旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

セルジュ一家と神代植物公園に

2017-04-30 17:07:37 | 



 2年ぶりにフランスからセルジュ一家がやってきた。このブログにも「フランスの友」として何度も登場した一家である。私たちもリヨンに彼の自宅を訪ねたことがあるし、日本大好きのセルジュ君は、2、3年に一度は日本に来ている。ラップランドの次に日本が好きだそうで、これで7回目の来日になるそうだ。ラップランドと日本に共通点があるとは思えないが、一番好きなラップランドには15回行ったというから並みじゃない。
 今回は、中山道、熊野古道、京都、新潟などを回り、最後に我が家に一泊して、神代植物公園だけを楽しんで帰っていった。19年にはボリビアに行き(奥さんがボリビア人)、20年にはまたまた日本に来て、今度は初めての北海道に行きたいと言い残していった。
 息子のマチス君も日本びいきのようで、柔道を学んでいる。小学生の大会で銀メダルを取ったりしているようだ。合わせてピアノの練習を続けているようで、我が家の音楽室のグランドピアノで、見事な腕前を発揮した。セルジュ君が、息子の柔道とピアノをしきりに自慢するので、「確かに上手いのに驚いたが、『親馬鹿』にならないように」と告げると、親馬鹿という言葉の真意をしつこく尋ね、ノートに書き記すなど「貴重な言葉を知った」と喜んでいた。
 そのほかの彼の発言では、一つは、「来月のフランス大統領選挙では、マクロン(中道右派)がルペン(極右)に必ず勝つ」と力説したこと、二つは、私が日本の「和の精神」を強調すると、「和は、各人が個性をなくし、戦前の日本のようにファシズムにつながるのではないか」ときた。これは予期せぬ反論であった。議論は、「個」と「協調」をどう調和するかになっていったが結論は出なかった。
 まあ、むつかしい話は別にして、神代植物公園の様子などを掲げて、彼の7度目の来日を記録しておこう。

 
         

    
   左から、セルジュ、マチス、ナンシー(夫人)、オードレイ
 
                     

      

 


年々質を高めていくミャゴラトーリ支援者の集い

2017-04-24 15:40:11 | 文化(音楽、絵画、映画)



 一昨日(22日)、今年度のミャゴラトーリ支援者の集いが開かれた。渋谷区幡ヶ谷の「KMアートホール」に、約40名の支援者の方々のご参集を得て、非常に質の高い会が持たれたと思う。質が高いというのは二重の意味で、一つは約1時間のミニコンサートの素晴らしさである。国光ともこさん(ソプラノ)、薮内俊弥さん(バリトン)、大澤恒夫さん(バスバリトン)のお三方が、ミャゴラトーリを支え続けてきたピアニスト神保道子さんのピアノで、実に高質な歌唱力を披露してくれたことによる。40名の方だけに聞かせるのではもったいないコンサートであったと思った。
 もう一つは、その後のパーティでほとんど全員に発言してもらったが、その内容が実に質の高いものであったことによる。それぞれ素晴らしいご体験をお持ちの方ばかりで、その内容あるご体験をもとに、ミャゴラトーリに貴重なご提言をいただいた。資力も後ろ盾もないミャゴラトーリであるが、このような素晴らしい方々のご支援こそ、最大の後ろ盾だと思っている。
 私は、恒例によりパーティ用のお酒の担当で、今回は、秋田の「新政」、熊本県小国町河津酒造の「花雪」、福島県会津若松の鶴乃江酒造の「ゆり」などを準備、参加者の中から、秋田の銘酒「まんさくの花純米大吟醸」、菊水酒造の「KAYOIGURA」、熊本県人吉市の高橋酒造の本格焼酎「しろ」などの差し入れがあり、実に多彩なs酒盛りとなった。これら銘酒も、参加者の質の高い発言に一役買ったと自負している。
 以下にミニコンサート写真をいくつか掲げておく。

        
       ビゼー 「カルメン」より『闘牛士の歌』を歌う薮内俊弥さん(バリトン)

  
            
    プッチーニ「つばめ」より『ドレッタの夢』を歌う国光ともこさん(ソプラノ)

   
     モーツァルト「ドン・ジョバンニ」より『カタログの歌』を歌う大澤恒夫さん(バスバリトン)
 
     
      チマローザ「秘密の結婚」より2重唱『もし息をしているなら』(薮内、大澤さん)

  
     ピアノ神保道子さん、司会の首藤史織を含めて出演者のご挨拶
  

  


久しぶりの熱海(つづき)

2017-04-19 17:42:06 | 



 古屋旅館は、さすがに熱海最古、210年の業歴を誇るだけ立派であった。東郷元帥の常宿で、元帥が当館14代当主と打ったという碁盤なども飾られてあった。碁石は水晶とメノウで作られているということだ。部屋のたたずまいといい、大風呂もヒノキ張りの湯加減といい、文句なしの雰囲気であった。
 食事が始まると、娘たちから私の誕生日を祝った花束をいただいたが、同時に、料理を運んできた女中さんから「若女将からのプレゼントです」と立派な湯呑を渡された。奥ゆかしいおもてなしで、花束ともども心に届いた。

