旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

トルコ紀行26 ・・・ トルコ風呂(つづき)

2009-11-29 14:21:05 | 

 風呂から上がり出口に向かうと、受付のおばちゃんが大きなバスタオルを広げて待っている。私はその前に行き、腰に巻いたずぶ濡れの布(ペシュタマル)を外そうとすると、慌てたおばちゃんが「ノー、ノー、ノー、・・・」と静止して、びしびしょの大きなペシュタマルの上から乾いたバスタオルを巻きつけ、その下から濡れたペシュタマルを外してくれた。
 当然バスタオルはかなり濡れた。折角なら乾いているタオルで体を拭きたかったのであるが。日本なら、番台のおばちゃんぐらいが見ていても素裸で出てきて体を拭きながらしばらく裸でいるが、ここはトルコだ! 女性はスカーブで肌を隠す国だ。いくら受け付けのおばちゃんとはいえ女性の前で全裸になろうとした自分を恥じた。もちろん私は、素早くバスタオルを受け取って、瞬時に下半身を隠すつもりでいたのであるが。

 そこで思い出したのが、これまたガイドフラットさんのお話。
 
「日本に行って一番驚いたことは、83分発の電車が本当に83分に出たことだ」という話は既に書いた。彼は、もう一つ驚いた話として次のように語った。
 
「もう一つ驚いたのは、裸で入る風呂(公衆浴場)だ。加えてトルコとの最大の違いは、日本人のアソコに毛があることだ。トルコでは男女とも一週間に一度は剃る。清潔のためだ」
 
私はその時、「トルコ人は顔にはみんな髭を生やしているのに、なぜ下の毛だけ剃るのか? 髭は不潔ではないのか?」と質問したが、彼の答えは「・・・清潔のためだ・・・」と言うだけでもう一つはっきりしなかった。

 それはさておき、カッパドキアのウチヒサール・カヤ・ホテルでの、ハマムのおばちゃんには失礼なことをしたと今も恥じている。思い起こせばあの受付のおばちゃんは、経験上、日本人が不潔にも下半身の毛を生やしたままにしていることを知っていて、「あの不浄、不潔なもの」を見せられてはたまらないと思い、あわてて「ノー、ノー、・・・・」と静止したのかもしれない。
 少なくとも私は、知的、文化的水準の上で相当低い人間と見られたに違いない。
                         


トルコ紀行25 ・・・ トルコ風呂(ハマムHamam)に入る

2009-11-27 21:17:53 | 

 カッパドキアのウチヒサ-ル・カヤホテルで待望のトルコ風呂に入った。トルコ風呂と言うのは、かつて日本では性風俗でひんしゅくを買った場所であるが、トルコではいわゆる公衆浴場で、むしろ身を清める神聖な場所である。
 単に湯につかるだけでなく、垢すりやマッサージがつきもののようだが、私は全く肩のこらない体質でマッサージはくすぐったくてダメ、垢すりもどうも気持ちが悪いのでせいぜいサウナまでとした。本当は、垢すりもマッサージもやって見なければ「ハマムに入った」ことにはならないのだろうが。

 
『カヤ・ホテル』 部屋からは、プールの庭に直接出れた

 入り口で大きな布(ペシュタマルという)と着替え室の鍵をくれるので、部屋で素っ裸になりその布を腰に巻いて浴場に向かう。ハンガリーのときは、“越中ふんどし”の短いやつを前に垂らすだけであったので、なんとも心もとなかったが、こちらは腰に巻いてロングスカートみたいに長く(自分の短足のせいか?)、完全防備だが動きづらいぐらいだ。
 ガイドブックには、浴場は男女別々となっていたが、このホテルは混浴・・・、入っていって一瞬たじろいだが女性は水着で、プールに入るようなものだ。ツアー仲間の女性たちがたくさん居て「ヤー、ヤー・・・」てなものだ。大風呂の中では新婚カップルが「キャッ、キャッ」言いながら楽しそうに泳いでいた。しばらく大風呂につかりサウナで汗を流したが、次々と女性ばかり入ってくるので、しばらくおしゃべりしていたが何となく「女の雰囲気」に気圧されて早々に退散する。

