旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

美しく、そして悲しい歌舞伎の世界(つづき)

2013-01-30 13:14:51 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

 二番目の出しもの『仮名手本忠臣蔵』は、暮れから正月にかけての定番、ご存じ四十七士仇討ちの物語。その日の出しものは、全11段ある長い長い『仮名手本忠臣蔵』の「七段目」、祇園は一力茶屋の物語である。つまり、仇討の本心をカムフラージュするために、由良之助が茶屋で遊びほうける場面である。
 これまた、仇討ちばなしの中に「お軽堪平」の話が絡むのでややこしい。そして「お軽堪平」の物語を知らない人は何が何だかわからないのであろうが、江戸庶民は四十七士の仇討ちと同様に、このお軽と堪平の悲話を知りつくしていたので、この芝居をより楽しく、またより哀しく味わったのであろう。

 由良之助(幸四郎)がカムフラージュの遊びの合間に、ひそかに届けられた密書(それは敵の情報を知らせるもの)を読んでいると、遊女として一力茶屋で働くお軽(芝雀)が、隣の二階の部屋から鏡に映して盗み読む。それを察知した由良之助は、お軽を身請けすることにする。しかも三日で自由にしてやるというので、お軽はやがて恋しい堪平に会えると喜ぶ。
 そこえ現れたのがお軽の実兄平右衛門(吉右衛門)。二人は再会を喜ぶが、一部始終を聞いた平右衛門は、由良之助が密書を読まれたお軽を身請けして殺害すると察し、それならお軽を自分の手で討とうとする。そして、実は父も堪平も死んだのだと告げるとお軽は、「もはや生きる望みなし、どうせなら兄者の手柄になるように…」と兄の手にかかろうとする。
 平右衛門は足軽だが、何とか仇討ちの仲間に入れてもらいたいと由良之助に願いを出し続けていたのだ。お軽は、家と旦那堪平のために身を売り遊女として勤めてきたのに、今や生きる望みはすべて消え去り死を選ぼうとしたのだ。
 もちろんここは由良之助が登場して全てうまくさばくのであるが、この歌舞伎も、家や主人のために身を売る女の悲哀、兄との兄妹の情、それに主君の仇討に最善の生き方を求める忠義の心…、これらが絡み合って江戸市民の心を揺さぶり続けたのであろう。

 最後の出しもの『釣女』(狂言を素材にした30分もの)を含め、5時間近い大観劇であった。しかし、途中35分の夕食休憩も座席で食事をとることができ、酒を飲んでる人もいた。そこが庶民文化として発展してきた歌舞伎の良さでもあろう。大満足の一日でした。

  
             わが庭に咲くさざんか


美しく、そして悲しい歌舞伎の世界

2013-01-28 13:12:18 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

 26日、新橋演舞場の「初春大歌舞伎」に出かけ、久しぶりにたっぷりと歌舞伎の世界に浸かってきた。
 歌舞伎にしても芝居にしても、またテレビや映画にしても、日本の庶民が一番親しんできた演目は「源平盛衰記」であり中でも「義経・弁慶の安宅関」であり、四十七士の仇討つまり「忠臣蔵」などであった。その中で滅びる者を憐れみ、非情理な死に涙してきたのである。そして最後が、勧善懲悪で結ばれておれば、そこに心の救いを求めて、明日からの生きる糧にしてきたのだ。
 「初春大歌舞伎」の最初の出し物は『ひらがな盛衰記』、二番目が『仮名手本忠臣蔵』、三番目が常磐津連中『釣女』であったが、『ひらがな盛衰記』は素材を「源平盛衰記」に、『仮名手本忠臣蔵』は文字通り「忠臣蔵」に素材を求めている。
 前者の「ひらがな」という意味は、そもそも「源平盛衰記」を平易に書いたという意味合いが込められた言葉という。ところがどうして、とても平易とは言えず話は混み入っていた。

