旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

日本人のコロナウィルスとの闘い

2020-05-31 11:45:29 | 時局雑感



 ようやく緊急事態宣言の解除となって、世界的にも第一段階を超えた感じだ。もちろん、第二波、第三波の到来は必至で、それとの闘いが始まろうとしている段階ともいえる。

 第一段階を終えて、日本の戦いぶりが世界的に話題になっている。何といってもアメリカに比して、感染者数で1%、死者で0.9%と二ケタ違う。英、仏、伊などの欧州諸国に比しても、感染者は7~8%で死者に至っては3%前後だ。しかもそれを、諸外国流の「罰則を含む強制ロックアウト」などではなく「自粛要請」により防いでいる点が不思議がられている。
 さてその自粛要請であるが。
 日本人は、緊急事態に及んで①20%の人は自主的・自発的に対応し、②60%は国が要請すればそれに従い、③残る20%が勝手にふるまう、と言われている。従って国が要請すれば①と②の80%の国民は要請に従うのである。「80%が自粛すれば感染拡大を防げる」という医学的見地をつかんだ国は、あえて強制的に③を従わせなくても、十分に対応できると読んだのであろう。
 誰がこの読みをしたのか知らない。政治家なのか、医療関係者なのか、または学者なのか? この読みこそが「日本の驚異」を生み出したのだ。日本人のこの体質は、どうして生まれたのだろうか?
 私はこう思う。

 第一に、農耕民族として身に付けた協調精神。森の民族と異なり、春、雨が降れば村を挙げて田植を行い、秋、晴れた日にはこぞって稲刈りに取り組む。それは自主と協調の精神を育んだ。
 第二に、国民皆教育制度の確立による高い教育水準。古くは寺子屋に始まり明治以降の皆教育制度は、貧富、骨柄の差別なく国民を教育した。それは協調思想を全国民のものにし、高い衛生思想(手洗い、うがい、マスク、清潔な服装など)をも植え付けた。
 加えて第三に、これも教育制度が生み出したのであるが、高い医療技術、医療制度(皆保険を含む)がそれを補完したのであろう。


「コロナが終わったら温泉に行こう」・・・孫の誕生日のテレビ電話で

2020-05-26 17:10:21 | 時局雑感



 四月は私の誕生月、そして五月はたった一人の孫の誕生月…。去年は、四月は孫一家が私の家に誕生祝いを届けに来てくれた。五月はファミレスで孫の誕生祝をやり、いずれもケーキに並べたローソクの火を元気に吹き消す孫の姿を楽しんだ。
 今年は2か月ともコロナ自粛。全く孫の姿を見ていない。ただ今月はテレビ電話がかかってきて、元気のよい孫の姿を見ることができた。部屋いっぱい飾りつけをして、プレゼントをかざし踊りまわっていた。そして最後に言った言葉が、
 「おじいちゃん、おばあちゃん、史織ちゃん、コロナが終わったら温泉にいこう」
という言葉であった。恐らく、外に行きたいなどぐずるたびに、「コロナが終わったらみんなで温泉に行こうね」となだめられてきたのであろう。
 今月はもう一人義妹(4番目の弟の嫁)も誕生月だ。こちらのフェイスブックにお祝いの言葉を送ると、お礼の言葉の最後に、
 「コロナが終わったら一杯やりましょう」
とあった。子供も大人もみんな同じ思いなのだ。
 約2か月続いた緊急事態宣言が解除となり、そのコロナ自粛の第一ステップが終わった。しかし、三密を避ける「新しい生活様式」は解けていない。第二波、第三波の到来は必至とも言われている。みんなで温泉に行き、ワーワー言いながら一杯やれるのはいつの日のことだろう。


世の中驚くことばかり・・・黒川検事長かけマージャン問題

2020-05-21 20:56:28 | 政治経済



 国会はじめテレビや新聞で火中の人となっている黒川検事長本人が、記者仲間とかけマージャンをやっていたというから驚きだ。
 金銭をかけてやるマージャンは賭博で、れっきとした罪である。検事長などという人は、本来そのような罪びとを取り締まる役ではないのか? それが、自分の身分延長問題で国を挙げて論じられているさ最中に賭博をやっていたというので、世の中一体どうなっているのかと戸惑う。
 しかも、コロナ問題で国を挙げて自粛しているさなかに、その自粛を呼び掛けている役人と、その宣伝に躍起になっているマスコミの記者が、自粛すべき「三密」の典型であるマージャンをやっていたというのだから、話にならない。彼らは若しコロナに感染していたら、一体どのように釈明するのだろうか?
 彼らはいったい幾つの罪を犯しているのだろうか?
 何が何だか分からなくなった。
 若しかしたら役人やマスコミ記者どもは、国民には自粛をさせて、自分たちは「三密集会」(麻雀や酒飲み会など)をやってるのではないか?


