旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

大相撲・プロ野球の「7月」から、輝くパリの五輪「8月」へ

2024-07-29 14:27:20 | Weblog

 7月はすでに終わった。大相撲は照ノ富士が先頭を走り、10回目の優勝を飾った。その何よりも、ご贔屓三人方ともそれなりの成績を獲得した。
 琴桜は10勝目獲得し、筆頭大関を固め、大の里は三賞を獲得し、大関への狙いを固めつつある。その王鵬も9勝を勝ち取り前頭2番目へ上り、秋場所には三役席へ上りたいものだ。
 プロ野球の広島カープは、ようやく首位を転落(対巨人)、しかしながら横浜、阪神などで頑張り2位を守っている。

 さあ、8月輝く「パリ五輪」だ。全く珍しいしゃかいだ」。

 

      
       hさんからの盗み撮り


大相撲名古屋場所(7月14日)始まる

2024-07-15 14:34:45 | Weblog
 プロ野球も後半に差し掛かって、ダンゴ状況ではあるが首位を争っている。大相撲も後半に向かって、有力強者たちが横綱、大関、三役群を狙う者が争ってくるだろう。
 私の好む三大ご贔屓は、琴桜は横綱へ、大の里は大関へ、そして王鵬が三役へ、本年中を昇進することを期待している。
 ところがドッコイ! 王鵬こそ勝ったが、大の里、琴桜共に初日に敗退した。まあ、15日間勝ち抜くことを期待しよう。

  
    
     
     王鵬 初日勝った

  
      
      大の里 初日に負けた

  
   
    琴桜も初日敗退


真夏の夜の悪夢② … 粉飾の上に築かれてきた日本経済

2018-08-13 14:03:18 | Weblog

 

 アメフトやボクシング業界が揺れている。フェアプレー精神が尊ばれ、それ故にこそ国民に親しまれるスポーツ界にあって、その精神を保証するルールは無視され、指導する上部団体は私物化されている実態があばかれて、国民は唖然としている。
 スポーツ界でさえこれならば、魑魅魍魎がうごめく政治・経済界はいかばかりかと恐ろしくなる。まずは経済界から…。
 日本国民は、戦後ひたすら働き続け高い経済水準を築き上げた(と思っていた)。国民性とも言われる勤勉と協調性が、中小零細企業を含む高い技術水準と相まって、世界第二の経済水準に到達した(と思っていた)。ところが近時、次々と現れた大企業の不正経理、データ改ざん、不正品質問題でこれらの「思い」はついえ去った。曰く、東芝、神戸製鋼所、三菱マテアリアル、東洋レーヨン、自動車各社、政府系金融機関の商工中金などなど。そして恐らく、これらは氷山の一角なのであろう。
 優れた技術力と高品質を誇る日本経済は、架空のデータの上に築かれていたのか? その証拠に、科学技術競争力や学生の学力テストなどの世界順位が軒並み低下してきている。かつては世界第2位とか3位につけていた一人当たりGDPなども、20数位に落ちてきた。もっとも、2位や3位はバブルの頃であったので、やはり実体はなかったのかもしれない。
 日本経済の成長は、不正データやごまかし品質の上に彩られた幻の成長で、真の実力はなかったのか? 政治の3流は覚悟していたが、経済は一流と損じてきたのだが…。


真夏の夜の悪夢 … 猛暑と豪雨

2018-08-10 10:53:45 | Weblog


 猛暑と豪雨が繰り返されている。しかも、これまで経験したことのない想定外の規模で。猛暑は「命にかかわる危険な温度」として39度から40度以上に及び、事実、熱中症で数多くの命が失われている。豪雨も、従来の想定を超えて山崩れや河川の氾濫を起こし、想像を超える生命を奪っている。
 2011年の北日本大震災が「想定外」の津波を吹き起こしたが、以降、自然災害の規模で想定外が続く。一見すべて自然災害に見えて「自然の力には逆らえない」とあきらめの境地に立つが、よく見ると地球温暖化等人災的要因が見えてくる。北日本大震災で日本国民は、福島県の一部を「永久に住めない地」として失ったが、その原因たる原子力発電所は人災の極致と言える。
 
今後40度以上の気温が一般化してくるのではないか? それは「命にかかわる危険な温度」の中に常に身を置くことを意味する。想定外の雨量と土砂崩れは、日本中から多くの生活の場を奪うのではないか? そして新たに求めた生活の場が、いつまた想定外の災害に奪われるかは誰にもわからない。
 人間は欲望の赴くままに自然破壊を続けてきた。そして今なお、それを阻止しようとする動きは鈍い(大国アメリカの温暖化規制協定離脱など)。人類はひたすら滅亡の道を歩き続けるのだろうか?