 ハンガリーでは2回温泉に入ったが、それに比べればこのホテルの浴場は見劣りした。ハンガリーで聞いたことは「トルコ風呂が原型だ」(もちろんその原型はローマ風呂だが)と言うことであったが、ハンガリー(ブダペスト)の方がはるかに壮大であった。まん中に大風呂があり、その中で10人ぐらいが胸まで浸かって円陣を組んで長々と議論していた。その大風呂を囲む大理石の柱の間に小さい風呂がいくつもあり、しかもそれぞれ温度の違う風呂であった。
 その点、カヤホテルのトルコ風呂は真ん中の大風呂だけでさびしかった。その上料金4千円とはとんでもない! プールも利用できるセット料金だが、寒くてプールなど入っていられない。ブダペストの料金は、たしか200円弱だったと記憶する。

 トルコも街中の大公衆浴場に行けば、ブダペストの温泉に勝るものが味わえるのかもしれない。
                           

  カヤホテル洞窟部屋  冒頭の写真はホテルの夜明け


24節気の酒 ・・・ 小雪

2009-11-26 11:23:56 | 

 今月22日は、24節気の小雪であった。いよいよ雪が降り始める季節となったのである。127日が大雪で、22日の冬至を迎えて今年も終わる。
 そういえば下旬に入るや寒い日が続き、あちこちに雪のニュースが飛び交った。自然は先人たちの言葉どおりに動いているのだ。もっとも今日の関東地方は最高気温17、18度で暖かい予報であるが。

 寒くなるにつれ日本酒の強みが出てくると思っている。飲み屋に行っても「とりあえずのビール」など省略して、最初から「熱燗で頼む」などとなる。屋台などでゲソか何かを肴に飲む酒は当然「熱燗!」となる。鈴木真砂女の『熱燗や食いちぎりたるたこの足』という句を思い起こす時節なのだ。
 もちろん、最近は純米酒を中心に味のある酒がたくさん出てきたので、きんきんの熱燗ではなく「あまり熱くしないでくれ」などと言いながら、いわゆる「ぬる燗」を所望することになるのであるが。

 その要望に応えうる酒は、米の酒らしい“強い酒”だ。もっと言えば“ごつい酒”と言ってもよい。造りからすれば山廃純米酒で、この時期になると思い起こすのが『菊姫』だ。菊姫は、能登杜氏で山廃造りの第一人者、能登四天王の一人とうたわれる農口尚彦杜氏が長く勤めた蔵。新潟酒などが端麗辛口に走る中でも、一貫して日本酒らしい、つまり米の味を前面に出した強い酒を造りつづけた蔵だ。農口尚彦杜氏は菊姫を定年退職した後、同じく石川県の鹿野酒造に請われて、今なお『常きげん』という銘酒を造りつづけている。

 一昨日、酒好きの友人と新宿のY店で『菊姫“鶴乃里”』を飲んだ。これはもはや農口氏の酒ではないが、また菊姫にしてはきれいな酒であるが、しかし元来の力強さを十分に感じる酒であった。同席した娘に味見させると、「むっ! これは“お酒”だねえ」と言ったが、そんな表現が当てはまる酒だ。
 小雪から大雪にかけての酒、としておこう。

                  


トルコ紀行24 ・・・ トルコの食事(3)

2009-11-23 13:11:13 | 

 旅の目的の一つに食があるので、その食をいかに日程の中に取り入れるかは旅の楽しさを左右する。中にはグルメ旅行と称して食を主目的とする旅があるが、これはむしろ単純であろう。全てに優先して「食の日程」を組めばよいのだから。
 ところが一般の旅は欲張りだ。名所旧跡も見たい、文化、生活にも触れたい、買い物もしたい、美味しいものも食べたい、と言うわけだ。限られた日程のツアーともなれば、それらを如何に組み合わせるかが旅行会社の腕となる。

