旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

今年も終わる … 今日で本当に終わる!

2015-12-31 16:13:20 | 時局雑感

 

 今月に入って、カテゴリーごとに「今年も終わる」シリーズを書いてきたが、今日で本当に今年は終わる。
 80歳になってこんなにいろいろなことが起こるとは想像していなかった。
 まず80歳の初孫は、高齢化と晩婚化時代の象徴であろう。次男が結婚したのが5年前(2010年)だから彼は44歳、私は75歳になっていた。しばらく子供が生まれる気配もないのであきらめていたら、今年になって突如生まれた。75歳とか80歳といえば昔は生きていなかった。
 生まれてみれば可愛いもので、日に日に大きくなる姿に生命力を感じる。明日も来ることになっており、新年はまず孫と迎えることになる。遥人(はると)と言う名前であるので、これから「遥かに生きて行く」であろう生命力にあやかろう。

 弟淳を75歳で亡くした。既に書いたが、兄弟(男ばかり5人)の中で最も明るく元気であった彼が、なぜ高齢化時代をそのまま生きられなかったのか、全くわからない。今や人類は半ば克服しつつあると思われる癌(淳は肺癌)の怖さを改めて知った。
 これまた既に書いたが、淳は私などよりはるかに多様に豊かに生きたので、その質量からすれば90歳にも100歳にもなるのであろうが、とはいえ、75歳で逝くことはないではないかと、その生涯を惜しむ。
 生まれる者あれば死すものもある。諸行無常の響きにだけは抗(あらが)えない。

 その他、私にとっては、人生の整理期にしてはいろいろあった。しかし、この二つの出来事だけで十分だろう。静かに行く年を振り返りながら今年を終わろう。


  私の書斎を飾る淳の絵

      

  
題名「春待つ」…「冬のブナ」でなく「春待つ」としたところに淳の面目あり
淳は、明日迎える新春をどんなに待っていたことであろうかと思う(11月18日死亡)
  


今年も終わる … 底光りしてきた日本の文化(特に科学・技術)

2015-12-26 11:06:47 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

 政治や経済では最悪の年であったと書いたが、文化の面では底光りするような力を見せてきたのではないか。特に科学・技術面では、過去の蓄積がようやく花開いてきたような感じを受けている。

 はやぶさ2号の打ち上げには、1号の活躍があっただけに大いに期待しているが、驚いたのはあかつきという金星探査機だ。5年前に打ち上げられ軌道に乗ることに失敗して忘れられた存在であったが、事実、既に耐用年数を過ぎているというのに、5年を経て改めて金星の軌道に乗ることに成功した。
 報道などによれば、この5年間、執拗に成功の道を追い求め1万回に及ぶ実験を繰り返しながら、別の目的で積んでいた補助エンジンを活用して成功したというのだから、その技術力もさることながら執念深さに驚く。技術力、根性ともどもノーベル賞ものではないか?
 ノーベル賞といえば、はやぶさ、あかつきが夢を追う宇宙の彼方から降ってくるニュートリノと、こちらは正反対に身近な土壌、ゴルフ場の土の中から採取した微生物にノーベル賞が光を与えてくれた。一方は宇宙の謎を解き明かし、一方は何億人という人々の命を救った。両先生(大村智、梶田隆章両氏)の素敵な人柄ともども、いくら称えても称えきれない。
 宇宙技術とともに日本人宇宙飛行士もたくさん生まれている。みんな立派な方々だ。近年のノーベル賞受賞者の急激な増加ともども、戦後一貫して地道に努力を積み重ねてきた成果が、今花開いてきたのあろう。 これらの分野では、日本はいよいよ地力を発揮していく時代を迎えたといえよう。

 身近なところでは、娘が主宰するオペラ創作集団ミャゴラトーリが、今年は四つのオペラを公演した。「小劇場演劇的オペラ」と「日本語セリフでつなぐ原語公演」という新しいジャンルを追求しつつ頑張っている。75歳になるワイフが属する合唱団「レジーナ11」は、4年ぶりの演奏会を開いた。30年の歴史を持つ合唱団だ。いずれも、継続することの意義を感じている。
 すべて来年もそれぞれの道を追求していくことだろう。

        
          三陸海岸北山崎の日の出(2010年9月10日撮影)


今年も終わる … ますます花開く純米酒と日本酒の定義

2015-12-21 16:12:06 | 

 