 場所はある漁師の家。漁師の娘は夫を亡くした上に、旅先で先夫の形見である子供を取り違えられる。しかし取り違え連れ帰った子供はなついてきたので、後添いで養子に来た夫や漁師ともども大事に育てる。そこにある女が現れ、旅先で取り違えた子の母だと名乗り、実はあなた方の子はある捕手に殺された。ついては取り違えた子を返してくれ、という。漁師と娘は悲しみ怒り、その挙句にその子を殺すと言い出す。。
 ところが、その子は
木曽義仲の遺児駒若丸であり、漁師の娘に養子に来た今の夫が木曽義仲の忠臣で、義仲を討った義経への復讐を企てている男となるからややこしい。その夫は、育ててきた子が駒若丸で、漁師たちの子が身代わりに殺されたことを察し、駒若丸を殺すという漁師を必死になだめる。
  ここからが、親子の心情と忠義心が絡み合っての見せどころ、泣かせどころである。いわゆる歌舞伎の山場で、江戸庶民は、その筋も結末も全部知ったうえで、毎回この場で思う存分泣くのである。
 歌舞伎を初めて見た娘も、「この歌舞伎には泣かされた」と言っていたので、幸四郎、福助、また子役をはじめ各役者の演技も大したものである。(続く) 


日本女子マラソンの復活今一歩

2013-01-27 15:51:15 | スポーツ

 

 大阪女子マラソンを見た。世界選手権代表の選考レースの一つになっているし、このところ低迷が続く女子マラソン界に希望の星が現れないかと期待して見た。実は所用があって一時半にやっと帰宅したのだが、レースの後半をじっくり見ることができた。

 正直言って平凡なレースで、期待の星が現れた、というような状況ではなかった。折り返し点では、日本人5選手と外国人一人が一団となって折り返したが、25キロぐらいから私の応援する渋井選手が遅れ始めた。
 ただ一人ペースメーカーについて行ったのは福士選手で、一時は2位グループを200メートル離した。彼女は満を持して参加していたようであるし、マラソン選手としても正念場を迎えている選手と思われるので、私は彼女が優勝するものと確信していた。
 ところが、ゴール前1キロメートルで、200メートル後ろから追い上げていたガメラシュミルコという怪獣のような響きのある名前のウクライナ選手に簡単に抜かれた。実に他愛ない負け方であった。追いつかれて後ろに付くこともできなかった。外国選手との間には、まだまだ大きな溝があるのだろう。
 もちろん、福士選手は2時間24分台で自己新であるので、世界選手権の代表には選ばれるのだろう。しかし、世界の場での活躍を期待して代表に選ぶには、あまりにも頼りない負け方であった。むしろ3位に入った渡辺という選手に将来を期待したい。マラソン2回目で25歳、25分台で入り、「楽しかった! また走りたい」と言っていた。

 私のお目当て渋井選手は、前述したように25キロぐらいから遅れ、8位で疲れ果てて帰ってきた。「これが今の私の力なら仕方ない」と言っていたので、これでそろそろ第一線からは引退かもしれない。まだ33歳で、外国には第一線で活躍している選手がたくさんいるが…。
 ロンドンオリンピックでは、日本女子の各種競技での活躍が目立ったが、私の大好きな競技であるマラソンはふるはなかった。まあ、物事には波があるのだろうから、希望の星の現れるのを辛抱強く待つことにしよう。


高ぶる春を待つ気持

2013-01-25 14:47:45 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

 前々回(21日付け)書いたように、今が一年で一番寒い時節だ。しかし、だからこそ春はそこまで来ているのだ。月が開ければ2月、3日が節分で4日は立春だ。
 そんな気持ちの高ぶりつられて、歌舞伎と落語の日程が入ってきた。明日26日は新橋演舞場の『新春大歌舞伎』を、ワイフと娘と三人で観劇することになった。出し物は新春恒例の「仮名手本忠臣蔵」と「ひらかな盛衰記」。しかも千秋楽だ。
 これも何度も書いたように、今年は日本文化を深めるために歌舞伎を観て落語を聞こう、などと娘と話していたら、友人からこの新春大歌舞伎の半額券のお薦めがあったのだ。(半額といっても1等A席ともなれば一枚8千円の券であるが)、「こんな機会を逃すと、またいつ見れるか分からない」とワイフがさっそく購入してきた。立派、立派! と喜んだ次第。久しぶりの歌舞伎を楽しみにしている。