 今回のツアーは三食すべてついていて、時間的には極めてムダのない日程であった。トルコの有名どころ(と言っても西半分だが)を実質6日間で見せるにはこのようになるのだろう。金銭的にみても参加者には経済的である。
 しかし反面、それだけ単純な食事とならざるを得ない。もちろん工夫はされており、昼食は毎回トルコ料理の代表的なものを選んでくれた。(前半はそれがやや貧弱で、既述のように不評の要因となったのであるが)
  ただ、夕食は最後のベリーダンス晩餐会以外は,全て宿泊ホテルのバイキングであったので、何となく単純に思えた。私などは、目の悪いこともあって、何がどこにあるのかもよく分からず、毎日同じものを食っていた感じだ。

        

 写真はアンタルヤのシェラトンホテルの夕食の一部だが、寿司も含めて日本で食べているようなものばかりだ。本来はトルコまで行って寿司をとることもなく、トルコらしいケバブとかキョフテ、ドルマの類を食べるべきであろうが、それがどこにあるのか分からない。結局、日本でいつも食べているようなもので終わる。パンとチーズは美味しく、毎日食べて飽きることは無かったが。

 食の満足を得るには、やはり町に出かけ屋台をつまみ食いするとか、レストランに入ってメニューを指差しながら食べたいものを注文するしかない。トルコ語は分からないので、私は写真入の一覧表を用意してその場に備えていたのであるが、ついにそれを使う機会は無かった。
 一晩か二晩は「自由行動食事の日」が欲しかった。まあしかし、それも贅沢と言うものだろう。現地滞在6日間、三食付で239,900円、極めてコンパクトにまとめた「とっておき まんぞくトルコ周遊8」ツアーに、私は言葉通り満足したのであった。
                                       


EU大統領にベルギー首相ファン・ロンパウ氏

2009-11-21 12:22:53 | 政治経済

 EU大統領に、イギリスのブレア氏を退けたベルギーの首相ファン・ロンパウ氏が選ばれた。5億人という巨大欧州人の賢明な判断であったと思う。
 一時、そのカリスマ性も含めブレア氏の優勢が伝えられていたが、冷静な判断を迫られるにつれ、「ヨーロッパの民意」はブレア氏から離れて行ったのではないか。ブレア氏の行動とEUの目指すところは一致しないことを考えれば当然であろう。

 そもそもEUは、アメリカを中心とする新資本主義勢力と距離を置くために生まれたと私は思っている。弱肉強食の競争原理に全てを委ねるアメリカ的資本主義から、北欧三国、デンマーク、オランダなどは、既に100年近く前から舵を切りはじめ、福祉、共存を基本とする新しい資本主義の方向に向かったと思っている。そして徐々に、ヨーロッパ全体がその方向に軸足を移してきたのがEU連合への動きであろう。
 その中で、イギリスの動きは異なっていた。レーガンと呼応するサッチャーの政治がそれであり、その反省から生まれたと思われる労働党政権でありながらブレア氏は、結局EUよりアメリカに軸足を置いてきたのではないか。イラク戦争への追随は、その典型的な現われであろう。

 EU大統領に選ばれたファン・ロンパウ氏の発言に感銘を受けた。

「結束は私たちの力、多様性は豊かさだ。各国が独自の歴史と文化を持つ。私たちの旅路の目的地は共通だが、荷物は異なる。」(昨日付毎日新聞)

 独自の歴史と文化を認め、むしろその多様性を尊重しながら結束しよう、と呼びかける。相当な柔軟性を必要とする難しい課題だ。しかしそれこそ豊かさと力の源泉だ、と呼びかけているのだ。

 別々の荷物を持って共通の目的地に向かう旅に出よう・・・。
 素晴らしい言葉である。EUの新たな旅立ちを心から祝う。
                            


トルコ紀行23 ・・・ トルコの食事(2)

