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旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

「卒寿おめでとう」をたくさんいただきました

2025-04-30 14:10:51 | 時局雑感


 4月23日に90歳の誕生を受けました。親子家族から孫まで、祝ってくれました。弟夫婦たち、会社の社員の方々、多くの手紙やメールを届けていただきました。
 焼肉屋さんでたっぷり食べ、時期の煮魚を造ってくれた料理屋さんに満足しました。いろんな会合を楽しみました。沢山なお酒もいただきました。
 私は本当に幸せ者でした。
 

   
   きれいな、嬉しい手紙たち…

ある老農の「90歳の死」について

2025-04-21 15:54:35 | 時局雑感


 わが社員(某N氏)の話によれば、その父親は病気もなく、元気で農業を働き続けたが、90歳になり突然亡くなったと言われた。告別式の際、N氏が語った言葉である。
 「父親は良く働いた。畑では朝8時から夕方午後4時まで働いた。ところが、 90歳になった途端、畑仕事を止めて、自宅の床に臥せて、食事も全て採らなかった。そして一週間、ちょうど7日目に死にました。水以外、一口も食べなかったことには驚きましたが、私としても「おやじ! 見事な死に様(生き様?),天晴れだ」と言いました」

 
 あの老父が死亡した際、一言も弁解もなかったと聞いている。また、死後に及んで伝言の一言もなかったと聞いている。







  




臼杵人物記 野上弥生子

2025-04-09 15:48:45 | 時局雑感

 野上弥生子(小手川ヤエ)は、明治18(1885)年5月6日、小手
川酒造業の父角三郎と母マサの長女として生まれた。6歳となり4月臼杵尋常高等小学校に入学、後に15歳となり上京、明治女学校に入学。17歳では 同郷の野上豊一郎が一高等学校入学、21歳に明治女子学校卒業、豊一郎と結婚した。
 22歳の弥生子は、夏目漱石の紹介で処女作『縁』を「ホトトギス」
に発表。以降、作家活動を80年間活動した。
【主要な作品(小説)】
・『海神丸』(大正11(1922)年) ・『大石良雄』(1926)
・『真知子』(昭和3(1928)年) ・『欧米の旅』(1943)
・『迷路』(1948) ・『秀吉と利休』(1963) ・『森』(1972~)
【主要な受賞歴】』 
・女流文学賞(1964年) ・文化勲章(1971年)
・朝日章(1981年) ・日本文学大章(1986年)
【経済・政治・文化活動】
・第二次世界大戦下で西欧諸国に参画、戦後もハンガリー反乱を支
援している。
・宮本百合子と親しく、百合子没後(1951年)も弥生子は恒例に
献花を続けた。
・東京都知事美濃部亮吉の「明るい革新都政をつくる会」に、弥
生子も署名。

等々、膨大かつ長大な作品のごく一部記録を並べたが全て省略、
単なる二点だけを記録しておく。
第1点。臼杵市「小手川酒造(創業安政二(1855)年)」は、本格大分麦焼酎
を製造してきたが、野上弥生子の99歳を記念して、昭和59(1984)年5月、『白壽』と自筆して記録した。
第2点。弥生子は引き続き現業を続け、昭和60(1985)年1月『森
』第15章「春雷」』を発表。同3月30日死去した。
実に99歳11ヶ月(正に100歳!)の生涯であった。

  

    
    野上弥生子の自筆「白壽」   



90歳の月が始まる

2025-04-01 09:46:20 | 時局雑感



 2025年4月1日、90歳の月が始まった(4月23日誕生日)。
 80歳代は確実に10年間が続いたが、90歳代はそうはいかない。90歳代には、あるいは2,3か月まで、あるいは3,4か年も生きることはないだろう。有限の年月をじっくり生きて、充実した暮しを過ごしたい。
 無理をやめよう。無駄をすべて除こう。「輝くいいもの」だけを残して生きたい。短い命であるから……

春3月、桜花、爛漫…

2025-03-26 14:42:00 | 時局雑感


 2025年3月26日。突如として暖かくなり、月末には桜は満開の見込みとなった。併せて、私の89歳を終わろうとしている。つまり私の80歳代の10年目を閉じようとしている。
 この90年間は「90歳を目指して」頑張り続けたつもりであった。今日の桜花爛漫に向ける日のようであった。しかし、90歳代となればそうはいかないだろう。
 はてさて、新しい年代にどう向かえていいのだろうか?