 続いて次の土曜日、2月2日は、娘と二人で『てなわけで冬の噺 桂扇生独演会』なるものに、内幸町ホールまで出かける。こちらは大衆娯楽らしく、前売り一枚2千5百円と安い。
 出し物は「二番煎じ」と「厄払い」だ。これも正月らしい出し物だ。私はお酒の噺の「二番煎じ」に期待しているが、「厄払い」を聞いてその翌日の豆まきで厄払いをするのもいいと思っている。
 いやあ~、だんだん楽しくなってきたなあ…


にごり酒の季節

2013-01-23 16:11:34 | 

 

 やまびこの会の有志と、おいしいお酒でおいしい料理を食べよう、と大塚『串駒』にくり出した。Ma君、Waさん、Moさん、Miさん、という面々で、実に落ち着いた楽しい会であった。
 料理は『串駒』の定番「いしり(いしる?)鍋」コース。「春菊とサワラ」の突出しと、もうひとつ「汁もの」の突出し、「刺身の三点盛り」と「焼き魚」、いしりにつけた飯を棒の先に丸めて焼いた「焼きおにぎり」、「珍味あれこれ」などを経て本番の「いしり鍋」と「雑炊」とつづくコースを、『一白水星』と『奈良万』の“うすにごり酒”,『十四代』純米吟醸をはさんで、『而今』の冷酒と燗酒を組み合わせながら、三時間かけて食べた。いやあ~、結構でした。

 まず新年のあいさつに始まったので、このような集まりの最初の乾杯は普通ビールで行われる。私はそれを断固排して、「うすにごり酒」での乾杯を主張した。この「甘く冷たき」酒は、日野草城が詠うように「春の酒」にふさわしいが、一歩先取りして乾杯酒に使ったら、大方の好評を得た。なんといっても、前記したように続く料理に合うのは日本酒をおいてない。
 特に、にごり酒による乾杯はぜひとも薦める。
 私が少々しゃべりすぎたことを除けば大変にいい会でした。次回は桜の季節に集まろう、ということを約して散会。…次はどこにしようかなあ?


大寒 … 日本も寒いが、灼熱の砂漠ではもっと心寒い事件が…

2013-01-21 14:00:23 | 時局雑感

 

 昨日20日は大寒。また、この日から立春までの約二週間を大寒と呼び、一年で一番寒い時節とされている。事実、先週は東京も大雪に見舞われ、雪の残骸は未だ処々に残っている。その上、今晩から再び大雪の予想で、自然は先人の作った暦通りに進んでいる。
 しかし、一番寒い時というのは、それを越えればだんだん暖かくなることを示している。二週間後の2月4日は立春で、まさに春が来るのである。
 自然は厳しいが、必ずその厳しさに耐えた努力に報いてくれる。ここに救いがあり、それを知る人間は常に希望を持って生きていく。明け方の一番暗い時が朝に最も近く、極寒の時節が春を呼ぶのだ。
 一方、遠く北アフリカの灼熱の砂漠の上で、血も凍るような心寒い事件が起きている。アルジェリアという国の生い立ちも、過去どのような歴史をたどって現在があるのかもよく知らない。イスラム原理主義との避けがたい対立の歴史があるのだろうが、同じ人間同士が、ここまで冷酷に闘わなければならいことに絶望を感じる。しかも、「神の名において」行う殺戮であるところに、救いがたい諦観を覚える。
 しかし、日本人も否応なしにその渦中にある。傍観視はできない。錯綜する情報の整理を待って、じっくりと事態の本質を見極めたい。


都道府県対抗男子駅伝(於広島)に興奮

2013-01-20 16:05:23 | スポーツ

 

 久しぶりに駅伝に興奮した。私の趣味と言えば、旅と酒の次はマラソン、駅伝の観戦ぐらいのものだ。それもこのところ、正月の実業団駅伝、大学箱根駅伝などもう一つパッとせず、なんだか消化不良気味であったが、今日の「全国都道府県対抗男子駅伝」は力が入った。
 煎じ詰めれば、最終7区を2位でタスキを受けた東京のアンカー上野が、1分15秒先行する兵庫を追い上げて、ゴールでは5秒差という緊迫したシーンに尽きる。13キロで1分10秒詰めたのである。東京の、あわや逆転初優勝というのに、心が躍ったのであった。