2009-11-20 17:14:23 | 

 前回、トルコの食事の貧しいところばかりに触れたが、全てがそうであったわけではない。私の印象では日を追って内容が良くなったと思っている。イスタンブール最後の夜のベリーダンス晩餐会(老舗レストラン“キャラバンサライ”)は、私には量が多すぎて殆ど食べきれないほどであった。何ともトルコ料理というようなこってりした料理が出てきたが、ベリーダンスに気をとられて手をつけないまま引き下げられたものもあった。
 量といえば三日目のコンヤの昼食。『ピザ料理』というので、イタリアを思い出し何となく量を気にしていたのであるが、前2日の例があるので「トマトのピザ添え」かな、などと言ってタカをくくっていた。案の定、スープと共にチーズ乗せピザが1枚出てきた。結構大きいので私は腹いっぱいになったが、これをもって終わりではいかにもさびしい。と言ってメインディッシュとしてパスタの大盛りが出てきては敵わないなどと言っていたら、本当に出てきた。十枚ぐらい重ねられた本格的ピザが皿一杯出てきてホトホト参った。勝手の分からない者には、どうもチグハグでいけない。

   
 次のカッパドキア洞窟レストランでは、立派なマスが一匹丸焼き(ソテー?)で出てきた。白インゲンのトマトスープともどもこの料理は美味しくて、私はここで初めて、出てきたものを全て食べた。四日目ともなってトルコの味に慣れた、ということもあったのだろう。

   
           

 そしてイスタンブールに移り、既に書いたトプカプ宮殿レストランでの待望の『羊のケバブ』から、前述のキャラバンサライの料理と続いたのだ。
 もう一つ、最終日の昼食(グランドバザールの近くの店)で、「トルコで食べたい酒の肴」にメモして行った『Kalamar Tavaカラマル タヴァ』(イカのリング揚げ)が出てきたのは嬉しかった。もう諦めていたのであるが「アラーの神は見捨てなかった!」などと勝手に喜び、写真を撮るのも忘れて食べてしまった。

 こう見てくると、私は飲んだ酒ともどもトルコの食事にそれほどの不満はなかった。「食事を除けば素晴らしいツアーだった」というのが一般的意見だったようだが、私は、まあこんなものではないか、と思っている。
 むしろ一番残念だったのは、酒と食を求めて街中を自由に歩き回る時間が無かったことである。
                           


同窓会の魅力

2009-11-18 16:31:12 | 時局雑感

 このところ同窓会が続いている。14日付で書いた「先輩の傘寿を祝う」会も一種の同窓会だ。続いて15日には文字通り同窓会と銘打った高校同窓会があり、昨日は大学で同じゼミに学んだゼミナリステンが、既に亡くなった指導教授を偲んで年代を超えて集まった。
 
傘寿を祝う会や教授を偲ぶゼミの会などは、何ら強制動員的要素は無く自発的集まりであるから大いに盛り上がり、その主旨が生かされた楽しい会であった。会費もいずれも6千円でリーズナブルと言えるだろう。

 問題は、主催者が一番集まって欲しいと望む、いわば強制動員的要素をもつ高校同窓会というやつだ。九州の小さな高校であるが110年の歴史を持つので首都圏の対象同窓生は千名を超える。昨年、一昨年と百名以上の参加者があったが、今年は85名になったと主催者はやや肩を落としていた。
 しかし私は、85名も集まれば立派なものだと思っている。内容も、地元で醸造業を営む社長(同窓生)の『成熟産業の生き残り策』という講演など素晴らしい内容で、教えられるものが多かった。昨年に比し出席の少なかったのは、今月上旬に行われた故郷の祭りへの参加者が多かったためだと主催者は説明していたが、日時が重なったわけでもなし、私にはそうは思えない。

 原因の一つに会費の額があるのではないか? この同窓会の参加費は9千円であるが、今のご時世、これは少々高いのではないか? しかも引き続き行われる二次会も会費3千円であるので両方参加すると12千円だ。
 そもそも同窓会と言うのは飲食に集まるのではない。懐かしい同級生や、先輩、後輩、先生方などに会いたいがために参加するのだ。場所や料理など二の次だ。精々千円か2千円の松花堂弁当にそこそこの酒があれば、会費34千円で大いに話が弾むかもしれない。まあ、ゆっくり食べたい人もいるだろうから、56千円の会費がいいところではないか?