臼杵人物記 中根貞彦

2025-03-20 11:01:51 | 時局雑感



 中根貞彦は、明治11年2月、臼杵の二王座旧片切屋敷で、父八三郎と母マツエの三男として生まれた。父は西南戦争で死亡(10年6月)、母も早死して養子となる。叔キクが14歳まで貞彦を育てた。
 貞彦は、臼杵高等小学校(旧東中学校)、大分中学校(旧上野丘高校。一番最優秀の成績)、熊本第五高校(現熊本大学)と学び上がり、次に東京帝国大学法科(現東京大学法学部政治学科)を卒業、明治38年卒業し日本銀行へ入社した(27歳)。
 日銀の実力を認められ、ロンドン代理店監査役、帰国後国庫局長、大阪支店長(昭和2年)と昇進。以降、困難を続ける大阪業界を切り開き、「貞彦で出来ない仕事」と請われて、大阪の金融業を続けた。貞彦は、日銀総裁、大蔵大臣の職を2度も断り、三銀行(三十四、山口、鴻池銀行)を合併し、三和銀行を創業し、三井、三菱、住友にも勝る大銀行を生み、四大銀行を設立した。昭和8年(貞彦54歳)のことであり、「人格、手腕、力量、貫禄の兼ね備わった人物」と各首脳が認めた。
 昭和39年、貞彦は86歳の生涯を閉じたが、その葬儀では、導師10名による読経のなか、焼香者は数千人の列をなし、弔電は7千通にも及んだと言われた。
 また貞彦は、養女キクの大往生の中を何度も臼杵を訪ね、また知人にも「歌集」なども送っている。その「誠実、潔癖、純粋で、恩義の深い、感謝の念の厚い人」と臼杵公園の歌碑が建立された。


    

90歳の境目

2025-03-12 11:22:43 | 時局雑感



 0歳に向かっていると、どんどん90歳代に近づいている感じがしていたが、2,3ヶ月前になると90歳の当日(2025年4月23日)を迎えようとすると、当該日の来る日のことを遠く感じている。
 80代には90歳に対して「上向」していたが、いざ90歳代は人生の始末をやらねばならないので仕事の性質上「下降」するのであろう。
 90歳の境目とは、「下降」へ向かう線のことなのか?
 いざ下降が始まれば、残る時間など何も在りはしないであろう

春と聞かねば

2025-02-27 16:41:09 | 時局雑感



 2月26日。暦の日繰りピッタリに合った暖かさ。前日までテレビが猛吹雪を知らせてあったが、決まったように春のニュ―スだ。

「春と聞かねば 知らでありしを
   聞けば急(せ)かるる 胸の思いを
 いかにせよとの この頃か」(早春賦)

 うれしい反面、90歳(4月23日)の年齢が近づくにつれて、「おやっ…?」という音が聞こえている。体調は確実に弱っているが、まあ、特に異常はないが、いいだろう。

正月三が日の酒と駅伝

2025-01-04 13:27:39 | 時局雑感

 酒 元旦 『亀の翁』純米大吟醸(新潟)
      朝7勺、晩酌1合2勺
   2日 『鍋島』 純米吟醸(佐賀)
      朝6勺、晩酌1合(やや控えめに)
   3日 『姿』  初すがた純米吟醸無濾過生原酒(栃木)
      朝5勺、晩酌1合3勺(控えと盛り返し)
 
 駅伝 元旦 ニューイヤー実業団(群馬)
       旭化成優勝 5年ぶり26回目
    2日 箱根学生駅団 往路青山学大優勝
    3日 帰路の青山学大の連覇 やや陳腐の思い

  
    
      
    なかなかのご立派なお酒でした

  
    
    (初日 旭化成)

 
  
    (2~3日目連覇)

  
      


2025年を迎える

2024-12-31 14:03:51 | 時局雑感

 2025年元旦を迎える
 平凡であるが祝杯を挙げ、ニューイヤー駅伝による旭化成の健闘を祈っている
 脳梗塞(失語症)による「聞く力」を失っているが、クヨクヨしないで、新しい年に生きていこうと思っている
 90歳時代に栄えあれ!

  
        
      

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