降曲折はあったが現在はトルコの一都市。
 シルクロードの終点はイスタンブールと書かれているものもあり(実態的にはそうだったのかもしれない)、いずれにせよ、トルコはまさに東西の結び目であったのだ。

 初めて知ったと言えばもう一つ、メソポタミア文明を育てた二つの川――チグリス、ユーフラテスは、いずれもトルコの山中を水源としている。つまり、トルコから流れ落ちている川なのだ。何となく川下ばかり見ていたが、世界文明発祥の源流は、これまたトルコではないのか?
 出発直前になって、いろいろと興味は尽きない。
                           


トルコは遠いか?

2009-09-17 21:27:35 | 

 池澤夏樹が「トルコは遠い」と書いている。(新潮社『イスタンブール歴史散歩』)それは距離的、物理的意味での遠近のことではなく“質の遠さ”みたいなものを言っているようだ。氏は書いている。

「現代の日本人の世界観の中でトルコという国はおそらくヨーロッパのずっと先の方に霞んでいる。パリとロンドンは身近な都会だし、ミラノやミュンヘンだってそう遠くはない。しかしイスタンブールは遠いのだ。」(同著102頁)

 確かに、日本にとって西欧はその距離以上に近いのかもしれない。日本は明治以来西欧文明を取り入れ、追いつけ追い越せと学んできた。衣服や住居、生活習慣や様々な文化面でかなり同化していると言えるだろう。言葉の障害を除けば、欧米の諸都市で生活するのにあまり違和感は無いのではないか。
 
ところがトルコといえばどうか?
 アジアの西の端と東の端という位置関係以上の距離を感じる。というよりも、私などは殆ど何も知らないと言った方がいいくらいだ。

 イスラム教という宗教のせいか? そもそも一神教は日本人には合わないと思う。日本は「よろずの神」で、なにもかも神様で、自ら努力すれば仏には成れることになっている(成った者は釈迦以外には居ないようだが)。実に平和な民で、「唯一絶対神」などという怖い思想は似合わない。
 しかし、同じく一神教のキリスト教を相当な範囲で受け入れている。西欧文明をこれほど同化していることから見れば、そのせいでもなさそうだ。
 
何がトルコを遠くしているのだろうか?

  反面、トルコは大変に親日的だという。100年以上も前の“エルトゥールル号難破事件”(トルコ使節団の船が和歌山県沖で台風のため沈没、日本人の努力でやっと70人を救出し日本船でトルコに送り帰した事件)を、教科書で教え、全国民が未だ日本に恩義を感じていると言う。ボスボラス海峡に架かるトルコ最大の橋も、日本の円借款と日本人技術によるものだ、ということもガイドブックに載っている。

  トルコについてあまり知らない、なんて失礼ではないのか。いや、私だけが知らないのかもしれない。ここはじっくり、今度の旅でこの目で見て、もっともっとトルコを知ろう。
 結果、トルコは意外に近いのかもしれない、と願っている。
                                                      


トルコ旅行一週間後に迫る

2009-09-15 21:22:12 | 

 待望のトルコ旅行が一週間後に迫ってきた。早くからわあわあ言っていたのだが、準備などと言うものは土壇場にならないとやらないもので、今になっていろいろと慌てている。
 12日の土曜日にやっとスーツケースを引っ張り出してみると、カギがさびついて動かない。2年前のドイツ・イギリス・フランス旅行で半月にわた
り酷使したためか、どうにもならなくて、それこそ慌ててデパートに買いに行った。

 心配なのはイスタンブールの大雨であるが、同行のK嬢情報によれば、イスタンブールのヨーロッパ側(つまりトルコの最北西部)がひどく、旅の前半の行程であるエフェソス、パムッカレ、アンタルヤ、コンヤ、カッパドキアなどは殆ど問題はない模様。最後の26~27日に訪問するイスタンブールは何とかなるのであろうと、気にしないことにしている。
 それよりも「かなり寒くなったので気をつけろ」とのこと。そもそも9月までは夏と言うことになっているが、下旬ともなれば10月と大差ないのであろうから、夏と秋の衣服を用意していくことになるのであろう。

 もう一つ心配なのは新型インフルエンザであるが、これは運を天に任せるほか術なく、まあ、老人は罹る人が少ないようなので末期高齢者を自認している者としては、これも心配するのはやめよう。
 今回は、とにかくツアコンさんに任せてのんびりと行こう。
                            

 


オペラ「オテロ」(新宿区民オペラ15周年記念公演)を観て

2009-09-13 14:22:25 | 文化(音楽、絵画、映画)

 昨夜は、新宿文化センターホールでオペラ「オテロ」を観た。娘が合唱メンバーで出演したので応援も兼ねて出かけたのだが、なかなか見応えがあった。新宿区民オペラと言うとおり、オーケストラも含めてアマチュアが多いのだが、なかなかどうして、立派なオペラになっていた。日本の音楽水準も向上したと見るべきだろうし、このような公演を15年続けている新宿区に敬意を表したいと思う。

 オテロは、もう8年も前になるが、サンクトペテルブルグのマリインスキー劇場で観た。これはゲルギエフ指揮の本物で、その重厚さと迫力に圧倒された記憶が新しいが、昨夜は字幕も追いながら観たので、むしろ物語の中身に改めて重いものを感じた。ヴェルディと言うのかシェイクスピアと言うべきか、よくもまあここまで描いたものだと思う。
 物語はイヤゴーの言動に尽きるが、彼の言う「・・・俺は悪者だ。それは、俺が人間であるからだ・・・」と言う言葉は何とも重い。シェイクスピアは何を言いたくてこの言葉を書いたのか? 
 人間の尊厳にかけて「俺は善人だ。それは俺が人間であるからだ」と言いたいものだが、それを言う自信はもちろん無いし、世の中に次々起こる悪事を見ると、このイヤゴーの言葉がいっそう重みを増してくるのが悲しい。
 ヴェルディの音楽の美しさが、その「人間の持つ悪の本性」をいっそうあらわにしたと言えるのかもしれない。
                                     


気になるトルコの大雨

2009-09-12 10:48:22 | 

 一昨日(9月10日)、JTBさんからトルコ旅行の「旅のしおり」ほか諸資料が届いた。それを機に同行者のうちのK氏親娘と三人で、美味しい日本酒を飲みながらトルコへ向けて気炎を上げたことは、昨日のブログのとおりである。

 ところで、届いたのは旅の資料だけでなく、目的地トルコの洪水のニュースだ。当地で8日ごろから降り始めた雨は80年ぶりの大雨とかで、イスタンブールは大半水につかり、トルコ北西部で30人以上の死者が出ていると言う。幹線が一気に冠水し車中に水がなだれ込み、死者のほか多数の怪我人が出ている模様だ。
 私は何年か前のニューオルリーズのハリケーン被害を想起した。「もう一度行きたい街」の一つに挙げているあの美しい街は、今も原状に復帰していないらしい。ハリケーンと大雨とは違うであろうが、二週間後に訪れる夢にまで見ている歴史遺産「美しい(であろう)イスタンブール」は失われたのではないか? という不安がよぎる。
 街は失われないまでも、清掃や修復で目指す遺跡を見ることができないのではないか? 道路が修復できず予定の日程がこなせないのではないか? 様々な不安が次々と浮かぶ。

 まあしかし、不安ばかり抱いても仕方ない。イスタンブール見学は27、28日で今から20日ある、ビザンティン文化を支え、オスマン帝国を築いてきた偉大なトルコ人は、私たちの着くまでに、綺麗に洪水の後片付けを済ましてくれるだろうと期待している。
                            


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