 料理も素晴らしかったし、そろえてある日本酒も、純米酒を中心に名だたる銘酒ばかりであった。私はその中で「地酒」として薦めている「開運」、「正雪」などを飲んだが、「而今」や「新政」や「醸し人九平次」など飲みたい酒がずらりと並んでいた。1歳11か月の遥人も一人前に特別料理を作ってもらい、ちゃんと箸を使って食べていた。

   遥人のお膳
          

   
  誕生祝に贈られた花束と、若女将からの祝い品の湯呑


 

 朝食では、運転する息子に悪いので飲酒はやめようと思っていたが、「アジの開きがついてきたら、やっぱり酒だよなあ」など話していたら本当についてきたので、息子が冷蔵庫の中にあるのを確かめていた「大阪屋長兵衛」(「大関」の大吟醸)を添えてくれた。息子には悪かったが美味しかった。

    

               
 
 いやあ、大満足の旅でした。




 



 


久しぶりの熱海

2017-04-17 14:12:00 | 



 何十年ぶりかで熱海に行った。次男夫婦の招待で、来月13日で満2歳を迎える孫の成長の披露と、10日早いが私の82歳の誕生日を祝ってくれる集まりであった。実は昨年も湯河原の老舗旅館に招待してくれたのであるが、その時は孫の遥人が風邪で高熱を出して、大騒ぎの末に翌朝早々に引き上げることになったので、そのリベンジだと時を伺っていたようだ。桜は満開、熱海最古の旅館『古屋旅館』(業歴210年)は、もてなしも湯加減も最高のものであった。
 私のこのたびの狙いの一つは、孫遥人と露天の大風呂につかることであった。前記のごとく昨年の湯河原では風呂どころではなかったので、今度こそと満を持していたのだ。ところが……
 着いて早々、まずは部屋続きの露天風呂で試そうと、次男が湯につけようとするが、何を恐れてか頑として拒否、ついには泣いて抗議するありさまで実現しなかった。大風呂に連れて行こうとしたが、風呂と聞いただけで湯部屋に入ろうともしない。ようやく翌日の「足湯」ではやっと慣れて、最後は湯船をはしゃぎまわってズボンを濡らしママを困らせるまでになったが、うまくいかないものである。

 
   一人前にリュックを背負って、張り切って我が家を出発

   
        部屋続きの露天風呂に入れると、怖がって泣いて拒否
 
     
           
 翌日、熱海の海岸に繰り出し、水に触れさせようとるがなかなか近づかない。

 
      
 最後の湯河原万葉公園の足湯でやっと慣れて、今度はズボンを濡らしてママを困らせた。
 
     


上野の桜と山桜桃の会

2017-04-06 15:20:44 | 

 



 第14回「山桜桃の会」を湯島の『ふくろう亭』で開いた。ここでは2回目の開催となったが、それは前回欠席したMiさんが「『ふくろう亭』の焼き筍」をどうしても食べたいという強い要望を持っていたことによる。彼女は前回、ロサンゼルスの息子のうちにいて、「焼き筍がおいしかった。あまりおいしいのでお代わりした」という私のブログをロスで読み、その要望を抱き続けていたのだ。太平洋越しの強い要望を無視したのでは何が起こるかわからないと、シーズンまで指定して今回の山桜桃の会となったのだ。

 ところが、これが桜のシーズンと重なった。このところ桜の満開は3月下旬が続いていたので、4月4日は見どころを過ぎているかと思ったが、今年は寒さが続いて満開の時期となった。それなら、近くの上野公園を回り、湯島に降りて宴を張ろう、ということになって、久しぶりに上野の桜を満喫した。
 毎年どこかの桜を見るが、中でも「東京の桜のメッカ」の一つとされる上野公園の桜は何十年ぶりのことである。何十年も近づかなかったのは人混みを恐れてのことであったが、その人混みもいいものだとつくづく思った。桜にも、枝垂れ桜や八重桜などいろいろあるが、結局はソメイヨシノが一番ではないか。ごった返す人混みと歓声、酒の香りと食べ物のにおい、この人の営みを覆いつくすのはソメイヨシノでなければならないと改めて思った。

   

 上野に詳しいM君、U君の案内で、「時忘れじの塔」、「時の鐘」、「上野大仏」、「清水寺」などを周り、不忍の池を経て湯島に向かった。これらの史跡を回りながら、桜の美しさもさることながら、東京都民と上野公園の縁の深さに思いをはせた。大きい事件だけでも大正末期の関東大震災、第二次大戦の東京大空襲があるが、そのような災害から、都民はまず上野の山に逃げたのだ。そのさまざまな思いが、華やぐ桜の陰に毅然として残っていた。

    
                      
                                    

 『ふくろう亭』では、「焼き筍」はもちろん、様々な季節の料理で定番の「一ノ蔵掌」を傾ける。今回はそれに「酒呑童子あらばしり」(由良の「ハクレイ酒造」の酒)を加えた。刺身の盛り合わせが出たが、その中にクジラの刺身があった。いかにも哺乳類の肉らしく、赤々と存在感を示していた。塩釜出身のU君が、港にあげられるクジラの様子や、東北の人たちがいかにクジラを常食していたかを語ってくれた。いやあ、全ておいしかったなあ。Miさん執念の「焼き筍」の写真だけは掲げておこう。

   


 上野の桜のついでに、その前後に見た「上北沢の桜」よ「神田川の桜」も掲げておく。いずれも上野に比べて寂しいが。

   上北沢の桜
            神田川の桜

 


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