旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

人口問題のむつかしさ … 孫の成長を見つめつつ

2015-10-31 13:24:08 | 時局雑感

 

 傘寿を迎えてようやく初孫が生まれたことは何度か書いてきた。(5月15日「初孫生まれる」、7月12日「お宮参り」、8月15日「お食い初め」) 孫は見るたびに大きくなり、すでに5か月半を経て多重は8キロに近く、抱くと老体にはずっしりと来る。覗き込めば笑顔を返すようになったので、人間の体をなしてきた。
 あまり考えたことはなかったけど、孫の成長を見るたびに「この子が俺の血を後世につないでいくのか…」ということを実感する。人類が存在を続けるためには、子孫を残すことは務めの一つかもしれない。もちろん、責任を感じる必要はなく、それぞれ自由に生きればよいと思うが。

 折しも、中国が「一人っ子政策」の転換を決定したニュースが報じられている。しかし最早遅きに失し、中国は先行き深刻な人口不足に悩まされるだろうとも報じられている。急に言われても、子供を二人三人と産み育てる切り替えはできない、ということらしい。最大の理由は、超裕福層は別として、今の経済水準では一人育てるのが精いっぱいということらしい。一人を大事に育て、より裕福に暮らしたいという思いが強いそうだ。
 うまくいかないものだ。そもそも「一人っ子政策」などという無謀な策を、国の政策として国民に押し付けるなど、考えてみればこんな無茶な政策はない。人権無視、何よりも自然の摂理に反しているであろう。
 中国の悪口を言っている暇はない。わが日本も、前の大戦中は大変な人口政策をとった。いわゆる「産めよ増やせよ」政策だ。これは、無謀な戦争を続け勝ち抜くためにとにかく子供を産ませ、男は戦場に送り、女は銃後の守りとして働かせようというのだから人権無視も甚だしい。しかも、一人前になるには少なくとも10数年は要する人間を、戦争をおっぱじめてから生産しようというのだから、笑い話にもならない。真面目な日本人は、まさに真面目に、真剣に取り組んだのであるが。
 日本も人口減少問題を抱えている。この狭い島国なんだから、高度な生産力を生かし人口5千万人ぐらいで暮らせばさぞ豊かであろう、などと思うのであるが、そうもいかないらしい。何故そうもいかないのか、もよく分からない。原子力処理の問題、自然破壊を含む環境問題、とともに人口問題は人類の最大の問題の一つのようだ。
 80年生きて孫一人では、人類存続のために任務を果たしたことになるのかどうか知らないが、まあ、ゼロよりはいいだろうと思い、孫の成長を見守っている。

        
            10月16日(5か月と3日の孫)

 


あわただしい日々が続く

2015-10-27 15:11:32 | 時局雑感

 

 一昨日(10月25日)、東京では木枯らし1号が吹いた。早いといわれた昨年に比べても3日早く、平年に比べれば10日ぐらい早いそうだ。猛暑に悩まされた印象が未だ残っているうちに冬が来た感じで、季節の移ろいに戸惑っている。

 このところ、同窓会をはじめいろいろな集まりが続いた。私は門外漢だがひょんなことから参加を続けている「8の会」という技術屋さんたちの集まり、銀行時代の組合関係の「心友会」、三井ホーム時代に海外出張を共にした人との「思い出話会」、はては「安保法についての講演会」に至るまで先週のうちに集中した。集まると二次会、三次会と飲むので、このところややへばり気味だ。
 大体10月というのは寒からず暑いからずで、集まりを計画する日は一極に集中するのだろう。今年は年頭に「3分の1宣言」を発し、このような催しへの参加も3分の1にまで減らす予定であったが、これでは3分の1減らすのも実現できそうにない。これから暮れにかけて、様々な人から誘いがある。
 書籍や書類、酒器などの所有物は、3分の1減らすことをほぼ実現した。書斎に並んでいた三つの本箱を二つにしたので、この成果は目に見えている。「これを捨てては後悔するのではないか…?」という不安を、断腸の思いで断ち切って処理したものも少なくないが、これとて相手は何も言わないので、時の経過とともに不安は消えていく。しかし人との付き合いは難しい。
 齢を経るとともに、久しく会っていない人にもう一度会いたいという人が出てくる。物は整理しても人との付き合いは大事にしたい、という思いもある。
 来年も3分の1宣言を考えていたが、もしかすると、対象によっては3分の1増やす宣言になるかもしれない。危ない、あぶない。

     


お酒のさかな 食べ物篇(6) … 珍味、なかでも「生からすみ」

2015-10-18 15:57:35 | 

 

 島国の日本は、四方を海に囲まれ、また豊かな山々を流れ落ちる清流に恵まれている。好むと好まざるとにかかわらず魚に恵まれ、魚を食べて育ってきた。生で食べ、焼いて食べ、煮て食べるが、当然ながらその卵や臓物なども工夫して食べてきた。いわゆる珍味と言われるもの中には、この魚卵や臓物の類が多い。そしてこの類は、酒飲みがそのつまみとして最も好む一種である。
 もちろん酒飲みだけでなく、魚卵食は、正月の数の子(鰊の胎卵)、子供にも人気のいいイクラ(鮭の卵)やたらこ(スケトウダラの卵)など、朝夕の食卓に並ぶものも多い。しかし、このわた(ナマコの卵巣、腸)、うるか(鮎の腸と卵)や、いわゆる塩辛の類となると、専ら酒飲みの相手となる。
 塩辛は、必ずしも魚卵などばかりではなく、イカの塩辛のように塩漬けした上に麹を加えた保存食で、一般の食事にも供される。しかし、前述のうるかやガゼ(ウニの卵巣)、また酒盗のたぐいになると「お酒の珍味」という役柄となろう。
 魚卵の塩蔵品としては、私はからすみを好む。中でも生からすみを最も好む。
 からすみは、ボラの卵巣を塩漬けし、その後に塩抜きして干し固めたものが一般的であるが、私は生からすみを好む。干し固めたものをおいしいと思ったことはあまりないが、生からすみは酒の友としては最高である。
 行きつけの飲み屋として何度か書いてきた店に、西新宿の『吉本』があるが、ここに行けば長崎産の生からすみが必ず食える。この店には、「酒の友 珍味」として次の13品が掲げられている。かきの塩辛(三重)、ホタルイカ沖漬(富山)、子の綿(能登)、塩ウニ(礼文島)、鮎うるか(岐阜)、生からすみ(長崎)、蟹味噌(鳥取)、ホヤ塩辛(宮城)、蜂の子(長野)、ままかり酢漬(岡山)、氷頭(北海道)、かつお酒盗(和歌山)、蟹内子(釧路)、である。
 酒の注文とともに、この中から必ず何品か頼む。もちろん、生からすみを外したことは一度もない。