 しかし興奮したのはそれだけではない。そもそも「都道府県対抗」というのは、ファンにとっては「郷土愛の発露競争」みたいなものだ。自分の生まれ故郷や縁故地の勝利だけを願う競技だ。
 私は77年生きてきたが、住居を構えた年数の長さから並べると、東京46年、生まれ故郷の大分県臼杵市22年、銀行時代の地方勤務広島市6年半、大牟田市2年半の順序となる。それぞれ大変な愛着がある。中でも生まれ故郷大分県への愛着は当然ながら強い。その他、2001年から数年間、秋田にある会社の役員をやった関係で月に1,2度秋田に出張(1回につき2,3泊)した。そのあと4年間ぐらい名古屋の会社の役員をやったのでこれまた月に1,2回は出張、宿泊した。秋田も愛知も相応の愛着がある。
 都道府県対抗となれば、当然のことながらこれらの愛着を抱く都県を応援する。いくら負けても、どんなにみじめな順位に終わろうと、わが愛する都県に声援を送る。

 ところが、今日の大会ではいずれもみじめどころではなかった。前記したように東京が5秒差まで追い上げて2位、愛知が3位、広島が6位、秋田が8位、そして我が大分が9位に入ったのだ!
 広島に至っては1区42位と出遅れながら最後は6位に入った。ゴール前10数メートルで7位の県に抜かれたが、5メートル前で抜き返して6位を守った。秋田は初めての入賞で8位となった。続く数秒遅れでわが大分がなだれ込んだのである。
 そのわが大分であるが、1区33位と出遅れ、2区では40位まで下がったが、3区で18人抜きを演じ22位、その後も着々と順位を上げて9位に入ったのだ。あと3、4秒で入賞するところだったのである。
 これで興奮せずにいられようか!

 まあ、脳梗塞持ちの年寄りが、このようなことで興奮するのがいいか悪いかはわからないが、生きていればこその喜びでもある。


江戸文化を楽しむ … 「江戸の生活」と「落語」 

2013-01-18 10:27:13 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

 前回書いた「いきいきフォーラム草の根支援」主催のチャリティ公演は、菊池ひと美さんのお話『江戸の町と長屋の暮らし』と、三遊亭兼好さんの落語『天狗さばき』で、実に楽しい催しであった。

 菊地ひと美さんは、日本画家で江戸衣裳の研究家、大分お年を召された後に早稲田大学に入り江戸史を勉強されたようで、さすがに豊富な資料で江戸の生活をいきいきと話してくれた。
 「江戸の町は今の千代田区と中央区ぐらいの広さで、その三分の一を武家が、三分の一を寺社が占め、残る三分の一に江戸市民がひしめき合って住んでいた…」という紹介にまず驚き、しかし、その狭いところに住んでいたからこそいろんな工夫が凝らされ、また独特の人情も育ったいきさつがよくわかった。当時の日本は鎖国で内向きの時代、しかしそれだけに様々な文化(文学、絵画、演劇など)を育てた。単に外に出ていくだけがいいのではないことを教えられた気がする。

 三遊亭兼好の落語も楽しかった。早口で甲高い声というのは、私はあまり好きではない方だが、間のとり方と言い、強弱のつけ方と言い見事なもので、初めて聞いたがうまいのに驚いた。聞いてるうちに声の質など気にならなくなった。三遊亭好楽の2番弟子だそうで、今後の出世が楽しみだ。
 気持ちよく寝ている旦那の顔つきから、きっといい夢を見ているに違いないと思った女房は、起こした後「どんな夢か」としつこく聞く…そのあとも次々と人を変えて「どんな夢だったのか」と追及されて、夢など見てない旦那がほとほと参る話…。この手の話はいろいろあるが、『天狗さばき』という題名だとあとでわかった。
 今年は、日本文化を深めるために落語と歌舞伎を見ようと娘と約束しているところだが、この落語をその皮切りにしよう。

 いやあ、実にすがすがしい催しであった。それは主催者の品格が与えてくれたものだと思い、改めて「いきいきフォーラム」の活動に敬意を表する次第。

   