 9~12千円あれば、私はかなりの良い酒と料理を食べる場所を知っており、同窓会よりそちらを選びたい。世は不況、今後も低成長時代の続く中で、「手ごろな会費で、会の趣旨を生かした魅力ある企画」という原点が問われているのであろう。
                    


トルコ紀行22 ・・・ トルコの食事

2009-11-16 21:35:10 | 

 トルコ料理は世界三大料理の一つと言う説がある。フランス料理、中国料理に並ぶと言うのだ。日本人はひそかに、フランス、中国、日本料理をもって世界三大料理と自負しているし、イタリア、スペイン、ベルギーなど相応の意見があるだろう。超大国イギリスとアメリカは、この分野ではあまり大きな口は叩かないと思うが。
 
わがツアーの面々も、この旅に於いて食にかける期待は大きかったと思う。ところが、結論としてその期待は十分満たされたとは思えない。相当な部分で高得点を取ったと思われるこのツアーで、唯一不評であったのは食かもしれない。


 
まず二日目、エフェソスでの昼食・・・、広大な遺跡めぐりで汗をかき腹をすかし、通されたのはきれいなプールに面する明るい野外レストラン。エフェスビールを飲み白ワイン(beyaz sarap)『KULUP』を味わい、いよいよ最初のお目当て『チョップ・シシ(肉の串焼き)』が出ると言うので、赤ワイン(kurmizi sarap)まで注文して待ち受けたのであるが、それは日本の焼き鳥の三分の一ぐらいの肉が付いた貧しいものであった。トルコは肉の国と聞いていたので、さぞかし“ごつい肉”がでてくるものと思ったのが間違いであった。

 もっとがっかりしたのは次の日の昼食。アンタルヤに向かう高原の美しい湖のほとりのレストラン・・・、今日は、昨日の肉に対して魚料理で、鱸(すずき)料理だと言う。大きな焼き魚が姿のまま出てくるのか、それともこってりとしたソテーかなあ・・・、などと思っていたら、添えられたトマトよりも小さい“魚らしい塊”が出てきた。焼き過ぎでもあるし、殆ど魚の味はしなかった。ご夫人たちは“トマトの鱸添え”と名づけた。

 もう一つ。食事の後には必ずデザートが出るが、今回のツアーで最も人気の悪かったのが『ケマル・パシャ』というデザートだ。ケマル・パシャと言うのは、既に述べたように、特にわがガイドフラットさんが誇り高く語り続けた近代トルコの建国の父のことだ。別名アタチュルク(トルコの父)と呼ばれる英雄であり、トルコ人はその名を付して、このお菓子を最も好んで食べているのであろう。


 ところがこれが日本人の口に合わない。小麦粉を丸めて揚げたものを蜂蜜に浸したものらしい。そのじゅくじゅくした甘さが現代の日本人には耐えられない。最初の店からこれが出たが、二日目には殆ど全員が一個も食べないで残していた。私は建国の父に敬意を表して2個食べたが。
 食ほど難しいものは無い、と思った。
                    
                           
     


先輩の傘寿を祝う

2009-11-14 16:17:38 | 時局雑感

 昨夜は、M銀行時代の先輩S氏の傘寿を祝う会に出かけた。このところ書き続けているトルコ旅行の同行者K氏も80歳で、K氏は「長期の海外旅行はこれが最後になるだろう」と言いながらの旅であった。80歳も最近は珍しくなくなったが、それでも、人生における大変な到達点で、知友が集まって祝うに足る年齢であろう。

 昨日の会で特筆すべきは、実に明るい会であったということだ。私も74歳にもなったので、いろんな集まりは老人の会が多い。何歳以上を老人と言うかは今や難しいが、まあ、60歳以上は一応老人と言うことになっている。
 昨日の会は約20人が集まったが、最高齢が祝ってもらうS氏の80歳で、次が私の74歳を含め70台が数名、65~70歳が大勢で若い人で60前後と思われるので、まあ立派に老人の集まりであろう。
 このような集まりとなると、話題はほとんど病気の話と人が死んだ話である。せいぜいいい話と言っても若きころの昔話で、その対象は明るいのであるがそれを懐かしむ話しぶりは一般に暗い。暗い話ばかりのために会費を出して行くのもつまらないので、最近は極力参加しないようにしている。
 