日本資本主義は大丈夫か? … 大手各社の不正品質問題について

2017-12-21 11:27:38 | Weblog



 総選挙で3分の2以上の議席を占めた改憲勢力が、いよいよ憲法改悪に踏み出し、トランプ・北朝鮮問題と相まって戦争の匂いがしてきた。政治は最悪の方向に動いているのではないか? それと同時に、今年は、経済問題でも大手各社の不正品質問題を中心に、戦後史に記録を残す年となるだろう。
 数年前から問題化した東芝の不正経理問題は、東芝が戦後経済発展の一翼を担ってきた企業であっただけに驚いていたが、今年は大企業の、データ改ざん、不正品質問題が相次いで発覚した。曰く、神戸製鋼所、三菱マテリアル、東レ、自動車各社、等など、枚挙にいとまがない。加えて、政府系金融機関である商工中金の、これまたデータ改ざん、不正融資問題まで発覚、しかも、全店挙げての不正行為であったと聞いて驚きを禁じ得ない。
 戦後の経済発展の中で示した日本経済の特質は、高い品質とそれを生み出す技術力であった…、と信じてきたが、それは不実であったのか? 上に掲げた不正は氷山の一角で、殆どの大企業に蔓延しているのではないのか? 日本資本主義は大丈夫か? 真剣に問わなければならない問題である。

 もう一つ問題がある。以上各社を含む大企業は、大変な利益を計上している。財務省が9月1日に発表した2016年度の法人企業統計による大企業(金融・保険業を含む、資本金10億円以上)の内部留保は、400兆円を超え403.4兆円になったということだ。15年度だけでも17.6兆円の増加である。
 私は何も大企業が儲かることに目くじらを立てているのではない。問題はその対極に大きな貧困が生み出されていることだ。ワーキングプア、つまり働いても年収2百万円に満たない貧困層が、1千万人を超える事態が続いているのだ。時点は違うが、国税庁の民間給与実態統計調査によれば、2014年のワーキングプアは1139万人に達し(9年連続1千万人超)、全労働者の4人に一人を占めるという。
 大企業は空前の利益を上げているが、その対極に貧困層が蓄積されている。民のかまどには火がともってないのではないか? 民が食えない状況で、企業がいくら物を作っても売れるはずはない。もっとも、データ改ざんによる不正品質のものなど買いたくもないが。
 日本資本主義は、本当に大丈夫か?


ブログ「旅のプラズマ」を再開します

2011-11-01 13:44:09 | Weblog

 

 本年2月27日、4年間(800投稿)続けたブログを閉鎖し、早くも8か月が過ぎました。その時は「無期限閉鎖」としたのですが、今日から再開したいと思います。
 止める理由も他愛ないものでしたが、今日から始める理由も特別なものはありません。はからずもこの間、日本も世界も激動の時期でしたが、そろそろ心を落ち着けて諸事に対応していいのではないかと思っただけです。特に何も解決していませんが。

 個人的には、この間ブログを閉じてよかったと思っています。
 第一に、ブログを閉じて12日目にあの東日本大震災が起きました。地震と津波とともに襲ってきたのは福島原子力発電所の事故で、それは国民に思ってもいなかった節電を求める結果となりました。東京で湯水のごとく使っていた電力は、福島県民の多大な犠牲の上に成り立っていたことを知りました。私のブログなど電力無駄使いの典型に違いなく、10日前にそれを絶った先見をひそかに誇ったものでした。ではなぜ再開するのかといわれるでしょうが、節約を含めかなりの周辺整理をやってきた中で、「これぐらいは残そう」と思ったもの中にブログが残されたからです。「積極的な節約」とでもいうのか?
 第二に、この間ブログは書きませんでしたが『旅のプラズマパ-トⅡ』を発刊しました。いつの間にか第二の人生のテーマとなっていた「旅と酒」につき、前著で“旅”をまとめましたが、残る“酒”が気になっていました。この機に、過去20数年の世界各地の旅を酒を軸にまとめ、後半に「日本酒の現状と未来」を書いて、『旅のプラズマパートⅡ』としました。(発行所(株)フルネット、240頁、1300円。一般の本屋には置いていません)
 これで第二の人生のテーマを自分なりに完結し、ホッとしているところです。