 暗いニュースの多い世の中で、日本酒の世界で純米酒だけは確実に花開いてきた。今の時代ほど日本酒が多様に高品質で飲まれる時代はかつてなかった。これは、日本酒全体では減少しつつも、その中で質量ともに伸び続ける純米酒が生み出している現象である。つまり純米酒だからこそ多様な味を生み出し、多様な飲まれ方に応えることができるのである。
 純米酒普及推進委員を続けて16年が過ぎた。来年はそろそろ引退をしようと思っている。日本酒の完全復活とは言えないが、不振をつづけた日本酒業界にあって、純米酒をここまでの地位に引き上げた一端を担ったとひそかに自負している。そして、日本酒の未来は純米酒が背負っていくであろうと確信している。
 ただ一つだけ、解決のめどの立たない
悩ましい問題が残っている。それは、日本酒(清酒)の定義の問題である。われわれは日本酒を「米の醸造酒」と定義する限り、純米酒をこそ日本酒とすべきとするが、国の規定は醸造用アルコールやその他政令で認める添加物を加えたものも日本酒としている。それらの添加物を加えたものは、すくなくとも醸造酒とは言えず、世界的な基準から言ってもリキュールなどに分類さるべきである。ところが国はこれを認めず、多くの日本人も、それら添加物の混じったものを日本酒として飲んでいる。醸造酒という意識があるかないかは別として。
 日本人は、戦時中の米不足を醸造用アルコールや糖類の添加により酒を増量して凌いできた。これは大変な智恵であったが、戦後の米余り時代を迎えてもその増量を改めず、それらマゼモノ酒(醸造酒とは言えずリキュールなどに分類しべきもの)を日本酒(清酒、本来は醸造酒)として認めてきた。
 加えて、その後の酒造技術の発展が、添加アルコールの量を限定しつつ清酒の味も生かした「大吟醸酒」などという優れたアルコール飲料を生み出し、これは、むしろ「日本酒の華」とまで言われてもてはやされるようになった。これが一層悩ましい問題を生み出してきたともいえる。
 私のこれまでの取材などによれば、多くの大吟醸酒のアルコール添加量は「米1トンにつき100%アルコール70~80リットル」と聞いている。普通酒には最大約600リットルまで、本醸造酒でも約120リットルまでの添加が認められており、それに比べれば少量だが、米1トンからは350リットルのアルコールが採れるとされているので、7、80リットルといえども20%以上の添加で、これはやはり醸造酒とは言えないだろう。日本酒としてどこで線引きするか。
 しかし、いまや大吟醸酒を、いわゆる日本酒から除くのはかなり難しい実情があろう。では,米の醸造酒というこだわりを捨てるか。
これまた世界的にも権威の面でも問題が生じよう。
 この悩ましい問題でいつも悩む。今年もまたそれを抱えて年を越す……

        
         木下さんの菊(12月11日撮影分、今はもうない)


今年も終わる … めっきり減った旅の回数

2015-12-17 14:17:28 | 

 

 旅に出る回数がすっかり少なくなってきた。海外旅行は、2011年のオーストラリア旅行以来出かけていない。あの旅の最中に、留守にした日本が東日本大震災に襲われたショックもあって、「年1回」を続けていた海外旅行に終止符を打った格好になった。と言うより、エネルギーの限界を感じてきたと言うほうが正しいだろう。時差を含む長期の旅はそれなりのエネルギーを必要とする。エネルギーには体力だけでなく資力も含まれ、年金だけの生活ではそう思うにまかせない。
 海外旅行がすくなった半面、国内の旅の頻度が増していたが、これも今年はほとんどなかった。傘寿の同窓会で帰郷した際に郷里の思い出の場所を回ったのと、山びこの会での蓼科くらいのものだった。前者は、帰郷のついでにもう一度行きたい心に残る場所を再訪しようと一週間ばかり滞在して、四浦半島めぐりや姫島探訪、竹田の岡城址などを歩いて若き日の思い出をたどった。後者は年1回の山びこ1泊登山に同行し、私は山には登らず高原歩きで2千メートル級の山の空気を吸うことにしている恒例の行事だ。
 いずれも旅というほどのものではなく、長く続いた旅の記録も、そろそろ終わりを告げるときが近づいたのかもしれない。今後、大きな旅出かけることはおそらくないであろう。

 ただ、私の書斎と脳裏には、たくさんの旅の記録と記憶がある。ここ9年にわたり書きなぐってきたブロの中にも、旅のカテゴリーが349項に上っている。整理の終っていない膨大な写真が、アルバムや紙袋、それとパソコンの中に埋まっている。これらを辿れば、あのすばらしい旅の数々が再現できる!
 旅とは実にすばらしいもので、計画の段階、現地の段階、その整理の段階でそれぞれ異質の楽しみを味あわせてくれる。旅先当地が一番楽しいかと言えば必ずしもそうでもない。年を経ていろいろな書物なども読み比べながら辿る想い出が、現実の旅よりはるかに豊かになる例はいくらでもある。
 過去30年の旅の記録(含む記憶)から、自らが選ぶ「紀行文ベスト10」、「写真ベスト10」、「思い出の品ベスト10」を選ぼう、などと思って久しい。それぞれ10個選ぶなどとは至難の業と思われ、これ以上対象を増やさないように、だんだん旅の回数を減らしているのかもしれない。
 来年は、いよいよベスト10選びに着手するか。

   
         庭の紅葉(一週間前、12月10日撮影)


 


今年も終わる … 最悪だった政治、経済

2015-12-11 15:13:23 | 政治経済

 