希望に満ちて、清純に生きた時代…朝ドラ「ひよっこ」再放送を見て

2020-05-13 15:08:50 | 文化(音楽、絵画、映画)


 楽しみにしていたプロ野球も大相撲も何もない。外出自粛でテレビを開けば、どのチャンネルもコロナ問題で、同じ内容を毎日同じように放送している。その中で、たった一つ、NHKが毎日午後4時20分から30分間流している「連続テレビ小説『ひよっこ』」の再放送が楽しい。
 確か3,4年前の朝ドラであったと思うが、ビートルスや東京オリンピックに沸く昭和39年頃から40年代前半にかけて、高度成長を背景に田舎から都会に出てきた若者たちが、ひたすら前を向いて生きる姿を描いたドラマだ。当然そこには、いくつもの恋が生まれる。何とも美しい恋が……。
 ああ、あんな清純な時代が確かにあった!
ドラマは次々とそれを辿る。
 しかし、主人公二人(田舎から出てきてレストランで働く娘と、良家の跡継ぎの大学生)の恋も、やがて時代の波に翻弄されて壊れていく。「まことの恋がなめらかに進んだためしはない」(シェイクスピア『
真夏の夜の夢』)のだ。
 なにも恋だけではない。戦後民主主義と高度成長の下で伸び伸びと育った「明るい資本主義」は、やがてバブルをはらみその崩壊を迎え、そのあとをねらう新自由主義の下で、能力主義、格差政策(多くの貧困層の創出)が吹き荒れる「暗くて冷たい資本主義」への準備も進められていたのである。 

 しかし、たしかにあの清純な時代はあった!

 
 新芽を出した庭のもみじ。やがて青葉となり、秋本格的に紅葉する


   


新しい生活スタイル

2020-05-07 11:12:29 | 政治経済



 寂しかったゴールデンウィークも終わった。しかし緊急事態宣言は継続され行動の自粛は続く。そして提起されているのが新しい生活スタイル。しかもそれは、単に手を洗うとか、人との距離を保つとかではなく、従来の生活志向の変革、新たな価値観の創出、もっと言えば「新しい資本主義の追求」を求めているように思える。
 第一に、職住接近の追求で企業集中、都市集中を避ける。テレワークという言葉の普及を受けた在宅勤務、またIT利用による、居住周辺の図書館や設備の整った公共施設での業務追及など新たな労働態様が求められていくだろう。
 同時に週休2日の徹底と、残る5日も在宅(近住)勤務が1~2日、または時差出勤をも絡ませ、1日の仕事も「会社で5時間、自宅で3時間」などを組み合わせる、などなどで週40時間制の完全実施による「自己の時間」を大幅に創出する。
 第二に、量よりも質、スピードよりもスロー(スピードを追って浅薄になるよりも、スローで豊かな内実を!)に重点を置いた生活スタイルへ。人類は(特に日本は)かなり高水準の生産力を手にしているのではないか? 大量生産でこれ以上の豊饒な生活を追うよりも、この到達点を全国民で分け合って、じっくり味わい、楽しむ生活を共に求めたらどうか。
 第三は、(以上2点の延長線上に立って)、効率主義より充実主義へ、競争主義より協調主義へ、利潤第一主義より配分重視主義へ思考を変革する。
 これまでの儲け重視の効率主義は、病院や医療従事者の縮小を中心にした医療行政の貧困、保健所や沽券従事者の圧縮による保険行政の貧しさ、果ては学校や教員縮小による学校教育の低下などを生んだ。今回のコロナ問題は図らずもこれらを明らかにした。これを機に、諸問題の根本的原因となった効率主義を改めるべきであろう。
 最も、この方向転換―「新しい哲学の確立」こそ一番難しい課題ではあるが…。


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