 従って、今日から始めるブログは「旅のプラズマ」の第二幕といえましょう。つまりパートⅡです。第二の人生のテーマにけじめをつけた後は、死ぬか第三の人生に踏み入れるか…、いまだ未決定ですが、その間も生きねばなりませんので、まずはソロリと第二幕です。
 だから従来のペースではなく、気の向くときに書くだけです。


ブログは意味があるか(4)

2009-03-04 20:52:50 | Weblog

 本来日記であればもちろんのこと、また、酒や旅について連載的に書いていつか纏めようということであるならば、公開することはほとんど意味がない。書き溜めておいて纏めていけばいいのだ。
 しかし、公開することの最大の意味は、誤字脱字を含め間違いのないように、事実確認を含め誤りのないように、という緊張感を持って書くことにあるようだ。あとで読み返してとんでもない間違いを犯していることに気がつき、思わず赤面したことが何度もある。特にワープロによる漢字変換でとんでもないミスをやり、慌てて訂正することもしばしばだ。
 単に書き溜めておくだけなら恐らく読み返したりしないだろうし、辞書を引いたり本を読み返したり、またインターネットでいろいろ検索して調べたりしないだろうと思うが、やはり万人に公開するとなるとそうはいかない。
 その緊張感が最大の意味ではないか? もちろん、大して時間を使うわけではないし、それだけ誤りや誤字脱字を含んでいるに違いないが、それなりに注意や勉強しながら書くことの意義は大きい。それだけでも公開する意味があるのかもしれない。自分のようなだらしない人間は、せめてそのような縛りを設けながら、辛うじて生きて行くしかないのだろう。結局は自分のために公開する、というところにこの世界の奇妙さがある。

 また、定期的に読んでくれている人が何人かは居るようだ。ありがたいことだが、もしその人たちのために書くのなら一斉メールでいいはずだから公開の必要はない。やはり前記した緊張感ぐらいしか意味はなさそうだが、それはかけがえのないものにも思えるので、もう少し「危険にさらす緊張感」を求めて書いてみるか・・・?
 ただし、できるだけつまらないことを書かないように注意し、回数もできれば減らそう。つまらないことの方が面白いことが多いので、無味乾燥なブログになって行くかもしれないが・・・

 このようなことを考え始めた契機は、最初に書いたように、人類はインターネットやウェブなどという素晴らしい技術を作り上げてきたのであるが、それを使いこなす規律、秩序、思想、哲学の面において追いついていないことに嫌気がさしたことによる。その状態は何も改善されていないどころか、今後ますます問題化していくだろうことだけは十分予測できる。
                         


ブログは意味があるか(3)

2009-03-02 21:31:15 | Weblog

  ひょんなことからブログの意味に引っかかり、「ブログに意味があるか」をブログに問う日が続いている。
 ブログを「公開日記」とするならば、後半の日記には明らかに意味がある。それは自分についての記録であるので、意味がないことは書かないし、何か思うから書き残すのであるから、それだけでも意味がある。問題は「公開」である。公開する以上誰かに読んで欲しいと望むのであろうし、同時に何らかの反応を求めるのであろう。

  しかしそれはどだい無理な相談ではないか? そもそも、人が勝手に書いているものを、そう都合よく読んでいられないだろう。しかも、これまた書いた者が勝手に欲している反応など分かるはずもなく、求められているような反応など書けるはずがない。
 事実、私のブログに対するコメントなど数名の人に限られており、それも偶にあるだけだ。当然のことだ。私自身「一方的な発信」と割り切っているので、コメントに対する返事もまともにしていない。最近はできるだけするようにしてきたが。
 つまり「反応を求める」などと言っても“闇夜につぶて”を放つようなものである。コメントで一番多いのは、実に低劣で読むに耐え得ないサイト系コメントだ。これを消すだけでも大変な作業だ。そして何とも嫌な、危険な世界がその先に見えてくる。そのような世界とつながる可能性は持ちたくないなあ、と時々思う。幸いなことに、今まで変な係わり合いは一度もないが・・・。