ところが昨夜の会は明るかった。病気の話も死んだ話も出るには出たが暗くはなかった。なぜだろう・・・? としきりに考えたのだが・・・

 実は昨夜集まった人たちは、若いころ組合活動に参加していた人たちである。しかもその中で文化活動を中心にやっていたいた人たちだ。S氏はその中のリーダーであったし、今でも地元で年金活動などをやっている。他の参集者も、何らかの形で今も文化活動などを進めている人たちだ。
 M銀行の組合は「大銀行の組合」といういわゆる御用組合の中では、当時比較的民主的な組合で、特に幅広い文化活動を展開していた。労音、労演、うたごえ活動や、演劇サークルなど様々な活動を進めていた。

 私は「これだ!」と思った。若いころ組合活動を通じてともに語り合った夢を、この人たちは今も持ち続け、あるいはその活動に今も携わりながら生きているのだ。その明るさが、老人の会を明るくしているのだ。
 いくら御用組合といえども、組合である以上「明るい未来」を求め夢を語り合った。特に文化活動はその典型のようなものだった。

 あの人たちは、未だ夢を求め続けているのだ・・・、私はこうつぶやきながら、雨の夜道の家路をたどった。
                           

 


トルコ紀行21 ・・・ トルコの酒

2009-11-13 16:18:10 | 

 トルコの酒については既に書いた。101日付の「24節気の酒 秋分」の中で書いたので、カテゴリーは「酒」となっている。だから「トルコ紀行」としての紀行文の中には含まれていない。中身からすれば「旅」のカテゴリーとすべきであろう。
 
そこで、トルコの酒について若干つけ加えておく。

 まずワイン。 エーゲ海と地中海に西と南を囲まれたトルコは、温暖な気候に恵まれ世界有数のブドウの産地である。今回の旅行まで知らなかったが、トルコのブドウ栽培面積は、スペイン、フランス、イタリアに次いで世界第4位ということだ。ただ、酒を禁じるイスラム国であったことから、大半のブドウは食用とされワインの生産量は「世界1位のイタリアの約188分の1、世界16位のルーマニアの約10分の1」(Wikipediaより、2005年のデータ)と微々たるものだ。

 しかし、ワインの歴史から見ればその発祥の地ではないかと言う説もある。何度も書くように、メソポタミア文明を育んだチグリス、ユーフラテス川の源流の地であるので、私はワインの発祥地の一つはトルコであると信じている。Wikipediaも「B.C.4000年頃にアナトリア(トルコ中央内陸部)でワインが造られていたと伝えられている」と書いている。

 アンカラに1929年設立されたとされるカワクリデレ社の『CANKAYA』などを飲んだが、これも既に書いたように、酸味の強いフランス系ワインより甘みを活かしたドイツ系ワインで美味しかった。近時トルコワインの人気が高まってきていると言うが、今後伸びてくるのではないか。

 
     K夫人に剥がしてもらったラベル


 ところが、トルコ人が一番飲んでいるのはワインではなく「ラク」という蒸留酒だ。近代トルコの国父ケパル・アタチュルクもこれを愛していたと言うし、わがガイドフラット氏もビールかラクを飲んでいると言っていた。45度とアルコール度が高く、水で割ると白濁するので「ライオンのミルク」と呼ばれている。ブログ『トルコ食材大全』によれば、ブドウを醗酵させ蒸留し「アルコールド95度程度の液体にエチルアルコールを混ぜ、水で薄め、アニスを加えて再び蒸留する。わずかに砂糖水を加えて薄めたものを一ヶ月寝かし、フィルターで漉して瓶詰めにされる」となっている。
 どこの国にも、その国の食材を使った醸造酒(ワイン、ビール、清酒など)があり、それを蒸留したスピリッツ(ブランデー、ウィスキー、焼酎など)がある。それが水で割ったり好みに合わせて飲まれるのである
                          


投票ボタン

blogram投票ボタン