旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

孤と分断の時代の始まり … 1970年代のフォークソングが書き残したもの

2017-01-30 14:00:32 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

  一月も終わろうとしているが、正月番組としてどこかの民放が放映した「フォークソング・ベスト30」という番組が印象に残っている。30位のさだまさし『関白宣言』に始まり延々と歌い継がれたが、そのベスト3は以下の通り。
 一位『なごり雪』、二位『時代』、三位『神田川』…。そして私が断固一位に押す『木綿のハンカチーフ』が七位に入った。ベスト30に選ばれた歌はいずれも素晴らしい歌ばかりであったが、以上の四曲をもって、いわゆる「フォークソングの時代」は言い尽くされているのではないかと思っている。作られた年代は、『神田川』1973年、『なごり雪』1974年、『木綿のハンカチーフ』と『時代』がいずれも1975年である。
 60年安保、70年安保という政治の季節を終えて、若者たちは複雑な挫折感を抱えながら高度成長時代という経済の時代に移ってゆく。住み慣れた故郷を離れ、華やかで喧噪だが同時に孤独が同居する経済戦争の渦中に巻き込まれていった時代であった。

 「また春が来て君はきれいになった」(『なごり雪』)が、その彼女を残して列車に飛び乗り、みんな東京へ出ていく。残された彼女は、「都会の絵の具に染まらないで帰ってきて」(『木綿のハンカチーフ』)とひたすら願いながら彼を待つ。しかし彼は、日を追ってその絵の具に染まっていく。後ろめたさに「指輪を送ろう」とするが、彼女は、「星のダイヤも、海に眠る真珠も、きっとあなたのキッスほどきらめくものはない」と告げる。そしてついに「僕はもう帰れない」と告げる彼に、「さいごのわがまま、贈り物をねだるヮ」と、涙ふく木綿のハンカチーフを要求する…。何もいらないのである。彼が「草むらに寝転ぶ姿だけを待つ」ていたのだから。
 都会に集まる若者たちの生活は、夢と不安に満ちていた。三畳一間に同棲する二人は、「若かったあのころ何も怖くなかった」が、しかしその三畳の間には、「ただあなたの優しが怖かった」という不安も同居していたのである(『神田川』)。

 日本国民は、それぞれの町村にあって、大家族主義の下で自然とともに暮らしてきた。そしてこの1970年代に始まる高度経済成長の下で都市に集められ、「孤と分断」の時代を生きることになる。親子三代、四代が共同して生きる牧歌的生活に終わりを告げたのである。都会での孤の生活は、出会いと別れを繰り返す不安定なものであった。
 その中で中島みゆきは、『時代』を書いて希望だけは失うまいと歌った。「今日は別れた恋人たちは 生まれ変わってめぐり会うよ 今日は倒れた旅人たちも 生まれ変わって歩き出すよ」
 あれから半世紀近く経ったが、「孤と分断」の様相は増している。これらの歌が、戦後日本を代表する歌として今に残るゆえんであろう。

 


分断、孤立、排外主義的傾向を憂う … 英のEU離脱表明と、米のトランプ就任

2017-01-24 14:41:11 | 政治経済

 

 