NPO法人「いきいきフォーラム草の根支援」について

2013-01-16 16:30:13 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

 13日の日曜日、「いきいきフォーラム草の根支援」というNPO法人のチャリティ公演『お話「江戸の町と長屋の暮らし」と落語を楽しむ会』に出かけた。場所は日比谷図書館の地下一階日比谷コンベンションホール、娘と二人で参加したのだが、205席というホールは満席で、キャンセル待ちの状況であった。
 なぜこのような会に参加したかというと、このフォーラムの理事長をやってるU氏が、銀行時代の同僚であったからだ。U氏は銀行退職後、人材派遣会社を営む傍ら、このフォーラムの活動を続けている。その内容は、東南アジアの貧困にあえぐ子供たちを支援する活動だ。
 主としてネパール、インド、タイなどの奥地に住む貧しい村々の子供たちを支援するために、学校を建てるなど様々な支援を行っている。この種の支援活動は、一般的には資金を出してそれを送る活動であるが、このフォーラムの活動は、実際に現地に赴き、学校を建てたり、増築をしたりしながら現地の子供たちと生きた交流を重ねている。
 現実に、U氏は毎年ネパールなどに出かけている。昨年11月も出かけ、その時は「一緒に行かないか」と熱心な勧誘を受けたほどだ。私は一度ヒマラヤの山々を見たいと思っていたので、心が動いたのだが、今さらヒマラヤの旅は無理だろうと辞退した。氏からは何枚かのヒマラヤの写真が送られてきて、その美しさに魅せられたばかりであった

 それにしてもこのチャリティは素晴らしかった。「江戸の話」と「落語」が実に面白く、これについては別途書くが、このような会をつづけながら、東南アジアの子供たちに「学校を建てる」活動を続けているU氏に心から敬意を表する。U氏の人間性がいかんなく発揮された活動で、彼を慕う銀行当時の同僚や後輩がたくさん参加していた。
 その素晴らしさの一端を示す事例を一つ。
 私と娘は、催しの面白さもさることながらこの支援活動の意義に共鳴してわずか千円ずつであるがカンパをしたところ、今日、領収書を兼ねたお礼のはがきが届いた。それには、お礼の言葉とともに「この募金は、インドのSEDS(低カースト貧困農民を支援するNGO)、北タイ「ひよこホーム」(山岳少数民族ラフ族の子供の寮)、中央ネパール東パルパ地方奥地の貧しい村々に届けます……」と具体的に書かれてあった。
 二人でわずか2千円のカンパに対する素早い礼状の送付、具体的な使途報告……、すべて頭の下がる思いで、U氏の人柄と地道な活動の素晴らしさを改めて感じた。

 
  U氏が送信してくれたヒマラヤ(ンナプルナ)の写真


歌いつがれた日本の心・美しい言葉⑲ … 『雪のふるまちを』 

2013-01-14 14:12:48 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

 東京にも雪が降っている。朝から降り始めた雪はずーっと降り続き、今日は10センチは積もると報じられている。またたく間に真っ白になった庭を私は眺め続け、この歌を思い出している。

  雪の降るまちを 雪の降るまちを
  想い出だけが 通りすぎて行く
  雪の降るまちを
  遠いくにから 落ちてくる
  この想い出を この想い出を
  いつの日か包まん
  あたたかき幸せのほほえみ

      (講談社文庫『日本の唱歌(中)より)』

 「想い出だけが通りすぎて行く…」という言葉が、言い知れぬ寂しさを伴って若き日の心に残っている。それは、二番の「足音だけが 追いかけてゆく」、三番の「息吹とともに こみあげてくる」とつづく言葉と響きあって、私を深いセンチメンタルな世界へ導いていった。
 そして、一番で「思い出をあたたかく包むほほえみ」を望み、二番で「哀しみをほぐす春のそよ風」に期待し、三番では「空しさを超えるために光降る鐘の音に祈る」のである。

 作詞は劇作家の内村直也。作詞は数少ないようだが、その一つが空前のヒットとなった。作曲は中田喜直、私の大好きな作曲家の一人だ。最初は昭和27年、NHKの放送劇「えり子とともに」の挿入歌として登場したが、昭和28年、ラジオ歌謡として高英男が歌ってヒット。
 戦後、諸外国の様々な歌が日本に入ってきた。ジャズ、ポップス、タンゴ、ルンバ……、その中の一つにシャンソンがある。フランス人と日本人の気質は、それほど合致しないように思うが、シャンソンは日本人の心のどこかに共通点を持っているのではないか? シャンソン歌手高英男の歌唱力が、見事に日本人の心をとらえたと言えよう。

      
   
           
         2013年1月14日 東京の雪


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