 この問題について「おおつる」さんより続けてコメントをいただいた。気弱な私を、ブログの良い点を挙げて「ぜひ続けるように」励ますコメントだ。誠にありがたく心より御礼を言いたい。
 ただ気になるのは、おおつるを括弧書きしたように、書いてくれた人を特定できないことだ。「おおつるさん」は多分「大津留さん」だと思う。これまでの多くのコメントは大津留でくれたが、今回はおおつるとしたのに何か意味があるのだろうか? しかも最初のコメントは文末が「かしこ」となっていたので、一般的には書いた人は女性と言うことになる。若しかして大津留夫人かもしれない。二度目のコメントは「かしこ」がついてなかったので、これは本人だろう。文面からすると両方とも大津留さんだが。
 かくも難しいのがこの世界の特徴である。私は写真も含めて本人丸出しで書いているが、多くの人は自分を表に出さずに書いている。この辺が、前述したような魑魅魍魎な世界の入り口のような気もしている。

 しかしそんなことをばかり考えずに、「おおつる」さんの助言も入れて、前回書いたように「良い点はないか」をもう一度考えてみよう。
                         


ブログは意味があるか(2)

2009-02-28 12:51:40 | Weblog

 ブログを始めた動機のひとつに、出版したばかりの『旅のプラズマ』を宣伝しようという思いがあった。折角出したのだから少しでも多くの人に知ってもらおうと思い、不特定多数の目に触れる可能性のあるブログを使おうと思った。だから始めた当初は本の目次に沿ったテーマが多い。そのテーマを取り上げた趣旨とその裏話的な記述を続け、この2年でほとんどのテーマに触れた。
 そのような点からすると、その役割は既に終わった。

 もう一つの狙いは、『旅のプラズマ』に書かなかったこと、特に意識的に書かなかった「酒に関する話」を書こうと思ったことだ。これで『旅のプラズマ』を補完しながら、願わくば『旅のプラズマ パートⅡ~世界の酒と食』をまとめようという狙いだ。
 過去の旅の蒐集物などをめくりながら、これまで回った国々の酒の話を書いていくのは楽しかった。しかしこれとて一応書き終え、『世界の酒と食』をまとめようと思えば可能ではある。つまりこれも終わったと言えなくも無い。もちろん、今も旅は続けているので、題材はこれからも続くが・・・。

 そして何よりも、これまでの旅の記録をまとめたり、酒について書いたりするのが主眼であるなら、何も公開することは無いだろうと思う。つまりブログである必要は無い。いくつかのコメントやご意見で勉強になったことはあったが、それとて、いつ来るかどうかも分からないコメントなどに期待するより、確実な批評や意見を受ける方法はいくらでもある。
 
やはりブログに意味は無いのではないか?

 しかし、書いてきて良かった点も何かあったのではないか?
 止める前にそれくらいは考えてみよう。
                         


ブログは意味があるか

2009-02-26 21:12:14 | Weblog

 世間を騒がす様々な事件の背景の一つとして、ケ-タイをはじめとしたネット環境の問題がある。特に中小学校生たちの不良化やいじめなどに、このネット環境が悪い役割を果たしているのであろう。
 インターネット技術自体に何の罪も無いが、それを使う人間が、規範的にも道徳的にも追いついていないので、悪い面だけが浮き彫りになってくる。事実、先行きに大きな不安を抱かずにはいられない。

 今朝もそのようなニュースを見ながら、ワイフに「貴方もブログに、家庭内のことなど変なこと書かないでよ。書き込みなどされて問題にならないように注意してね」と言われた。
 全くそのとおりかもしれない。一瞬にして世界を飛び交う通信網に載るわけだから、何が起こるか全くわからない。
 それを思うと、ブログなんて意味があるのかと思い始めた。私などは、全く一方的に発信しているだけであるので、それならば何も公開することは無いのかもしれない。「公開日記」の日記に重点を置くならば、なにも公開することはなかろう。対象を設けて論争でもしようというのなら、それは日記ではなく別の目的を持つことになる。
 私のブログなんて、一日の訪問者は80前後で、コメントなど2~3の人がたまにくれる程度で、特に意見を交わしているわけでもない。どうも公開の意味はなさそうだ。
 ここはじっくり、止めるかどうか考えて見よう。
                            


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