  憂えていたことがだんだんと現実化してくる。英国民は、なんとかEU離脱を踏みとどまるのではないかと期待してきたが、ついに正式離脱表明となった。米国大統領選も、投票数で2,3百万票の差(クリントンの勝ち)がついているのであるから、これまた何とかならないかなど思っていたが、もちろんどうにもならない。選挙の結果を動かすことなど当然ながらできないのだ。
 何度も書いてきたが、21世紀は統合、融和、平和の方向が強まる世紀だと信じてきたが、事態は全く逆の方向に進んでいる(少なくとも現象面は)。トランプに至っては、人種、性別差別政策を前面に打ち出して恥じようともしない。米国第一主義を掲げて、他国との協調の姿勢を示すことはない。いくらなんでも本当にメキシコとの国境に壁を築くことはしないと信じてきたが、これも現実化しそうだ。
 大国とか小国とか区別したくはないし、大国だからどうあるべきだとあまり言いたくないが、とはいえ世界全体の政治経済に現実に大きな影響を持つ大国には、それなりの責任と品位ある振る舞いが求められるのではないか? 大国を率いるリーダーは、同時に世界のリーダーとしての人格、品性、理性を求められるのではないか? 
 トランプの就任演説には、そのような品性や品格は全く感じられなかったし、自由や民主主義という人類が求め、深めて到達してきた理念を進めようとする姿勢も感じられず、むしろ逆に、自国と自己の欲求の赴くままに進むことだけを宣言したかに見える。大国のリーダーとして最低ではないか? ただ、これだけ利己主義的な姿勢を隠すことなく白状した正直さには、驚きとともに感心せざるを得なかった。
 たった一つの救いは、多くのアメリカ人と各国国民が、それに反対する声を上げたことだ。就任反対のデモはアメリカ全土に及んだだけでなく、世界の有数都市で行われ、その数は8百万人に及んだとも報じられている。トランプ政策は一層矛盾を深めていくに違いないので、これら世界の良心に依存して戦いを進めていくしかないのであろう。


オペラ『泣いた赤鬼』 … 満席の観客、様々な評価の中で終わる

2017-01-18 21:10:35 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

 

  ミャゴラトーリ本年最初の公演『泣いた赤鬼』は、去る9日、座・高円寺での2回の公演をいずれも満席で終えることができた。まさに老若男女、幅広い層の人々に来ていただいた。杉並区のNPO支援資金の援助も受けたこの公演は、一般公募の子供合唱団の出演も含め、それなりの任務を果たしたのではなかろうか。
 このオペラは、題材が浜田廣介の童話であるだけに、子供向けの児童劇ではないのか、という見方を含め観客動員もむつかしさを極めた。もちろん、その題材からして児童劇か本格オペラかはむつかしい評価を受けながらの公演であった。主宰した娘は、もちろん子供にも多く見てほしいが、同時に、大人に見てもらいたいというものであった。その大人たちは…、
 多くの人は、「悲しい物語に涙した…」、「大きな問題を投げかけられて、二次会で『鬼とは何なんだ?』、『人はなぜ鬼を作り出したのか?』、『あの後、赤鬼と青鬼は会えたか』などを何時間も話し合った」などの意見を寄せてくれた人も多い。
 一方で、「所詮、子供劇の枠を出なかったのではないか。ワークショップも余分ではなかったのか? どうせ子供劇とすれば『わらび座』などの方がもっと笑わせることもできる…」という感想もあった。
 むつかしい問題だろう。ただ、浜田廣介の原作を読む限り、それは、さびしい、悲しい物語で、子供言葉で書かれているが純文学としての大人の物語というしかない。とても「笑いを取る」ような物語ではない。まさにむつかしい。
 とりあえず、当日の舞台と観客の様子を、いくつかの掲げておく。

  
    
       

 
 終了後、赤鬼と語り合う観客
    
  ワークショップで「鬼って何だろう」と問いかける娘


波乱の幕開け … コンピューター崩壊、大量記録喪失、新CP開設で迎えたブログ開設10周年

2017-01-12 14:34:11 | 時局雑感

 

  昨年末からおかしくなったコンピューターを、甥のT君に補修してもらいだましだまし使ってきたが、ついに崩壊! T君によれば、内蔵するディスクドライブが摩耗して読み取ることができなくなったらしい。読み取ることができないということは、これまで記録してきたすべてのものを喪失したこととなる。記事などで紙にアウトプットしてあるものは復元もできようが、写真の類などはどうしようもない。幸い、保存用ディスクに保存してあるものは助かったが、最近はその保存作業を多く怠ってきたこともあり、悔し涙に暮れている。
 T君に実情を聞いて直ちに決断、ヤマダ電機に出向いて新しいコンピューターを購入してきた。延二日間、T君の数時間の手間をかけてようやく開設の運びとなり、今、初仕事としてこの投稿に向かっている。(なお、開設の運びといっても、基本作業が終わっただけで、セキュリティ対策などまだやることがたくさんあり、いずれT君の手間をお願いいたさねばならない。それらすべてにわたる「コンピューター奮闘記]は後日に譲る)

