野上弥生子(小手川ヤエ)は、明治18(1885)年5月6日、小手
川酒造業の父角三郎と母マサの長女として生まれた。6歳となり4月臼杵尋常高等小学校に入学、後に15歳となり上京、明治女学校に入学。17歳では 同郷の野上豊一郎が一高等学校入学、21歳に明治女子学校卒業、豊一郎と結婚した。
22歳の弥生子は、夏目漱石の紹介で処女作『縁』を「ホトトギス」
に発表。以降、作家活動を80年間活動した。
【主要な作品(小説)】
・『海神丸』(大正11(1922)年) ・『大石良雄』(1926)
・『真知子』(昭和3(1928)年) ・『欧米の旅』(1943)
・『迷路』(1948) ・『秀吉と利休』(1963) ・『森』(1972~)
【主要な受賞歴】』
・女流文学賞(1964年) ・文化勲章(1971年)
・朝日章(1981年) ・日本文学大章(1986年)
【経済・政治・文化活動】
・第二次世界大戦下で西欧諸国に参画、戦後もハンガリー反乱を支
援している。
・宮本百合子と親しく、百合子没後(1951年)も弥生子は恒例に
献花を続けた。
・東京都知事美濃部亮吉の「明るい革新都政をつくる会」に、弥
生子も署名。
等々、膨大かつ長大な作品のごく一部記録を並べたが全て省略、
単なる二点だけを記録しておく。
第1点。臼杵市「小手川酒造(創業安政二(1855)年)」は、本格大分麦焼酎
を製造してきたが、野上弥生子の99歳を記念して、昭和59(1984)年5月、『白壽』と自筆して記録した。
第2点。弥生子は引き続き現業を続け、昭和60(1985)年1月『森
』第15章「春雷」』を発表。同3月30日死去した。
実に99歳11ヶ月(正に100歳!)の生涯であった。

野上弥生子の自筆「白壽」