次々と生まれるノーベル賞受賞者 … 爛熟期に入った日本

2015-10-11 16:40:57 | 時局雑感

 

 近年、この時期になるとうれしいニュースが次々と入ってくる。ノーベル賞の日本人受賞ニュースである。戦後間もなく湯川博士が物理学賞を受賞した時には、何かまったく別の世界の出来事のように感じたことを思い出す。中間子理論なるものがそもそも別の世界であったし、その後も、忘れたころに受賞者が出て、特殊な人がもらう特殊な世界のように思えていた。
 ところが近年、今年は誰であろうか、と受賞者が出て当たり前のような雰囲気になってきた。村上春樹の文学賞に至っては、「もらって当然」と信じる人たちが集まりあって「その瞬間」を待っているということだ。しかも、受賞内容が、LEDにかかわることや身近な医療に関連するなど、ノーベル賞が何か身近なものになってきた。
 今年も生理学・医学賞で大村智・北里大特別栄誉教授(80)、物理学賞で梶田隆章・東京大学宇宙線研究所長(56)の二人が受賞した。これまた、梶田所長のニュートリノはまだしも(これとて小柴受賞やカミオカンテでなじみ深いものになっていたが)、大村教授の受賞内容に至っては、ゴルフ場の土から採取した細菌から寄生虫撲滅薬を作ったという話だから、全く身近な話だ。しかもそれが、寄生虫に悩むアフリカ人など何億人もの命を救っているという。先年の山中教授の時も感じたが、庶民にとっては「これぞノーベル賞!」という感じだ。
 それにつけても、受賞者のすぐれた人格、豊かな人間性は驚くばかりだ。その謙虚な発言を聞きながら、「偉い人ほど威張らないのだ。力のない奴ほど力を示そうとして威張るのだ」と娘と話し合った。真似をしてできるようなものではない。

 ところで、最近の日本人受賞者の増加は何を意味しているのだろうか。ほとんどの業績が3、40年ぐらい前からのものらしい。ちょうど高度成長のころ、未来に向けた様々な研究がはじめられていたのであろう。高度成長期は様々な問題も残したが、日本人がひたすら前を向いて頑張りぬいた時期でもあった。それらの研究が今花咲いてきたのであろう。
 日本は爛熟期に入ってきたと言われている。爛熟の花が今や咲いてきたのであろう。心配なのはこの先だ。あの戦後復興、高度成長期のような頑張りぬくエネルギーを、今後も生み出していけるのであろうか? もちろん、全く新しい形の研究、取り組み姿勢を、今の若者は生み出してるのであろうが……。


男黒田 土壇場の心構え … 広島カープ最後の見せ場

2015-10-05 17:32:39 | スポーツ

 

 毎年この時期には、カープの勝敗に一喜一憂する日々を送る。昨日はCS進出をかけた対阪神最終戦が気になりながらも、純米酒フェスティバル(私も主催者の一人である酒のイベント)のために家に帰ったのは午後の10時だ。そこでようやくカープの勝利を知り、小躍りした次第だ。
 しかも黒田の完封に近い好投による勝利だ。黒田は持ち前の粘りのある投球で、9回3分の1を無失点に切り抜けた。しかもその9回の登板も、「救援陣を休ませるため自ら志願した」(5日付毎日新聞)そうだ。加えて、「黒田は、勝てばCS出場が決まる7日の中日との最終戦もブルペンに待機する見込みだ。『打者1人でも、行けと言われれば行く。僕たちは勝つしかない。少しでも力になりたい』と言っている」(同前)とある。
 何という男気であろうか。41歳、ニュ-ヨーク・ヤンキースの主力投手の経歴を持つヴェテランだ。しかも、公約の2ケタ勝利を果たして11勝目を完封に等しい勝利で挙げたのだ。「俺はここまでやった。最終戦はお前たちに任せた」と言って温泉にでも入っていても文句をいう人間はいないのではないか。それが、「勝利に役立つなら、たった1人をおさえるためでも全力を尽くす」というのだ。野球がいかにチームゲームであるか、全員が最後までそれぞれの持ち場の任務を果たすことだけが勝利を保証する、ということを知り抜いているのだろう。

 私は、カープのAクラス入り――CS出場を待ち望んできた。何度もあきらめかけたが、ここにきて一層それを欲する気持ちになっていた。しかしもういい。7日の中日戦なんて勝っても負けてもいい、という気持ちになってきた。広島カープに黒田という男がいた。2015年、武者修行のメジャーリーグから帰ってきた黒田という男が、カープにいた。ただそれだけでいい。
 これほどの感慨を抱いたことも、最近少ない。

     

 


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