 こうしてブログ画面に向かったが、気が付いてみれば今日1月12日は、10年前にブログを開設した日にあたる。すでにどこかで書いたが、2007年1月12日に、「今日から始めます」という題で最初の投稿をしたのがこのブログの始まりである。その十周年目にあたる昨日11日現在の記録を見ると以下のようになっている。

・この間の投稿総数 1504件(年間平均150回。2.4日に1回)
 (カテゴリー別)酒282、旅353、政治経済213、
            文化178、スポーツ84、時局ほか394
 10年間にわたり、2.4日に1回の割合で書いたとは、我ながら感心している。
・トータル閲覧数(PV)1045602 (一日平均286)
・トータル訪問者数(IP)328084 (一日平均 90)
・最近一週間ランキング18731位 / 2654468ブログ
 (265万ブログの中で1万8千7百位ぐらい、ということらしい)

 このような数字が、いかなる意味を持つのかわからない。10年目という記念すべき日を迎えたので、一応その時点の数字を書き残しておくだけで、コンピューター・ショックが落ち着いた時点で再度考え直すこととする。

 


早くも五日…

2017-01-05 14:37:31 | 時局雑感

 

 年が明けて早くも五日を迎えた。今年もスピードを上げて一年が過ぎ去る予感がする。それがいいことか悪いことかはわからない。
 暮れの投稿(前回)で、長く生きていいことは何もない、生きていればいいことがあるというのは、大変な錯覚ではないか? と書いた。しかし、昨年は広島カープの25年ぶりの優勝に暮れて、今年は旭化成の18年ぶりの優勝で明けた。いくらファンといっても、これほど長く優勝のお預けを食うと応援するのに疲れ果てていたが、81歳まで生きたおかげでワクワクする喜びを感じた。
 日本人だけで構成する旭化成は、2区(外国人が走れる区)を終わって並み居るアフリカ勢に押されて20位であったので、今年もダメかと諦めかけていた。ところがドッコイ! 2区20位は織り込み済みらしく、後半、区間賞を重ねてぶっちぎりで優勝した。その様子を見ながら食べる雑煮はおいしかった。

 80歳まで生きたおかげで初孫に恵まれたが、旭化成が優勝のテープを切った直後、その孫が現れた。生後1年7か月。六畳の間からリビングを駆け抜け台所まで走り回る。その生気、活動力が81歳の老人にまぶしく映り、新たな生命力を与えてくれる。食欲も旺盛で、まるまると太っている。
 自分用の弁当を広げると、おにぎりを手づかみで、野菜などのおかずをスプーンで器用にすくい上げ頬張る。すべて平らげた後、おせち料理の中からきんとんを少し上げるとこれが気に入ったらしい。いくらでもほしがるので、太りすぎを気にするママがそれをしまうと、断固欲しいと泣いて抗議していた。初めて食べて、「大人どもはこんなおいしいものを食っているのか!」と思ったのかもしれない。
 新年一日の酒は、2016年純米酒大賞グランプリ『秀鳳純米大吟醸』、三日にはオペラ「泣いた赤鬼」の準備に忙しいミャゴラトーリの大沢氏(バス歌手)、荒巻氏(舞台監督)と娘を加え、パーカー・ポイント最高賞(98点、「格別」)受賞の『亀の翁三年熟成酒』と、最高の酒を堪能した。
 若しかしたら、長く生きていればいいことがあるのかもしれない。前年末の投稿をわずか5日で修正しなければならないのかもしれない。

  玄関のお飾り
        

            
   
 ママが片付けようとする(手前の手)きんとんを指さし、「食べさせろ」とせがむは孫の遥人
    

 
       


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