 戦後70年を経て、国の内外ともにかつてない不穏な情勢になってきた。
 外にあっては、ソ連によるクリミヤ半島一部の力による強奪や、イスラム国をはじめとしたテロの万延に対処するうえで、東西陣営や各国の足並みがそろわないなど、第三次大戦へのきな臭いにおいが滲み出してきた。内にあっては、安倍自公政権がいよいよその右翼的側面を強権的に表してきた。
 何度も書いてきたように、20世紀という戦争の世紀を終えて迎えた21世紀は、人類は平和に向かって巨歩を進めるものと信じていたが、事態はその様に甘くはないようだ。背景には、長期に続く経済停滞に見られるように、資本主義経済の行き詰まりがあるのであろう。マルクス経済学者だけでなく多くの知識人が「資本主義の終焉」を叫んでいるが(たとえば水野和夫氏『資本主義の終焉と歴史の危機』など)、人類はかつてない歴史的危機(混乱)を迎えつつあるのかもしれない。

 イスラム国なるもののテロは、いよいよ拡大し世界中がその脅威にさらされつつある。問題は、その最大の標的とされる世界の大国が、その原因を解決しようとするのでなく、力により壊滅しようと軍事力を前面に打ち出していることである。なぜテロを行わねばならないのか? その原因を解決することなく、テロ、特に自爆テロなどを力で壊滅しようと思うなど愚の典型である。全く分からないように起こすのがテロであり、特に自爆テロなどを空爆などで除去できると本当に思っているのだろうか? イスラム人をすべて殺そうというのなら話は別だが、それこそテロどころか最大の悪事である。
 資本主義はこれらの国々(とアジア、アフリカ、中南米の国々を含め)を長く植民地支配して自国の糧としてきた。その後これらの国々が苦難の末自立したが、資本主義はそれらの国々を成長させ、支援することを怠った。というよりそもそも資本主義は、自国の成長こそ大事で、他国を支援する体質はないのかもしれない。こうして生まれた貧困と格差の問題は、簡単には片付かない。いわんや軍事力では片付かない。
 安倍自公内閣は、戦後日本国民が瞳のように大事にし育て上げてきた立憲主義、民主主義、平和主義を踏みにじり、憲法の平和条項を一内閣の閣議決定で変更するという暴挙により集団的自衛権の行使を推し進め、アメリカを中心とした世界の大国の、これらの戦争政策に協力できる体制を整えようとしている。
 またアベノミクスなるものにより、大企業の空前の儲け(内部留保史上最高300兆円突破)と貧困層の拡大(ワーキングプア史上最多1139万人)を強力に推し進めている。
 日本国民は将来、この2015年を「政治、経済とも最悪の年だった」と記憶することになるだろう。


今年も終わる … スポーツはどんな年であったか

2015-12-05 15:02:37 | スポーツ

 

 今年も終わろうとしている。ジャンルごとにどんな年であったかを追ってみよう。
 先ずスポーツ。

 昨年の暮れか今年の年頭か忘れたが、2015年のスポーツは40歳に期待する、と書いたような記憶がある。具体的には、野球の黒田(広島カープ)、大相撲の旭天鵬、スキージャンプの葛西の3人の活躍に期待したのであった。
 黒田の活躍は十分に評価できるのではないか。勝ち星は11勝と公約の10勝以上を挙げ、何と言ってもその存在感が大きい。彼がいるというだけで、カープにも広島にも相当な経済効果があったはずだし、随所で見せた“男気”がカープの人気を一層高めた。既に「カープ女子」などの存在で、観客動員数などでカープの人気は高まっていたが、それと一層波長を合わせた。
 味方が得点力を欠き、優勝に絡むカープブームを引き起こすまでには至らなかったのが残念だった。マエケン、黒田、ジョンソンという三羽烏を擁しながら、点が取れないでは野球には勝てない。ついに1ゲーム差でクライマックスシリーズ出場も落してしまった。黒田には悪いことをしたと思っている。
 旭天鵬には、一つでいいから勝ち越しをつづけ、あと2,3年幕内に残ってあらゆる記録を更新してもらいたいと思っていたが、残念ながら名古屋場所で引退した。「十両に落ちてまでとらない」という美学を貫き、潔い引退であった。
 代わりに、嘉風などという力士が出てきた。まだ33歳であるので比較はできないが、30を過ぎて強くなり、このところ二けた勝利での勝ち越しを3場所続け小結に上がり、そこでも勝ち越して来場所は関脇が予定されているので、これは楽しい。旭天鵬の後を追ってほしい。
 葛西は実に地味な活躍だ。もしかするとこの人が一番「40代の希望」をいつまでもつないでくれるかもしれない。まだシーズンは始まったばかりなので、もう少しレジェンドの行く末を見守ろう。

 来年はどんな年になるのだろうか。来年と言わず長期的に展望すると、団体で力を発揮する日本人の性質から、日本のスポーツ界を活気づけるのはラグビーかもしれない、という予感はある。


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